6
「ええええ!? なんでこんなところに!?」
思わずアイナは叫び、直ぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか!? しっかり!」
体を揺すっても反応がない。
けれど、触れた体は弾力があるため、死んではいないようだ。
仕方なく重い体をひっくり返して、確認したその顔に、アイナは一瞬息を呑んだ。
若い男だ。
…………しかも、心臓が止まりそうになるほど整った顔をしている。
日焼けしているせいか肌は浅黒いが、彫の深い顔立ち、高く通った鼻筋、少し厚めの唇がバランス良く配置されている。
まるで美術品の彫刻のような風貌に、面食らって呆然とするしかない。
今まで出会ったどの男性よりも、アイナの目を強烈に引きつけた。
「ななな、なんでこんな美形がこんなとこで倒れてるわけ……!?」
非現実的な光景にめまいを覚えつつ、アイナは気を取り直して男の肩を叩いた。
「もしもし! もしもーし! どうしたんですか、大丈夫ですかー?」
「ん…………う…………」
青ざめた顔の男が低く唸った。
ぴくりと瞼が動き、ゆっくりとあらわれた瞳は、サファイアのような深いブルー。
吸い込まれそうなそれに一瞬見とれたアイナは、はっと気を取り直した。
「大丈夫ですか? 怪我は? 具合が悪いんですか!?」
「…………は…………」
アイナの呼びかけに、男の顔が苦しそうに歪んだ。
もしかして、重症なのだろうか。
アイナは持っているバッグの中身を思い出す。
携帯しているのは応急処置のセットだけだ。
もし重症だとしたら、こんな山中では対処できない。
胃のあたりがひゅっと冷えた。
その時。
『ぎゅるるるるる~…………』
男の腹が、盛大に鳴った。
「…………腹が減った…………」
「はぁぁぁぁ!? しっ、心配して損した!」
思わず毒づいてしまったが、状況から見て遭難したと言えなくもない。
意識を取り戻したとはいえ、ぐったりしたままの彼の姿をよく見れば、かなり汚れた格好をしている。
こんな人も通らないような山中で、そうとうさまよったのではないだろうか。
その挙げ句に空腹で行き倒れていたとなれば。
(楽観視できる状況でもない…………のかも)
そう思い直して、アイナは急いでバッグの中を探る。短時間のツアーとはいえ、何かあった時のために携帯食は欠かさない。
が、運がいいのか悪いのか。
ちょうどその時、カバンの一番上に入れておいたホットドックの袋が、ころりと転がり落ちた。
途端、男がそれをむんずと掴む。
「あ、それは!」
「…………うまそうなにおいがする。いただきます」
言うなりその紙袋を開け、アイナが楽しみにしていたホットドックを、ものの三口で平らげてしまった。
止める間もなかった。
「あ、ああああああっ!」
「む、うまいな。助かった、ありがとう」
「ありがとうじゃなあああいっ!」
アイナは涙目で、頭を下げた男に詰め寄った。
「それはっ! 宿のおかみさんが夕飯に食べてねって! あなたにあげようと思ったんじゃない! 帰ったら食べようと思って楽しみにしてたのにいいいっ!」
今日は宿に泊まれないから。
その宿の味は、今日は諦めていたから。
だから、思いがけずご相伴にあずかれると思っていたのに。
アイナのあまりの剣幕に、男の端整な顔が引きつった。
「いや、その…………すっ、すまん」
――ぎゅるるるる~…………
謝った瞬間、また盛大に腹が鳴った。
水を差された形のアイナが、そのあまりにも大きな音にびっくりして男を見ると、彼は困ったように頭をかいた。
「あ~、その、二日ほど何も喰ってなくて…………」
「…………もしかして、二日間ずっと山で迷ってた…………とか?」
まさかと思いながら尋ねれば、図星だったのか彼はふいっと視線を外した。
その頬がわずかに赤いのは恥ずかしさからだろうか。
毒気を抜かれたアイナはため息をつき、持っていた携帯食のビスケットを二袋、水筒とともに差し出した。
「これも、よかったらどうぞ。水筒は、私が口を付けたものなので…………嫌じゃなければ、ですけど」
