18
そこで一旦言葉を切り、視線を落として依頼書を書き込むリエトの顔を見ながら、ふとアイナは口を開いた。
「あの、素朴な疑問なんですけど」
「なんだ」
顔を上げずに聞き返すリエトのくせのある黒髪を見ながら、アイナはさっき石板で調べたリエトの活動履歴を思い浮かべた。
「リエトさん、高レベルの依頼を結構受けてますが、達成率がよくないですよね。採取や探索系の依頼が多いみたいですけど、今日みたいにガイドを雇えばもっと達成率が上がるのでは?」
彼女の言葉に、リエトは顔を上げた。
また地雷を踏んだかと、アイナはつい身構える。
「毎回ちゃんと雇ってる。一応、地理とか地図とかが苦手だというのは……自覚している」
「自覚してるんだ……。その割に頑なですよね……」
「そこは置いとけ。いちいち突っ込むなよ、話が進まん」
「はあい」
さすがに突っ込まれ疲れたのか、彼の力のない声にアイナは肩をすくめた。
広げた地図に視線を落としながら、リエトの指が何かを考えるように目的の場所をなぞる。
「高レベルの探索だけあって、現場も険しい場所だったり獣や魔獣の生息地だったり、過酷なことが多い。そこについてきてくれるガイドってのは少ないし、資格はあっても実戦に向かないガイドも多くてな。なかなかうまくいかないんだ」
「なるほど」
確かに、一時的な付き合いとはいえ、道中ずっと一緒にいる以上、自分の合うレベルかどうかは大事な要素だ。
それが噛み合うかどうかで、依頼の成否も変わる。
続けたリエトの言葉は。
……今度は歯切れが悪かった。
「それに、どっちかというと相性の方が大きいな。俺は、他人と話すのが得意な方じゃない」
「え、そうですか?」
驚いたようなアイナの声に、リエトは紙に視線を落としたまま、小さく笑った。
相性が悪いとガイドとの連携がうまくいかずに、依頼も失敗に終わるケースがある。
実は意外と大事な要素だ。
「ああ。俺の物言いは、どうも相手の気分を害するらしい。アイナはよくしゃべってくれるから気楽でいいがな」
「うう、おしゃべりが取り柄って言われてるみたいで複雑……」
「褒めてるつもりなんだが」
リエトは首をかしげたが、確かに言葉の選び方が若干下手かもしれない。
けれど、それを不快に思わないということは、自分とリエトは相性がいいのかもしれない、とアイナは嬉しくなる。
……無自覚に喜ぶ理由には、まだ気づかいてないけれど。
「意外と苦労してるんですね」
「意外とは余計だ」
無邪気なアイナの一言に、リエトは舌打ちで返した。
それから、顔を上げて書き終わった依頼書をアイナに手渡しながら、問いかける。
「アイナ、今日は何時上がりだ?」
「八時半です」
「食事は」
「もう食べました」
「そうか、この間の礼に何かおごろうかと思ったんだが」
大人なら仕事の後に食事というのも不思議ではない。
けれど、アイナはまだ学生だ。
笑って手を横に振ってみせる。
「本当に、昨日はたまたま通りかかっただけですから、気にしないでください。それに、学生寮の門限が九時なので、時間もないですし」
「そうか、しっかりしているからつい忘れがちだが、まだ子供だったな」
「それこそ余計なお世話です! だからうまくいかないんですよ!」
「最近は相性のいい奴だけ相手していればいいかと思い始めたところだ」
ぷうっと膨れた頬を指でつついて、リエトは笑った。
「しかし、夜の一人歩きは危ないな。昨日のようなこともあるし」
「いえ、昨日はたまたまですから! いつもはあんなことないですし」
「そう言われてもな。目の前で見てしまうとどうしても心配だ」
リエトはわずかに眉を寄せ、アイナを見下ろしている。
心配そうな色を見てとって、アイナの心臓がどくんと鳴った。
確かに、大通りをまっすぐ歩いて七、八分程度とはいえ、アイナ自身夜の帰路に不安はある。
けれど、そんな自分の心配よりも。
「リエトさん、宿に戻れなくなりますよ」
「それはなんとかなるだろう」
「どうの口が……」
リエトの無責任発言に、もう、とアイナは呆れてため息をつく。
昼はともかく、夜は屋台が出て、町の様子は昼間とは一変する。
リエトは周りの景色で道を覚える男だ。
なにしろ、空に浮かぶ雲を目印にするくらいだ。
景色が変われば、彼に勝ち目はない。
すると、帰り支度を済ませたミーリスが横合いから口を挟んだ。
「アイナ、せっかくですもの、甘えたらいいじゃない?」
「でも……」
アイナにとって、リエトはたまたま仕事帰りに拾って帰っただけで、ここまでしてもらう理由はないように思える。
だからいまいち素直に受け取れないし、かえって申し訳ないような気がするのだ。
「だって、あなた前に帰り道が怖いって言ってたことあったじゃない。誰かに後をついてこられている気がして怖かったって」
「そ、それはあのときだけで!」
ミーリスがそんなネタを投下した途端、ピリッと空気が焼けて、アイナはリエトにぱっと視線を戻す。
眉間に深いしわを刻んだリエトと目が合って、やっぱり一瞬息が止まる。
見透かされそうな、深いブルーの瞳に吸い込まれるような気がした。
「それはなおさら捨ておけないな」
「帰り道の心配をしなきゃいけない方がよっぽど気を使うんですってば! だからダメ!」
「聞き分けがないな……」
ぴしりと断った途端、リエトはちっと舌打ちをした。
瞬間、手首を取られてぐいっと引き寄せられる。
カウンターに半ば乗り上げるような姿勢で、リエトの整った顔が一気に間近になった。
「な、ちょっと、わあぁっ」
色気のない悲鳴を上げてのけぞっても、がっちりと捕まえられた手はびくともしない。
必死に手を引っ張るアイナに、リエトはふっと笑った。
「それで抵抗してるつもりか」
「それは悪役のセリフです!」
「悪役じゃない。実際に悪いやつがいたらどうするつもりだ。俺に手首を取られただけで逃げられないだろう」
ふっと細くなった目に見下ろされると、なぜか押さえつけられているウサギのような気分になって体が動かない。
思わずすがるようにリエトを見上げると、その笑みに艶が増した。
「そんな目で見るな、連れて帰りたくなってしまう」
※ここまでお読みいただきありがとうございました!
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