海蛇姫の急襲⑦




「ただいま……」


 私室の奥――完全なプライベート空間にまで戻ってきたフローレンスは、力なくソファにもたれかかった。


 疲れた。

 せっかくの完全武装なドレスがしわになるとか、気にしてもいられない。


「お疲れですわね。そんなに難しいお相手でしたの? 散々な態度で乗り込んでいらしたと評判でしたものね」


 悪評は千里を駆ける、と大砂漠帝国を越えた東の国では言うそうだが、まさしくその通りのことが起こったようだ。

 出迎えの場にはいなかったミリアも、クラウディアの悪態をすでに知っていた。


(無理もないけどね)


 クラウディアが場を去ったあとの、ラハ・ラドマ側の憤慨する様子が目に浮かぶようだ。


 だがフローレンスの疲労の原因はそれではない。

 ため息をついて突っ伏していた顔を上げ、首を捻ってミリアを見る。


「クラウディア姫のせいじゃないの。ただ、わたしって、誰の話も素直には聞き入れられないのかなあと思って。……大分性根が捻じ曲がってるみたい」


 クラウディアの真剣さを認めても、うなずききれない。

 一度イスカに期待してしまったせいだろうか。


 けれどその一方で、イスカが国のために人を踏み台にすることも――あってもおかしくない、と思っている。


 そしてフローレンスは、自分が気分を沈ませていることも嫌だった。


 抱いた偶像とイスカが少し違っていたから、がっかりしている、だなんて、勝手すぎるし、幼すぎる。

 そもそも、相手に何かを求めようとも思っていなかったはず。


 ……なのにいつの間にか望んでしまっていた。

 だからきっと、こんなにも心がざわつくのだ。


(認めるのが嫌だなんて、どうして思うの……?)


 イスカに、そうであってほしくない、なんて。


 そうじゃないはず、なんて。

 分かるはずもないのに心の奥から訴えられているような、奇妙な感覚。


 理性と感情が噛み合わない。

 自分の心を持て余したのは、初めてだ。


「まあ、そのような。姫様の性根など、セリス殿下に比べれば至極真っ直ぐですわ」

「それは比べる相手が悪いと思うの!」


 自国の王子に対して、侍女のミリアの言い様も失礼極まりないが、実の兄に対するフローレンスの答えも同じぐらい酷かった。


 フローレンスはセリスを敬愛しているが、セリスが優しいだけの人ではないと知ってはいる。


 セリスはフローレンスを愛して可愛がってくれたが、それはアレルギー持ちの引きこもり第二王女が、絶対に自分の敵にならないと分かっていたからだ。


 安心できる家族として、フローレンスはセリスに選ばれた。

 そのことをとても感謝している。

 国のために働く兄の息抜きの場に、少しでもなれればいい。

 直接国の役に立つことが適わない身の上なのだから。


(わたしの心苦しさを、セリスお兄様はきっと分かっていらっしゃったわ)


 だから余計に分かりやすく、存在を必要だと示してくれた。


 ――しかし、敵に対しては容赦のない王子でもある。


「セリスお兄様のようになれれば、むしろわたしも自分を誇るわ」


 けれどフローレンスは、セリスのようにはなれない。

 

 はあ、と息をついて天井を仰ぎ、一呼吸。

 それからミリアに目を戻し。


「クラウディア姫、第一印象より悪い人じゃなかったわ。姫として娘として、懸命なだけよ。きっとね」


 理解はできる。

 しかし彼女の求めるものを、そうでしたかとは渡せない。


「どちらの要求も分かるのよ。片方の損が、片方の益だっていう関係も。だからこそ、両方が納得できる落としどころってないかしら」

「ないでしょうね」


 ミリアの答えは簡潔で、容赦がなかった。


「うん……」


 彼女の事情を知らなければ、追い返すことに全力を注いだはずだ。

 クラウディアは王女。

 一度二度の交渉失敗が、立場に大きく関わるようなことはないはずだから――と。


 しかし今回のクラウディアには、母の立場を守るという、何としても引き下がれない事情がある。


(でも、値は間違いなくこのままが適正なのよ。切り出し作業をしている人たちの苦労を考えると、値を戻すのは絶対違う!)