「ああ、遠慮なくいただこう。むしろ、君は嫌じゃないのか?」
「まあ、緊急事態ですから」
「そうか。…………ありがとう」
艶のある低い声で穏やかに礼を言われると、一瞬ドキッと心臓が跳ねた。
彼はすぐに袋を開けて、ビスケットを口にする。
一言も話さず黙々と頬張る姿はよほどお腹が減っていたと見えて、アイナは図らずも彼を救う形になったことに幾分ほっとする。
白い獣はその間、傍らにちょこんと座っておとなしく待っていた。
――やはり、主人持ちだったのか。
アイナは、ふと心によぎった寂しさを振り切るように笑った。
「いい子ね。ご主人様を助けに来たのね」
そっと頭を撫でると、獣はアイナを見上げて首をかしげた。
だが、ビスケットの最後のかけらを口に放り込んだ彼が、じろりと獣を睨む。
「そいつは疫病神だ。触らない方がいい」
「えっ、どうして? こんなにかわいいのに」
彼はアイナの問いには答えず舌打ちをして水筒のお茶を呷った。
そして両手を合わせる。
「ご馳走様でした。…………俺はリエトという。冒険者をしているんだが、道に迷ってしまったんだ。君は?」
「私は、アイナです。フォルテックの町に住んでます」
「フォルテックか。ちょうど俺もそこに向かっていたところだ。…………だが、こんなところにいるということは、君も道に迷ったのか?」
途端に顔を曇らせるリエトに、アイナは笑って手を振った。
「私はガイドです。ここはちゃんと道もわかって通っているので大丈夫ですよ」
そのアイナの答えに、リエトと名乗った彼はほっとしたように笑った。
自身が山中で迷っていたのだ、アイナも同じかもしれないと不安だったのだろう。
それほどに、この場所は深い。
「そうか。それなら…………悪いが町まで案内をしてもらいたい。報酬は払う」
「ガイドのお仕事は終わってますし、単なる通りすがりですから報酬はいりませんよ。立てますか? そろそろ出発しないと、町に着く前に日が暮れます」
「ああ、大丈夫だ。よろしく頼む」
そう言って、リエトが立ち上がる。
アイナの視線がぐうっと上に持ち上がり、栗色の瞳が丸くなった。
(わあ、大きい…………!)
リエトはアイナより頭二つ分も大きかった。
肩幅も広くて、均整がとれた体つきをしている。
姿勢もよく、もっと身なりを整えれば女性の方が彼を放っておかないだろうと容易に想像できた。
「じゃあ、出発しますね。道らしい道がないので、足元ばかり見ているとはぐれてしまいますから、私の背中を見てついてきてください。危険な箇所は私が注意をしますから、従ってくださいね」
「わかった」
そして、アイナは歩きだした。
白い獣は、寄り添うようにアイナについてくる。
リエトとは歩幅が違うので、多少急いだとしても置いていくことはないはずだ。
さっき獣の先導で下りてきた場所を上がり、元の道に戻って、町の方に針路を定めた。
…………が。
「あの、リエトさん。そっちじゃないです」
なぜかどこかに分け入ろうとする彼を見て、アイナはいぶかしげに眉を寄せながらその背中に声をかけた。
進路がわからずに迷っていたはずなのに、どこになんの用があるのだ。
茂みをかき分けた姿勢のまま、リエトが顔だけをこちらに向ける。
「この木を右に曲がってさっきのところに下りたはずなんだ。だから、左に曲がれば元の道に戻れるかと思ったんだが」
リエトは真顔で答える。
ふざけているようには見えないが、アイナはため息をついた。
「どっちの方向から来て右に曲がったんですか?」
「確か、赤い実をつけた低い木があったはずだ」
「…………たくさんありますけど、どの木ですか?」
「…………」
アイナの指摘に、リエトは難しい顔で黙る。
この季節、小さな赤い実をつける灌木がそこかしこに生えている。
食用にならないので誰も手は出さない。
どの木を目印にしたかなんてわかるはずがなかった。
「あの、ちゃんと私が案内しますから、ついてきてくださいね?」
「…………わかった」
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