この物語をタイトル以外で的確に表す言の葉を私は知らない。

普遍性のあるレビューを求められている場でいかにもカクヨム的な表現を用いるのは気が引けますし、大事な冒頭をこのような話からはじめるのもいささか気後れはしますが、私はもともと「この作品は★が3個では足りない」といった言葉から開始された、しかし(超主観的には)中身の薄いレビュー文にあまり良い印象を抱いていませんでした。もちろんその作品への強い想いがこちらまで伝わってくるようなレビューは話が別ではありますが、兎角私は個人的にそのような表現を好いていませんでしたし、従って自分自身が使うことは決してないだろうと半ば約束事のように思っていました。
しかし私は、やはり超主観的に断言します。
この作品を評価するには、★3個などでは到底足りません、と。

もともと私は本作がカクヨム内で注目を集めだしていた時期に一度手に取り、しかし途中離脱した経緯があります。それは主人公の特性、物語の中でしかるべくして与えられた彼の苦悩が、気軽に読むには重すぎたということが原因でした。といっても本作の文体は変に固く気取らない一人称視点であり、地の文にも心情が適度に染み出している平易な文章です。決して読みにくかったというわけではなく、むしろこれほど読みやすい文章は他にあまり例を見ないほど、私にとっては可読性の高い文章でした。
しかし私は主人公の抱える悩みと物語の伝えんとしていることを、真正面から受け止めるだけの覚悟と心構えを持つことができず、離脱していました。
彼らに、作者に、失礼な行いだと思ったからでした。

時を経て二度目に本作を手に取ったのが今回のことです。この頃になると本作はすでにカクヨム内のビッグコンテンツの仲間入りを十二分に果たしており(それは作者様の当時の近況ノートからも明らかでしょう)、今度は前回とはまったく異なる理由で、手に取ることすら躊躇われる状況でした。
私は必要とされる覚悟のハードルが嫌が上にも高まってしまったような感覚を覚え、気後れしていたのだと思います。

しかしもう一度断言します。この作品を評価するには、★3個などでは到底足りないと。

一気読みでした。心を掴んで離さない言葉や表現が、やはり心を掴んで離さない人々の心情とともに立ち現れて、私のことをまったく逃がしてくれませんでした。実は私があまり好んでいない表現にはもうひとつ「この作品を読んで泣きました」という系統があります。しかし私は数話を読んだ時点で「これは泣くかもしれない」と直感しました。いや、それはもはや確信でした。
私はここカクヨムで初めて、作品を拝読する中で実際に涙を流しました。
涙の情動を直感したとき、私は同時に胸にやりきれないわだかまり、より言葉を砕けば正直なところ吐き気のするようなもやもやをも同時に胸に抱えていました。私は素直に困惑し、感情を言語化しようと試み、そして挫折しました。読み進めれば何か明確化するための手がかりが得られるかもしれないと期待し、実際に自分が泣いてしまうか、あるいは読書体力が完全に底を尽きるかのどちらかの時が訪れるまで、ページをめくることを決意しました。それはもうほとんど意地でした。そうさせるほどの力が、魅力が、引力が、この作品にはありました。
そして先に述べたように自分が泣いていることを理解したとき、ああ、これが自分が求めていた瞬間だったんだな、と漠然と思いました。

それは主人公を愛してくれる等身大の女性が、誰もが納得できる形で彼への愛を示し切った瞬間で――その行動は物語の中で感動し暴動を起こすことが設定されたその他大勢の心だけではなくて、モニターの向こう側にいるまったく関係のない生身の、読者の心をも揺さぶる力を持っていたのだと思います。
愛と言えば一言で片付く感情を誰にでも納得できる形で描き出すのは本当はとても難しいのに――彼女はそれを、やってのけました。愛を人前で発露するのは難しいだとか、人前で問題行動とみなされる大きなアクションを起こすのは難しいだとか、そういったこととはまったく別次元の難しさを持つ「純粋な愛を証明する」という行いが、そこには克明に刻まれていたのだと思います。少なくとも私にはそう映りました。

これだけで、このシーンに辿り着いただけで、私は本作を読んだ甲斐があったと心底感じました。

その女性、あるいは主人公の彼女が、どこまでも純真に主人公を想い続ける人間だったこと。その愛を、主人公も痛いほど理解していたこと。しかし主人公は、その想いに応えてあげられないこと――タイトルにもある通り、主人公が同性愛というものに向き合っていくことが当然本作の主題、主軸でしょう。しかし彼女が貫いた愛は、決してその主題を装飾し、彩り、深みを持たせるためだけの舞台装置ではありませんでした。彼女の心は主人公の目からも痛いくらいに伝わってくるほど鮮烈です。そしてその愛情の在り方それ自体が、本作が「同性愛」だけではなくより普遍的な「愛」を語るための物語になる必要条件の主翼の大部分を、これでもかというほど担っていたのだと思います。

同性愛は愛のひとつの形にすぎない。

言葉で表せば至極当然に見えるこのステートメント――これを本当に血の通った信条に引き上げるとき、あるいはその信条を獲得するための心情のカケラを探し求めるとき、彼が彼女から受けたような一途で一心な愛なくしては、その試みは十中八九失敗に終わるでしょう。
彼女が主人公に向けた愛はもちろん異性愛ではありますが、心の底から誰かを愛するという心の揺れ動きそのものを間近で知り、そして実感させられるためには、彼女の存在は必要不可欠でした。
彼女の存在は偉大でした。
と、私は思います。

