14
「リエトさん!」
突然のことに驚くアイナに、リエトは大丈夫というようにうなずいてみせる。手にしていたものは、既に元のホルダーに戻されていた。
「おいおい、だから飲みすぎだといったじゃないか。こんなところで寝ちまうなんて困ったもんだ」
リエトが男を抱きかかえるようにしながら、わざと大きな声で言う。言われてみれば、男はすうすうと寝息を立てているようだ。
「おい、誰かこいつの連れか泊まっている宿を知らないか?」
遠巻きにしている人々を見回して大声で呼びかけると、一人の男が人ごみを掻き分けるようにしてやってきた。汗をぬぐいながら、あわてて男の元に駆け寄る。
「ああ、こんなところに! ちょっと酒癖が悪くて……すみません、ご迷惑を……!」
そう言いながら、そそくさと男を引き取り、引きずるように立ち去ってしまう。
すぐに人波に紛れて消えた彼らを見やって、リエトは鼻で笑った。
「あれは、今までにも酒でトラブルを起こしてる感じだな。まあなんにせよ、何事もなく済んでよかったな」
「あ、ありがとうございます」
そして、アイナに流した視線は、わずかにきつい。
「お前も、酔った男にけんかを売るな。腹が立とうと、逃げるが勝ちってこともある」
「それは……そのとおりです。すみません」
「それに、お前は女だ。俺からしたらまだ子供だとはいえ、さっきのアレのように変な目で見てくる奴もいる」
「はい……」
リエトの言葉は正論だ。ぐうの音も出ない。おまけに子ども扱いまでされて、悔しくて唇を噛んだ。
けれど、次の瞬間。
くい、と指で顎を取られて持ち上げられた至近距離で、リエトの深いブルーの瞳に射抜かれた。
「アレが君に言ったことはこれ以上ないくらい不愉快だったが、かわいいと言ったところは同意する。少しは自覚したほうがいい」
「はい……って、ふぇ!? えええ!?」
なんだこれ。なんなの、今何を言われたの!?
リエトのきれいな顔面に至近距離で告げられた言葉の破壊力はすさまじく、アイナは真っ赤になって身悶える。けれど、なぜかリエトはますます不愉快そうに眉を寄せて、さらに顔を近づけた。
唇に、吐息が触れるほどに――。
「おい。わかったのか? どうなんだ?」
「ひゃあっ!? わかった、わかりましたから! 近すぎ離れてぇぇ!」
「わかればいい」
リエトが手を離すと、アイナはその場にへたり込みそうになった。顔を武器に使うなんて卑怯な……!
けれど実際、リエトがいなかったら、そのまま強引に連れて行かれていたかもしれない。もしそうなったとき、アイナ一人で対応できる自信はなかった。
素直に反省した様子のアイナにうなずいてみせて、リエトは歩き出した。
「あの……リエトさん、宿はこっちです」
アイナにさりげなく指摘されて、リエトがくるりと方向を変えて戻ってくる。その口元がひくひくと引きつっているのは、助けてもらったことに免じて見ないことにしておいた。
あ、と思い出したように、アイナはリエトの袖を引いた。
「ところで、さっきの! 何か使ったでしょう!? なにしたんですか?」
「ん? これを使ったんだが」
上着を少しだけめくって、ホルダーに差さったものを見せられた。
L字に曲がった道具は、持ち手に筒がついたような形のもの。本体は金属でできているようで、重そうだ。そうそうお目にかかれない代物だろう。
濃紺の塗装に、持ち手とみられる握りの部分はあめ色の木材がはめ込まれている。銀の装飾がついて、武骨ながらも美しい。
「見たことあるか?」
「もしかして、魔銃……ですか?」
確認するように見上げたアイナに、リエトは正解とでも言うようにうなずいた。
「そうだ。たまたま睡眠の弾を入れていたから、ちょうどよかった。」
「前に見たのと違います。大きいし、きれい……」
アイナが再びホルダーに視線を落とし、感嘆のため息交じりにそう言うと、リエトは苦笑して上着を下ろす。
「借り物だ、俺のじゃない。ま、褒められて悪い気はしないがな」
「すみません、じろじろと。あ、こっちです」
アイナの案内で大通りから左に曲がると、目的の宿はすぐだった。
石造りの建物はこぢんまりとしていて、少し古びているように見えるけれど、掃除も手入れも行き届いている。
「ここです。受付で紹介状を見せればすぐ受付してくれますから」
「何から何まで、世話になったな。助かった」
「本当ですよ。私が通りかからなかったら、どうなっていたことか」
「まったくだ」
アイナの呆れ交じりの言葉にそう言って、リエトは苦笑する。……が、その顔が、優しい笑顔に変わる。
「アイナ、ありがとう」
大きな手が、くしゃりとアイナの頭を撫でた。
硬い指の感触が、髪越しに伝わった。どきん、と心臓が鳴る。少し、顔が熱い。
(くっそう、美形の笑顔は反則よ!)
じとりと上目でにらんでみるが、リエトは気にした風もなく続ける。
「明日またギルドに寄らせてもらう。冒険者登録をして、依頼を受けなければならないしな。明日は何時からいる? 平日だし、学校があるんだろう?」
「あ、はい。学校が終わって、夕方の六時から八時半までいます」
「わかった。その時間には顔を出す。じゃあ、明日な」
「はい、わかりました。また明日」
ぺこりと頭を下げると、それまで肩の上でおとなしくしていた獣がするりと下りてしまう。そのままリエトの足元に駆け寄るが、彼は見向きもしない。
途端にすうすうと涼しくなった首元が少し寂しい。獣の方も、名残おしそうにアイナを振り返る。残念だけれど、主はリエトだ。――どんなに本人が認めていなくても。
「じゃあ、獣ちゃんもまたね」
ふっと心に吹いた隙間風を忘れるようにアイナは軽く手を振り、寮に向かって歩き出した。
「今日は盛り沢山な一日だったなー」
ガイドをして、客を強制送還して、リエトと獣に出会って、こんな時間までともに過ごした。ちょっと強引で俺サマっぽいところもあるけれど、案外優しいし、いい人そうだ。悪くない出会いだったと思う。
そこまで考えて、はたと気づいた。
「あれ? なんで明日私に会いに来ることになってるの?」
あまりにも自然に「明日な」なんて言われて、「はい」と返事してしまった。イケメンの言葉って恐ろしい……! それともこれは天然タラシのスキルなのか!? そもそも会いに来る理由がわからない!
「いやもう、ほんとなんなの、あの人……」
もうすぐ寮に着くあたりで、なんでこんなに首元が涼しいんだろう。獣ちゃんがいなくなったからかな……と、首を触って、はっとした。
「ハンカチ、借りたままだった!」
あわてて髪をくくったままのハンカチを引き抜いた。ふわりと落ちた髪が首元を覆う。
黒地に少しだけ銀糸の刺繍が入ったハンカチは上質そうなものだった。けれど、長いことアイナの髪を縛っていたせいで、くしゃくしゃにしわが寄ってしまっている。
アイナは手にしたハンカチを丁寧に畳んでポケットにしまう。寮に帰ったらきれいに洗って、アイロンをかけておこう。
「明日も来るって言ってたし、明日返そうっと」
ハンカチをしまったポケットをポンポンと叩いて、アイナは足取りも軽く寮への道を急いだ。明日リエトに会えるまでが、なぜか待ち遠しくて仕方がなかった。
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