花冠の姫と氷の王子④



 出迎えのときにやらかしてしまったので、一日目は具合の悪いフリを続けて、部屋に引きこもって過ごした。

 用意された歓迎の晩餐会エトセトラもキャンセルしなくてはならないのは残念だったが、体調が悪いのかそうでもないのかはっきりしないよりは、悪いを貫いた方がマシだろう。


 目のかゆみにもくしゃみにも鼻水にも邪魔されない睡眠は、実に快適だった。


 部屋の暖炉は暖季であっても当たり前に使われる。

 一晩中絶やされなかった火のおかげで、寒さはまったく感じなかった。

 パチパチという火の爆ぜる音が、ああ本当に違う土地に来たのだと、実感させてくれる。


 体感的にはそろそろ朝のような気がするが、暖気に入ったラハ・ラドマは日の出が早くなるので、差し込む陽の明るさでは分かり難い。

 あまりに快適な眠りが名残惜しく、フローレンスが半覚醒状態でベッドの中でまどろんでいると、控えめなノックの音が響いた。


「フローレンス様、失礼いたします。お支度に参りました」

「!」


 馴染みのない女性の声に、フローレンスは一気に覚醒した。


(うわ! やっぱり朝だった!)


 むしろ寝坊している可能性すらある。フローレンスは上半身を起こしすぐに応じた。


「どうぞ。入って」


 フローレンスの許可を得て、まだ年若い侍女が室内に入ってくる。


「おはようございます、フローレンス様」

「おはよう。……あら」


 見れば、目の前の侍女は昨日この部屋に案内してくれた女性だった。

 早々に追い返してしまったので、名前も聞いていない。


 北の地特有の色素の薄さで、淡い茶色の髪に紅茶色の瞳。

 色合い的には柔和なはずなのに、切れ長の目にシャープな輪郭、きつめの美人顔が、やや鋭い印象を与える。

 年齢はおそらく、フローレンスと同じぐらいだろう。


「お加減はいかがですか?」

「大丈夫よ。一晩ゆっくり休ませていただいたから」


 やんわりとした口調を意識しつつ、フローレンスは申し訳なさそうに微笑んでそう言った。


「そうですか。大事なくて何よりです」


 言って、彼女は深々と一礼する。


「フローレンス様のお世話をさせていただきます、ジゼルと申します。よろしくお願いいたします」

「ええ。こちらこそ」


 世話そのものはミリアがいるので、新たに侍女を付けてもらう必要はない。

 そんなことはラハ・ラドマ側も分かっているだろう。


 つまりジゼルは、世話係という名のフローレンスの教育係だ。


(そういえば、ミリアは……?)