私の胸に響いた本作の大きな魅力は(小さな魅力まで語りだしたらきりがありません)もうひとつあります。満を辞して、主人公「僕」の登場です。

本作を読む上で避けては通れない要素ですが、彼は自身の性趣向に関して深く暗い悩みを抱えていました。悩みと呼ぶにはあまりに大きい苦悩かもしれません。彼はそれを中身の見える透明なガラスケースに閉じ込めながら、しかし毎日欠かさず眺めて日々を過ごしています。いつ何時もそれに思索を巡らせ、苦しみ、向き合い、ある意味では逃げ、自己嫌悪と他者嫌悪の境をブランコのように往復し、しかし肝心なところで自身が立ち行かなくならないよう、距離を置いて眺め、部分的に割り切るように。
彼の抱える問題と苦悩は主張としてはいたってシンプルですが、しかしまた現実世界に投影すると途端に複雑になります。悩みというものは得てしてそうだとはいえ彼の場合はそれが顕著で、内包しているのは簡単なレッテル貼りで単純化できない、してはいけない、噎せ返るような生々しさです。しかし実社会では、簡単なレッテル貼りが横行した果ての本質捨象祭りで組み上げられた世間のイメージ、その無理解さが彼の内心を搔き乱し続けます。そしてその苦悩というのは、物語で終始ぶれることなく一貫しています。

異性愛者が夢見る幸せの形は自分だって同じように夢見ている。できることならこの手に実際に叶えたい。妥協でも偽りの顔でも社会的体裁でもなくそうした「普通」と見倣される未来を築きたい。ただシンプルに、同性とは違い異性には体が反応してくれない。ただそれだけのことを、人は理解してくれない。

彼はそれを作中で何度も何度も、誰と接するときもどこにいるときも、どんな状況でも、折に触れて痛感することになります。そして徹頭徹尾、主人公は自身の性趣向が生む問題の根源を、その責任の所在を、愛せないという気持ちではなく反応しない体に見ていたように思います。そういうふうに体ができているからどうしようもない。結果心までもが影響されている(とはいえ、そのさらに根元には成長途中における父親の不在という精神的欠損が尾を引いているのかもしれないと述べられてはいます)。主人公は実際に彼の彼女を好きだと認知し、そこに偽りはないと何度も繰り返し確かめ(あるいは言い聞かせ)ていますが、それは恋愛感情の好きなのか。自分は心の底から異性を愛せるのか。答えは出るようで出ないまま、ただひとつ明らかに明らかなことは、体は一切反応しないということだと。

ただ彼の苦悩する内容、その文面は変わらずとも、彼の周囲は目まぐるしく変化していきます。その中でこの苦悩は部分的に解消されることもステップを経ることもないまま、多面的な切り口で分解と観察だけがなされてゆきます。主人公と同じ世界を共有する者たちの三者三様の心のあり方、主人公の世界を感覚的に理解できない悲しいかなこの世界のマジョリティたちの十人十色の意見、想い。それらに触れ、ときに深く関わり、深く傷つき、深く傷つけ、深く知り、深く理解し、深く理解させ、失い、失い、失い――主人公は結局ハッピーエンドやバッドエンドと簡単に区切ることのできはしない、極めて個人的なひとりの同性愛者の、ひとりの男子高校生の、ひとりの異性を愛そうとした男の、未来を紡ぎます。彼の選択です。分かりやすい幸せを迎える幕引きでもなければ、不必要かつ無意味に絶望に叩き落とされる終結でもありません。彼は決して短くはない期間に得たたくさんの経験を確かに骨身に脳に受け止めて、階段を踏み外すことなく、踏み落とされることもなく、未来に手を伸ばそうとあがきもがき、決別し、しかし確かに前進の一歩を踏み出したのだと思います。

彼の悩みはシンプルです。そして誰も理解してはくれません。しかし彼の周囲の何人かはある一件から本気で理解しようと努力し、その過程で彼の彼女はより一段と、ますます煌々と彼への思慕を輝かせ、真っ直ぐに深め、彼の心に結果的に計り知れない影響を与えました。それらすべてが彼の未来をほのかに、けれど確かに明るくしました。
彼の中に通された芯はより太さと強度を増し、彼は彼を愛せるようになりました。



本作の拝読中に涙を流したことに気付いてから、どのように最終話まで読了したのかもう覚えていません。ただ読みはじめる前は明らかに空腹だった体が飢えを訴えなくなり、その後取り込んだ食事が実際に喉を通らなかったことだけは事実です。かつ引き絞られるような辛さに胃が悲鳴をあげ、口から入ってきたすべてのもの(間違って入ってきた空気さえも)を拒絶し、同時にどうしても本作に対して何か言葉を残したいという気持ちが逸りすぎて気持ちの悪さに拍車がかかったこともまた、本作の訴える力がいかに強大だったかを如実に表す(私にとってはまああまり好ましくない)事実でした。
心をこえて体にまで深い抉り傷と感動を残した本作は、私の中では間違いなく傑作かつ名作であり続けるでしょう。ああ、本当に★3個などでは到底足りません。というか(もちろん他作について語るという行為が烏滸がましいのは重々承知の上で)この程度では全然語り足りません。切実に1日48時間欲しい。

主人公の門出が(本作では徹底的に意地悪でもある)神様方に祝福された、前途の明るいものであることを祈っています。

語り足りない。

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