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 アイナが平日ギルドへ姿を現すのは、学校が終わって五時半を過ぎてからだ。

 食事はギルド内の食堂で用意されている物を食べ、六時から八時半までの二時間半、毎日受付に座るのが日課だ。

 アイナは学生で、寮の門限は九時。そのため、平日のアルバイトは二時間半が限度だった。その時間になると、ツアーの受付はほぼ終了している。そのため、あっせんした護衛の終了報告の受付や、パーティガイドの終了報告、個人のガイドや護衛の依頼の受付などが主な仕事になる。


(リエトさん、何時に来るかなあ)


 受付に座りながら、アイナは目の前にある黒い石板に、これまた石のペンで『リエト』とつづった。すると、石板に同じ名前の数名の情報がふわりと浮かび上がる。

 これは全ギルドに登録している者の経歴が見られる魔具だった。

 毎日通信魔具を介して新しい情報に書き換えられるその石板には、リエトの情報も当然入っている。

 ただ、ツアーガイド部のアルバイトにしか過ぎないアイナには、詳しい経歴を見る権限がない。見られるのは、冒険者窓口の担当者や、管理職クラスだけだ。

 それでも、名前や最近受けた依頼の内容くらいは確認できる。

 アイナは浮かんだ名前を順番に見ていく。上から三つ目の名前を石のペンでなぞると、望む情報が映し出された。


『リエト 魔銃使い 冒険者ランクA 最近三か月の依頼内容 護衛五件、冒険者パーティ三件 探索系十件

 依頼達成率六〇%』


「へえ、Aランクなんだ!」


 冒険者のランク分けは、最高位をSとし、A~Eまでにランク分けされている。

 Aランクは冒険者としてはかなりの高位だ。ただ、依頼達成率六〇%というのが、思いのほか低い。

 普通、このランクの冒険者たちの依頼達成率は八〇%を超えていることがほとんどだ。

 アイナは顎にほっそりした指を当てて、考え込むようにうーんと小さく声を上げる。


「たぶんこれ、護衛とパーティの達成率は八〇%超えてるんじゃないかなあ。問題は探索系ね」


 護衛とパーティの件数に比べ、リエトは探索系の依頼を受けている件数の方が多い。

 道に迷って期限までに依頼を達成できない……なんて話は、よくあること。まして、彼は極度の方向音痴だ。ない話ではない。


「ていうか、むしろこんな成績でよくAランクなんて取れたわね」


 アイナは首をかしげながら腕を組んで石板を見つめる。達成率が低くてもAランクを維持しているとなると。

(実力的にはSランクでもおかしくない……?)


「まさか、ね」


 AランクとSランクの実力には、天と地ほどの差がある。そんな作り話みたいな現実などあるわけがない。ふとした思い付きを、アイナは笑って打ち消した。

 ちょうどその時、アイナの待ち人がツアーガイド部に姿を現した。姿勢よく歩く足元には、やはり白い獣がいる。リエトは受付に座るアイナに気づくとふっと表情を緩めた。


「来てたか、アイナ。昨日は世話になった」

「こんばんは、リエトさん。こちらこそ、ありがとうございました。お借りしてたハンカチ、返し忘れてたので」


 そう言いながら、アイナはデスクの引き出しにしまっておいたハンカチを差し出した。きれいに洗って、きちんとアイロンもかけてあるそれを見て、リエトは一瞬目を瞠り、小さく笑った。


「わざわざすまんな。そのまま返してくれてよかったのに」

「そういうわけにはいきませんよ」

「そうか? 使い古しだし、気にしなくていいんだぞ」

「そういう問題じゃありません。お借りした物を汚したまま返すなんて、女子的にナシです!」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなんです!」


 アイナの勢いにやや押されたように、リエトはその手にハンカチを受け取り、じっと見た。

 ハンカチとはいえ、黒の上等な布で作られたそれは、生地を傷めることもなく、刺繍のほつれもない。きっと丁寧に洗ってくれたのだろうと、一目でわかった。刺繍が表に来るようにきれいに折られている。丁寧にアイロンをかけてくれたのか、しわ一つない。リエトはアイナのその気遣いを好ましく思いながら、ポケットにしまった。


「ありがとう」

「どういたしまして。ところで今日は迷わずにこれましたか?」


 にこやかにアイナが問うと、リエトの顔が一瞬固まる。


「……さっきついて、食堂で食事をした」

「いつ出発したんですか」


 微妙な間に、アイナから容赦ないツッコミが入ると、わかりやすくリエトの目が泳いだ。


「宿で朝食を取ってから、だな」

「どこかに寄り道でもしましたか」

「武器屋とか……そうだな、道具屋とかを見た」


一見迷いなど微塵も感じさせないようなきりりとした目元をしているくせに、視線を泳がせながら言ったリエトを、アイナは怪しげに見る。


「一日迷って町をぐるぐるしてたわけですか」

「……察しているなら聞くな!」


 看破された途端に開き直ったのか、言い放ったリエトに、アイナは呆れたようなため息を返す。


「あの宿から徒歩五分とかからないじゃないですか……」

「いいだろうが、着いたんだから!」

「だけど、こんなんで日常生活送れませんよ。街中とか、案内がなくても大丈夫ですか?」


 若干子供の駄々のような言葉を吐いたリエトに、アイナは本気で心配し気遣うような視線を向ける。けれど、リエトは逆に得意げに胸を張った。


「街のほうがわかりやすいんだよ。山と違って、いろいろ目印になる物があるからな。慣れれば何とかなる」


 その答えに、幾分ほっとしながらアイナは笑みを浮かべた。


「それならいいですけど。でも、この街は中心部の広場から十字に大きな通りが延びてるので、広場の時計塔を中心に見てると迷いますからね。時計は通りに面して四方向についてますから、どの通りから見ても同じ形なんです。今自分がどの方向にいるのかわからなくなるかもしれませんよ。気をつけてくださいね」


 アイナがそういった瞬間、リエトの舌打ちが確かに聞こえて、足元の獣が、『キュイ』と鳴いた。


「……もうやったんですね」

「仕方ないだろう! 初めてきた町なんだ、まだ慣れてないんだよ!」

「早く慣れてくださいね。……いつになるかはわかりませんけど、滞在してるうちに」

「わかってるよ! 時間はかかるが、何日か滞在すれば何とか覚えられるんだ! ギルドはもう往復したから迷わないからな!」


 百戦錬磨のAランク冒険者の姿とは思えない。冒険を始めたばかりの初心者ならいざ知らず、これではどちらが年上かわからないではないか。むきになって反論するリエトに、アイナは笑った。

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