「姫様」

「あ……、何?」


 ミリアに声をかけられ、フローレンスは物思いに沈んでいた顔を上げた。


「決断は王の仕事です」


「っ」


 やんわりと窘められ、フローレンスは恥ずかしさに顔を赤くした。


 ここはフローレンスが主だった自国の私室ではない。

 今のフローレンスは他国に嫁ごうという身なのだ。

 自分で政策をどうこうしようなどと、越権行為も甚だしい。


「ごめんなさい。その通りだわ」

「けれど、王にどの情報を渡すかを選別し、整えるのは、臣下の仕事ですわ」


 もしイスカにクラウディアの事情を話すのが不利益だと思うのなら、黙って飲み込んでしまえばいい。

 相手への同情心が、ラハ・ラドマに有益に働くことなどないのだから。


 そう言ったミリアの目は、言葉とは裏腹に諌めるようにフローレンスを見ていた。


「大丈夫よ。さすがに黙っているつもりはないから」


 フローレンスは、自分が我の強い人間である自覚があった。

 正しさを疑わない頑迷さも――あまり直視したくはないが、持っている。


 ミリアも知っているから、あえて言ってくれたのだ。


「それは沈黙の権利じゃない。都合のいい情報を渡して王に誤った判断をさせようというのなら、それは操っているのと同じこと――でしょう? 必要か不必要かで言ったら、これは必要なことだと思うもの」


 他国の、母娘の事情など、国政に関係ないと言われればそうだろう。


 しかし、王には知っていてほしいとフローレンスは思うのだ。

 その上での判断であれば、臣下はただ従うだけ。


(殿下は、どこまでご存知なのかしら)


 もし知らなければ――知ったら、どうするのだろうか。


(ラハ・ラドマにとって有益であることだけを選ぶ? それとも――……)


 自分の憧憬をどうしても望んでしまう。

 それを期待できるのは、イスカの笑みが素敵だったから。


 勝手だと、分かっているけれど。


「決めるのはわたしじゃない。どうしてほしいなんて言うのもわたしの役目じゃない。でも、一緒に考えることはしていいと思うの!」


 どの臣下よりも近しくなる、妃として。


「ええ、もちろんです」

「――というわけで、殿下にお会いしたいと伝えてくれる?」


 心が決まると、少し元気と勢いを取り戻せた。


「分かりました。少々お待ちくださいね」


 ミリアは席を立ち、部屋を出て行った。

 使いを出すつもりなのだろう。


 後ろ姿を見送ってから、フローレンスは改めてソファに座り直す。


(誰も損をしない、皆が幸せな国同士の付き合いって、無理なのかな……)


 そんな方法はない、と兄は言うだろう。

 勝者となることに慣れた彼なら、負ける方が愚かなんだと言い切るかもしれない。

 事実、愚かなフローレンスには、打開策が思い浮かばなかった。


 けれど、『ない』とは言いたくない。


(考えるだけよ。考えることは、わたしだってしていいはず)


 決めるのはイスカであっても。


 彼が何を選ぶのか、フローレンスには分からない。

 しかしもし、少しでもクラウディアに対して同情心を抱いてくれるのなら――そして抱いてほしいと思うから、不本意な決断をしなくていい提案がしたい、と思った。

 苦しんでほしいわけではないから。


(殿下もクラウディア姫も、同じよ)


 大切なもの、大切な人を守るために、懸命に尽くしている。


 互いに傷付け合わないようにすることが、そんなにも愚かなことなのだろうか――?




※ここまでお付き合いありがとうございました。続きは書籍版にてお楽しみください♪


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花冠の王国の花嫌い姫 長月遥/ビーズログ文庫 @bslog

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