「あの馬鹿! すみません、お借りします!」


 誰が叫んだか。

 それを聞くか聞かないかのうちに、アイナはそばにいた老紳士の手から杖をひったくり、罵声とともに柵を乗り越えていた。

 

 男が卵に手をかけようとした瞬間、背後から鋭く舞い降りたワシが男の両肩をむんずと掴む。


「なっ!? うわっ、うわああっ! 離せ、離せーっ!」


 強襲に驚いた男が、ひっくり返った悲鳴を上げた。

 腕を抜こうと力を入れても、鋭い爪がさらに強く締まり、肉に食い込むだけだ。

 卵を狙う敵を前にして、親鳥は殺意をみなぎらせながら甲高く鳴いた。

 こうなればもう、つかまった人間が自力で逃れるすべなどない。


 力強いワシの羽ばたきに、男の足が地面から浮く。


「きゃああっ、フリックーっ!!」


 獲物を捕まえたワシが、逃れようともがく男を軽々と持ち上げる。

 連れの女がけたたましい悲鳴を上げたと同時に、到着したアイナが手にした杖をフルスイングしていた。


「ピイィィィィッ!」


 杖がワシの腹にクリーンヒットし、甲高い声とともに、男を離して吹っ飛んでいく。


 すぐさま、アイナはへたり込んだ男の襟首をむんずと掴んだ。


「立って。走って! 早く!」

「うわ、わぁっ!」


 そして、情けない悲鳴を上げながら足をもつれさせる男を急かして、走りだす。

 急がないとこっちが危ない。

 現に大きな獲物である二人をめがけて降下してきているワシを何羽も目の端に捉え、冷たい汗を背中に感じながらアイナは走った。


 そのまま引きずるようにして柵の内側に男を投げ入れると、自分もひょいと柵を乗り越えて安全地帯に戻り、はあはあとはずむ息を整えた。

 なんとか無事に戻れたことに、胸を撫で下ろす。


 ニジイロワシの成鳥は強くて頑丈だ。

 あの程度で死にはしないし、殴り倒さないと獲物を離さない。

 保護鳥とはいえ、危険な場合にはやむを得ず攻撃することが許されている。


 とはいえアイナだって、やりたくてやったわけではもちろんなかった。


「大丈夫かね?」

「はい、なんとか。これ、ありがとうございます。助かりました」


 両手を膝について息を整えていたアイナに、紳士が手を差し伸べてくれた。

 その手を借りて背中を伸ばすと、手を離し、代わりに借りた杖を返す。


 アイナはゆっくりと振り返った。

 そうして、『余計な手間かけさせやがって』と怒りを静かにまき散らしながら、若い二人ににっこりと微笑んだ。


「危ないところでしたねえ。私が説明した話、聞いてましたよねえ? 危ないというお話、しましたよねえ?」


「くそったれが…………! 俺は、聞いてねえっ!」


 嫌味たっぷりに、アイナが一言ずつ念を押すように問い詰めると、醜態をさらした上にへたり込んだまま、往生際悪く、男がどす黒い顔色でアイナに言い返す。


 けれど、そんな恫喝でアイナは引き下がらない。

 それがただの虚勢だってことはもうばれているのだから。

 そのまま、ますます笑みを深くして続ける。


「あんなに説明したのにですか? あなた方より後ろにいたお二人にも、きちんと聞こえているんですよ」


 そう言うと、老夫婦がしっかりとうなずいた。


「うるせえっ!」


 男はついに開き直った。


「お前らだって卵卵って騒いでたんだ、ほんとは欲しかったんだろう!? だから俺がわざわざ取りに行ってやったんじゃねえか! 

俺たちだけが悪いのかよ!? お前らだって、目の前に卵があったら手ぇ出すだろうが! きれいごとばっかり言うな! 客の言う事を聞かない役立たずのガイドなんかよこしやがって、慰謝料でも貰わねえと割に合わねえよ!」

「そうよそうよ! 遠いし、足はいたくなるし、つまらないし、フリックを危ない目に合わせておいてただで済むと思ってないわよね!?」


 理屈の通じないめちゃくちゃな反論に、誰もがただあっけにとられて見ているしかない。


 いい天気、絶景、美しい鳥たち。

 ツアーの条件は最高なのに。


 今この場の空気だけは格段に重い。


 けれど、二人のわめき声を笑顔で聞いていたそのアイナの顔が、すうっと無表情に変わった。


「お金、お金、お金。…………聞き飽きました」


 トーンの変わった声と表情に、二人は思わず口をつぐむ。


 彼らを冷えた目で見下ろしながら、アイナは口を開いた。


「あなた方は、道中五つのペナルティを犯しました。

一つ、立ち入り禁止の滝に飛び込んだこと。

二つ、ツキヨスミレの花を摘み取ろうとしたこと。

三つ、ほかのお客様とトラブルを起こしたこと。

四つ、ガイドである私の指示に従わず、柵を越えたこと。

五つ、採取禁止のニジイロワシの卵を取ろうとしたこと」


「だからどうした!」


苦し紛れの一言を、アイナは鼻で笑った。


「契約書にサインしましたね? 出発前に説明しましたね? 道中も何度も説明しましたね? 

