第4話 結
一週間後、わたしたちは新宿に向かいました。
船井先輩がミニバンを借りて、それで移動しました。レンタカーは作戦を実行するクラブの近くで待機。逃亡用です。そして安木先輩と長野先輩が、わたしと小笠原先輩がペアになって、クラブに向かいます。全員大きな鞄を提げているので少し不自然です。なるべく人に見られないように、そそくさと歩きます。
入口に立つ茶色い髪を逆立てたサングラスの人にチケットを差し出して、まずは安木先輩と長野先輩が中に入ります。時間差で入ろうと決めているので、わたしたちはもう少し後です。そして何人かクラブに入った後、いよいよ小笠原先輩が行動開始を告げます。
「俺たちもいこーか」
来た。わたしは唾を呑み、このタイミングで言おうと思っていた言葉を口にしました。
「小笠原先輩」
「なに?」
「好きです」
「うん。俺も好きー」
――そうです。小笠原先輩はこういう人でした。わたしは笑いました。そして気恥ずかしさを隠すように、少し大股でクラブに向かいました。
中に入るとすぐに、色とりどりの光で照らされたステージとその奥のターンテーブルが見えました。ステージの周りにはボックスの座席が配置されています。そして既に人が大勢いて、音楽も流れていました。
わたしたちはまず暗がりに必要なものを設置して、事前準備を整えました。そして、ターンテーブルに向かいます。途中、長野先輩が安木先輩にしなだれかかる形で座っているのを見つけました。知らない男に声をかけられないための策。安木先輩は役得ですけど、なぜか嫌そうな顔をしていました。
ターンテーブル近くまで来て、「じゃあ、よろしくねー」と小笠原先輩がわたしから離れました。わたしは「はい」と頷き、リモコン代わりのスマホを取り出します。ネットワークで電子機器が遠隔操作出来る時代。便利になったものです。
――音楽が途切れたら、スマホのスイッチを押す。
心の中でやるべき行動を復唱します。音楽が途切れたらスイッチを押す。音楽が途切れたらスイッチを押す。音楽が途切れたら――
途切れました。
小笠原先輩がターンテーブルの電源を抜いたのです。周囲がざわつきます。わたしはすぐ、スマホのスイッチを押しました。
『メスブタおーーーんど!』
甲高い合成音声がセットしておいたスピーカーを通じて、長野先輩が作詞作曲した「雌豚音頭」を歌い始めます。陽気でどことなく間の抜けた音楽に合わせ、無駄に破壊力のある歌詞。クラブにはざわつきすら起きず、ただただ、みなさん呆けていました。
『メッスブタ♪ メッスブタ♪ ブヒッ♪ ブヒッ♪』
すいません、そろそろフォロー出来ません。本当に、本当に最後に一回だけ言っておきますと、長野先輩はとても可愛らしい女性です。猫の小物を集めています。
『ではこれより、イベントサークル『DRAGON』による強姦被害について、被害女性の証言を流させていただきたいと思います』
流れ続ける音楽を背景に、吉永さんから聞いた話を再構築して百倍ぐらい大げさにした告発が流れます。場にざわつきが戻ってきました。
その些細なざわつきを、突如噴き出た火花が喧騒に変えます。
安木先輩たちがドラゴン花火に火を点けたのです。地面にセットした筒から火花が溢れ出す、簡易打ち上げ花火のようなアレです。噴き出した花火に気を取られていると、また別の場所から火花が上がります。次々と連鎖する花火によって会場に煙が充満し始め、出入口に向かって人々が殺到します。
『そして男たちは十人がかりで私の全身を抑えると……』
「おい、警察呼べ!」
「呼べるわけねーだろ! 幹部全員捕まんぞ!」
残念、もう呼んでいます。サークル幹部と思しき二人の男性の会話を聞きながら、わたしはニヤリと笑いました。そしてとうとう火災報知機が鳴って、室内に雨が降りはじめました。スプリンクラーです。
ぜんぶやろう。
小笠原先輩はそう言いました。そうです、ぜんぶやるのです。天国に沢山の思い出を持って行けるように。小笠原先輩が笑って死ねるように。
わたしたちが思いついたこと。
やりたいと思ったこと。
全て、やりきるのです。
人工の雨粒が髪の毛を濡らします。髪を濡らす水は頬を伝って、涙のように落ちて行きます。本物の涙がいくつか混ざっていることを、わたしは知っています。なぜだか動けなくなって立ち竦むわたしの手を、温かくて大きな手が包みます。
小笠原先輩でした。
小笠原先輩はわたしの手を引き、クラブの出入口に向かって走り出しました。そして満面の笑みを浮かべながら、朗らかに言い放ちます。
「上手くいったねえ!」
わたしは震えそうになる声を必死で抑えながら、出来る限り明るく答えます。
「そーですね!」
「楽しいねえ!」
「そーですね!」
「死にたくないねえ!」
どさくさに紛れて小笠原先輩が弱音を溢します。小笠原先輩がいつもへらへらしているのは、きっと周りに笑っていて貰いたいからなのです。ならばわたしも笑うしかありません。へらへら笑いながら答えます。