 フローレンスの目が辺りを探したのに気が付いたのだろう。

 視線の意味を悟ったジゼルが答えた。


「ミリア様なら、お疲れが出たのでしょう。少々体調が優れないようでしたので、先にわたしが参りました」

「そう、なの……」


 昨日の元気な様子からして、微妙に疑わしい気分になりつつ、まさかねと思ってフローレンスは曖昧にうなずく。


「よろしければ、お着替えを」

「そうね。お願い」


 拒む理由はないので、フローレンスは起き上がった。


「白薔薇、活けてくださったのですね」

「ええ、もちろん」


 支度の最中、窓の手前に飾られた白薔薇を見つけ、ジゼルはほっとしたような調子でそう言った。

 声の雰囲気で、フローレンスは自分が決して歓迎されていないわけではないらしいと安堵する。


「昨日は失礼なことをしてしまったわね。せっかくいろいろとご準備いただいたのに」

「長旅だったのですし、エスカ・トロネアと違って気候も厳しいですから……。こちらの配慮が足りず、申し訳ありません」


 どうやら、昨日の『具合が悪かった』を信じてもらえたらしい。

 半端な真似をしなくて本当に良かった。


「イスカ殿下にはお会いできる? 昨日のこと、謝りたいわ」

「フローレンス様からお誘いいただければ、殿下も喜ばれると思います」

「ぜひ、そう思っていただけるようになりたいわね」


 一緒に過ごすことを喜んでもらえるだけの関係性は今のところ、ない。

 しかし将来的には隣にいるのが自然になりたい。


「――……」


「どうかしたの?」


 ジゼルから返ってきたのは不自然な硬さのある沈黙で、妙に思ってフローレンスが訊ねると。


「ええと……っ。そのっ、フローレンス様は、殿下をお好きでいらっしゃるのでしょうか!?」


「……え、はっ!? ……ええっ!?」


 途中で言葉を飲み込んでしまうのを避けるためか、ジゼルは後半、勢いをつけてそんなことを聞いてきた。


 あまりに驚いたせいでうっかり出かけた地を、かろうじて飲み込む。


 今日――正確には昨日だが――知り合ったばかりの侍女が向けてくるには、踏み込んだ質問だ。

 ジゼルも自覚はあるのだろう。自分が発した問いに強張った表情をしている。


(あ。これ、彼女の意思じゃないわね)


 好奇心なり何なりで彼女自身が聞きたいだけならば、ここまで硬い表情はしない。

 不敬であることを承知で、フローレンスの勘気を恐れつつ、しかしジゼルは口にした。

 きっと、上の誰かから「聞いてこい」と言われたのだろう。


(わたし、かなり不審がられてる? 考えてみれば確かに、ラハ・ラドマの方は何でだろうって思うかも……)


 フローレンスにはラハ・ラドマでなくてはならない切実な理由があるが、本当のことなど言うつもりはもちろんない。

 動機も不明な大国の姫がゴリ押しして嫁ごうとしてくれば、不安にもなるのだろう。


(ていうか、失敗した!! そうよ、イスカ殿下が好きなんですって言えばよかった。一番納得してもらえそうな理由だったのに!)


 せっかく向こうから振ってくれて、すぐに肯定するだけで丸く収まったのに台無しにしてしまった。


「ち、違うの……ですね?」


 警戒の強まった、ジゼルの確認。


 今から否定しても信じてもらえないだろう。

 初日、イスカと顔を合わせたときの態度もあんまりなものだった。


「……ええ」


 適当に嘘を捻り出そうかと思ったが、やめた。

 アレルギーのことを除けば、事実を伝えても問題ない。


「失礼なことかもしれないけど、わたしが熱心だった理由はこの国の気候なの。わたしの体には、この国の空気がとても良く合うみたいだから」

「そう……なのですか?」


 穏やかな気候のエスカ・トロネアよりも、極寒のラハ・ラドマの方が体にいいとは、一体どんな病だ――と思われているのは明らかだった。 ほとんど真実なのだが。


「イスカ殿下には強引で迷惑だったかしら。でもだからこそ、王族の務めは果たすつもりでいるわ」


 両国の繁栄のために、できることを。


 フローレンスの真剣さを感じ取ったのか、ジゼルは気まずそうに目を泳がせた。


「……その。あまり、気負われる必要はないと思います。静養のために我が国を選ばれたのであれば、尚更」


 少し迷ったジゼルの返事は、フローレンスの言い分を認め、気遣うものだった。


「ありがとう」

「……いえ」


 笑って応じると、ジゼルは申し訳なさそうに控えめに答えてくれた。


「それでは、時間が空いたらお話がしたいと、殿下に伝えてほしいのだけれど」

「かしこまりました」


 怪しまれているのがはっきりした。

 急いでイスカとの関係を構築すべきだろう。


 そのあとは何気ない雑談をして、支度が終わるとジゼルは部屋を辞していった。


 一人になると、フローレンスはふ、と肩の力を抜く。

 窓辺から少し離れたソファに座って、これからのことを考えた。


 イスカはいつ会ってくれるだろうか。できるだけ早い方が望ましいのだが。

 