ガイドの指示に従わない場合は、ギルドに強制送還します、と。

強制送還された場合、半年間のギルド使用禁止及びブラックリスト入りとなり、以降のギルド使用には制限が付きます。

契約書にサインをしている以上、言い訳は一切聞きません。そういう契約です。

事前にご説明しましたし、説明を聞いたという欄にチェックも入った上で署名がある立派な契約書です。これは重大な契約違反ですよ」


 ギルドは生活に根差した様々なサービスを受けられる。

 銀行や職業のあっせん、手紙や荷物の取り扱いもなど含まれるが、それらの主要なサービスが一切使えなくなるのだ。

 さすがに病院などの命にかかわることは最低限利用できるが、生活に困ることは間違いない。


 なによりも、この二人は偽りでなければ新婚旅行中だ。

 金銭の引き出し額に制限がかかり、旅券の発行を受けられず、宿泊先を紹介してもらうこともできなくなるのだ。

 ツアーどころの話ではなく、新婚旅行自体も強制終了となるだろう。


 アイナの淡々とした声と、自分たちに注がれる六人の冷ややかな視線。


 二人はようやく、事の重大さを悟り、蒼白になった。


「ちょ、ちょっと待てよ、なにも悪気があってやったわけじゃないって! だいたいお前が卵を取って来いって言うからだろ!?」

「何よ、あたしのせいにする気!? お金になるって言ったのはあんたじゃない!」

「俺はそんなこと言ってねえよ!」

「あたしに罪をかぶせる気!? 最低!」


 ついに罵り合いを始めた二人に、アイナもほかの客たちも白けた顔のままだ。


「往生際が悪いです。いずれにせよ、ペナルティまではいかなくとも、ほかのお客様への迷惑行為も加味しています。

これ以上ツアーへの参加を許可できません。

ガイド権限により、あなた方二人をギルドへ強制送還します」


 アイナは毅然とした態度で言い切った。


 バッグから契約書を取り出して、パンっと音と立てて掲げる。

 契約書は魔法紙で作られたギルドの特別製で、それ自体が魔力を帯びる。


 そこにある、二人の契約のサインが、カッと赤く光った。


「ちょ、まてぇぇぇ」

「きゃぁぁぁ」


 二人の悲鳴が渓谷にこだまする。

 契約書から放たれる魔力は、まるで赤い竜巻のように大きくなり、一気に二人を飲み込んだ。

 そのまま、契約書の印に吸い込まれる。


 わずかな残響を残し、二人の姿は跡形もなく消えていた。


 ふう、とため息をついて契約書をバッグにしまい込むと、アイナはくるりと振り向いた。

 その表情は、元の屈託ない笑顔に戻っている。

 …………ただし、少々自嘲的な色をにじませてはいたが。


「皆さんにはお見苦しいところをお見せしました。不快な思いをさせて申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げると、息を詰めて見守っていた老夫婦が、肩の力を抜いて笑いながら手を振った。


「まあ、仕方がないわよねえ」

「そうだな。私たちは気にしておらんよ」


 その後ろから、両親に守られるようにして事の成り行きを見守っていた少年が駆けてきた。 そして、興奮したようにアイナの足にまとわりつく。


「ねーちゃん、すげえ! あの紙見せて、ぴかーってなったらあいつらシュッって消えちゃった! ニジイロワシの次にかっこよかったぜ!」

「あはは、ありがとう」


 少年の得意げかつ微妙な批評に、アイナは苦笑いするしかない。


 これでひとまずツアーは平和になるだろう。

 もちろん、アイナにはガイドとして、ギルドに戻ってから顛末を報告する必要がある。

 客を強制送還させる事態になったとなれば、少なからず、アイナにも何かしらの処分はあるだろうが、それをほかの客に知らせる必要はない。

 

 彼女は内心でため息をついてから、にっこりと笑う。


「余計な時間を喰ってしまいましたね。それでは、もう少しワシを観察して、それから宿へ移動しましょう」


 それからはトラブルもなく、ワシや真珠色の大きな卵、景色をしっかり堪能して、展望台を後にした。

 遊歩道に戻ると、アイナは説明のために声を上げる。


「それでは、これから宿の方に移動します。本日の宿は、手作りパンと地物の野菜や肉を使った料理でおもてなしをするお宿です。明日の朝食のパンをご自分で作るコースになっておりますので、皆さん、頑張ってくださいね!」

「はーい!」


 兄妹が元気よく返事をする。

 高く澄んだ声は、アイナの疲れを吹き飛ばしてくれるようだ。


「私がご案内するのは、行きだけになります。宿から町までの帰り道のガイドは、宿のご主人に替わりますが、帰りはまた別のコースを通って、ギルドまで送り届けていただきますのでご安心ください。

ご主人は、ギルドからの委託を受けたガイドで、私よりずっとベテランですから、その点も心強いですよ!」


 アイナの話を、みんなはうなずきながら聞いてくれる。

 何かと食って掛かられる心配もなくなって、アイナの舌もなめらかだ。


「宿の周りは明かりもないですし、山中なので空気が澄んで、星がよく見えますよ。頼めば星の観察会をやってくれるんです。

食事も最高! 宿の名物は地鶏のシチューなんです。そのほかに手作りのハムやソーセージに、野菜たっぷりのキッシュ、しぼりたてのミルク、手作りバター。

数えればきりがありません」


「それは楽しみだなあ」


 家族連れの父親が、ごくりと喉を鳴らした。

 アイナ自身も、想像するだけでお腹がすいてくる。


 もっとも、今回は宿泊しないため、その味を堪能することはできないけれども。


「お部屋やインテリアもすごく素敵ですからね。楽しみにしてくださいね!」


そう締めくくり、アイナはにっこりと笑った。


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