もう一度がさがさっ、と茂みが動き、にわかに緊張する。

 山中を行く以上、獣に会う可能性は常にある。

 が、それがもし熊や狼だったら。


 アイナはカバンから一度しまった小旗を取り出した。

 腰を低く落とし、旗の先を前方に向かって構える。

 小旗の細い棒には、猛獣対策用に簡易の催涙剤が仕込んであるのだ。


 まずは落ち着いて、相手の正体を見極めてからだ。

 焦りは禁物。

 あわてると命取りになる。

 両親に護身術を叩き込まれたとはいえ、アイナの戦闘能力が高いわけではない。

 基本的に逃げの一手だ。

 退路をシミュレーションしながら、緊張が高まる。


 がさがさがさっ、とひときわ大きく茂みが音を立てて、そして。


『ピュイ?』


 かわいらしい鳴き声を立てて現れたのは、一匹の白い獣。


「え?」


 一瞬、息が止まる。


 狐と猫がミックスしたような、イタチのような、不思議な顔立ち。

 つんと尖った耳は長く、理知的な翡翠色の瞳は大きくくりっとしていて、首の周りにはふんわりした毛がまるで襟巻のように生えている。

 体は猫と犬の中間の、およそそこらに生息しているものとは違う生き物だった。


 が、とにもかくにも。


「かっ、かっわいいいい~~~~!!」


 アイナの叫びに、一瞬びくっと跳ねた獣の毛が逆立った。

 けれど、逃げる様子はないことに気をよくして、アイナはしゃがんでチチチっと舌を鳴らし、獣を呼んでみる。


 けれど、獣はちょっと首をかしげてみせるものの、そこから近づいては来なかった。

 諦めて、アイナは立ち上がり、まじまじと白い獣を見る。


「なんで獣がこんなところに……。はぐれたか、捨てられたかしたのかしら」


 その愛嬌のある顔立ちに一瞬毒気を抜かれかけたが、小さくても獰猛な場合もある。

 あわてて気を取り直し、アイナが再び警戒すると、獣はくるりと背を向けた。


(あ、行っちゃう)


 すると、獣は数歩でアイナの方を振り返った。

 そのまま見つめていると、再び歩きだし、アイナがついてこないと知るとまた立ち止まって振り返る。


「まさか、ついてこいってこと?」


 獣の様子を見るに、とりあえず敵意はなさそうだ。

 それに、アイナをどこかに案内しようとしているのならば。


(それだけの知能を持っているってことよね)


 そうだとしたら、ただの愛玩用の獣ではないかもしれない。

 何より、この獣の行先に興味がわいてきたのだ。

 …………父の相棒の獣に、目が似ていたから。


 一応警戒を続けながら、アイナは獣について歩き始めた。


 アイナがついてくるのを確認するように何度も振り返り、足場の悪いところではアイナを待ってくれる獣に感心しながら、十分ほど進んで見えてきた水場のほとりに。


 人が、倒れていた。


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