 やましい裏はないので探られても大して気にしないが、信用は得なくてはならない。

 結婚できないのは困る。


 そうフローレンスが自身の展望を思索していると、ばたばたっ、と少し慌ただしい足音が近付いてきて、ミリアが部屋へと飛び込んできた。


「申し訳ありません姫様っ。わたし、どうやら寝坊を――あら?」

「おはよう。ミリア」


 身支度を完璧に整えたフローレンスに、ミリアは目を瞬いた。


 まさかいきなりどうこうされるとまでは思っていなかったが、ミリアのいたって元気そうな姿を見て安心する。


「ラハ・ラドマの侍女がやってくれたわ。ジゼルっていうの。わたしに付いてくれるんだって。ミリアも仲良くしてね?」

「それはもちろんですが……」


 自分のいないところで、フローレンスがラハ・ラドマの侍女と二人になった――『された』のではないかと、ミリアもすぐに気が付き、不愉そうに眉を寄せた。


 そもそも、いやしくもエスカ・トロネアの姫付きの侍女であるミリアが、寝坊などというつまらない失態を犯したことは、今まで一度もない。


「体は大丈夫?」

「はい。妙にぐっすり眠れたぐらいです」

「そう、だったらいいわ。たまにはたっぷり眠れて良かったんじゃない?」

「姫様っ」


 冗談めかして言ったフローレンスに、ミリアは声を厳しくする。


「大丈夫よ、おそらくもうされないわ」


 エスカ・トロネア相手に、続けて乱暴な手を打ってくるとは思えない。


「――でも、ラハ・ラドマは何をそんなに心配しているのかしら?」


 人差し指を顎に添え、フローレンスは首を傾げる。


「本来ならエスカ・トロネアの姫が嫁いでくることなどないでしょうから不思議なのでしょうが、先方にやましいことがなければ、そこまで気にすることもないように思えますわね」


 ミリアも、少し心配そうに同意した。


「ちょっと気になってきたんだけど……。万一ラハ・ラドマがエスカ・トロネアに対して良くないことを企んでたらどうしよう?」

「まさか!」


 フローレンスが怖さを覚えて訊ねると、ミリアはあり得ない、と首を横に振る。


「大きな声では言えませんが、この小国が何か企んでいたとして、エスカ・トロネア相手に何ができると仰るのです?」

「本当に大きな声で言えないわね」

「けれど、事実ですわ」

「そうね……」


 ラハ・ラドマ一国では、実行した途端に潰されるだけだろう。


(この国に力を貸してくれそうな親しい国といえば……)


 そこまで考えて、フローレンスはふと、国を出る前に兄、セリスから聞いていた情報を思い出す。


「そういえばここ最近、ラハ・ラドマとシェイル・コーレスが揉めてるってお兄様が言ってたわ」

「噂だけなら存じております」


 シェイル・コーレスとはラハ・ラドマの隣国で、交易の七、八割を占める大口お得意様だ。  海に面したシェイル・コーレスでは漁業が盛んで、ラハ・ラドマで産出される氷が、痛みやすい魚の保存に重宝されているためだ。


 経済だけならエスカ・トロネアと一、二を争う大国で、国としてならそこそこの付き合いがある。



『少し前に、イスカ王子はシェイル・コーレスから氷の売価改定をもぎ取ってる。この時期にお前に求婚ってのは――どう考える?』


 聞いてきたセリスは真剣な顔をしていた。


『それでも行くのか?』



 セリスの言いたいことが分からなかったわけではないけれど、行かないという選択肢はなかった。


 シェイル・コーレスから何らかの圧力を受けて、エスカ・トロネアの後ろ盾が欲しいのかもしれない、とか。


 もしくは、シェイル・コーレスがフローレンスの熱烈アピールを知ってラハ・ラドマに話を持ちかけ、取引代わりにフローレンスを差し出させ、身柄を押さえることでエスカ・トロネアに何かを迫ってくるのではないか、とか。


 しかしどれも可能性は低い気がした。


 そもそも現在、シェイル・コーレスがエスカ・トロネアと争う理由はない。

 何かあっても、フローレンスを巻きこみたがらないはずだ。

 正式に結婚するまでは、フローレンスはあくまでもエスカ・トロネアの姫なのだから。


 実際、訪れたラハ・ラドマは落ち着いていて、平和だった。

 何かがあればもう少し緊迫した空気になるだろう。

 だから安心した部分もあるのだが――


「ま、まさかねー」

「ええ。まさかだと思いますわ」


 自分にちょっと警戒心を持たれているからといって、考えを飛躍させすぎだ。

 乾いた笑いを浮かべて否定したフローレンスに、ミリアも同意する。

 万一、万々一の話だ。


 分かっている。分かってはいるが。


(やばい。何か、急に心配になってきた……!)


 配慮だと思っていた半年間の婚約期間。


 フローレンスがエスカ・トロネアの姫であることに意味があったからそうしたのでは――などと、否定しつつもつい、考えてしまう。


 自国の花地獄から抜け出したかっただけだというのに、余計に厄介な所に足を踏み出してしまったような、そんな気がした。




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