「そーですね!」
人ごみを抜けてクラブを出ました。走って、走って、船井先輩が待機している車に乗り込みます。安木先輩と長野先輩は既に一番後ろの座席に座っていました。わたしたちが乗った瞬間、船井先輩が車を発進させ、同時に小笠原先輩が叫びました。
「みんな、お疲れー!」
お疲れ様でしたー。全員がそう答えました。そして何がおかしいのかも分からないままに、しばらくケラケラと笑い続けました。
◆
船井君の家で祝勝会をしよう、と小笠原先輩が言い出しました。
お酒を買うため、近くのスーパーの駐車場に車を停め、全員で降りました。そしてしばらく歩いた後、小笠原先輩が「あ」と声を上げました。
「財布忘れた。船井君、鍵貸して」
船井先輩が「はい」と鍵を渡しました。小笠原先輩は踵を返し、そしていきなり、わたしの手を取りました。
「一緒に来て」
はいと答える間もなく、小笠原先輩はわたしを車まで連れて行きました。船井先輩たちには気づかれましたが、特に追いかけてはきませんでした。そして小笠原先輩は車まで到着すると、まずは助手席の扉を開けました。
「乗って」
意味が全く分かりません。でも乗りました。すぐに小笠原先輩も運転席に乗り込み、エンジンをかけます。ここまでくれば、さすがに分かります。
「小笠原先輩、あの……」
「シートベルトしてね」
ガン無視です。わたしは言われた通りにシートベルトをしました。小笠原先輩はわたしの予想通り、車を発進させました。スーパーに向かう方に進み、窓を開けて、今まさにスーパーに入ろうとしている船井先輩たちに向かって叫びます。
「船井くーん! これ借りるねー!」
そもそもレンタカーです。船井先輩は信じられないものを見る目つきでこちらを呆然と眺め、やがてわたしたちに走り寄って来ました。
「ふざけんなああああああ!」
船井先輩が自分名義で借りて来た車だけあって必死です。でも小笠原先輩は何の躊躇いもなく車を発進させました。やっぱり、どうしても、常識人ほど小笠原先輩には振り回されます。
スーパーの駐車場を出て、しばらく走ると、運転席と助手席の間の台に置いてあった小笠原先輩のスマホが震えはじめました。小笠原先輩はハンドルを握って前方を見つめたまま、わたしに頼みごとをします。
「それ、電源切っといて」
いいのかな。まあ、いいか。わたしはスマホの電源を切りました。そしてこれだけはどうしてもスルー出来ない質問を小笠原先輩にぶつけます。
「あの……何してるんですか?」
「デート」
車が赤信号で止まりました。目を見開いて固まるわたしの顔を、小笠原先輩が怪訝そうな表情で覗き込みます。
「俺たち、両想いでしょ?」
わたしは、間違いなく人生で一番勢いよく、首を縦に振りました。
「はい!」
歩行者用の信号が赤になります。小笠原先輩は視線を前方に戻し、アクセルを踏み込む準備をします。そして楽しそうに横顔で笑いながら、わたしに話しかけます。
「どこ行きたい?」
「海、行きましょう」
「いいねえ!」
自動車用の信号が青になります。車が発進します。加速して、加速して、このまま来世まで行ってしまうんじゃないか。新しい命を手に入れて、全部真っ白になって、また出会い直せるんじゃないか。そう思えるぐらいの速度で、わたしと小笠原先輩を乗せた車は、しばらく直線の広い道路を走り続けました。
◆
余命半年と言われた小笠原先輩は、結局、一年近く生きました。その間もわたしや船井先輩たちを巻き込んで、さんざん、いろいろ、しでかしてくれました。
小笠原先輩が天国に行けたかどうかは分かりません。だけど病院のベッドに横たわった小笠原先輩は、がりがりにこけた顔でへらへら笑いながらこう言っていました。
「考えたんだけどさー、俺、天国に行けるような良いことはしてないけど、地獄に行くほど悪いことも別にしてないんだよね。だから天国と地獄の中間に行くと思うの。中国。でさ『蜘蛛の糸』って話あるでしょ。天国から地獄に救いの糸を垂らすやつ。あの糸、天国から地獄に垂れてるってことは、中国も通ってるわけじゃん。で、俺は別に中国に不満があるわけじゃないんだけど、『なんか垂れて来た!』と思って糸を登っちゃうと思うんだよね。そしたらさ、あの糸、切れるでしょ。糸につかまってた人たちはみんな地獄に行っちゃうでしょ。中国にいた俺も勢い余って地獄まで行っちゃうでしょ。たぶん俺って、そういうやつ」
◆
あなたの回りで一番ちゃらんぽらんな男の人を思い浮かべてください。
笑っていませんか?
わたしが思い浮かべる小笠原先輩は、いつも笑顔です。
笑顔なんです。
小笠原先輩は余命半年 浅原ナオト @Mark_UN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます