海蛇姫の急襲⑤



「ミリア、ジゼル。お客様をお迎えに――出陣の支度をするわよ」


 翌日。

 充分に睡眠を取り、髪も肌もできる限りコンディションを整え、フローレンスは勇ましくそう言った。


「しゅ、出陣ですか?」


 勇ましい上物騒な物言いに、ジゼルは戸惑った様子で声を上げる。


 今日は、噂に名高い海蛇姫が来る日だ。


 漁業が盛んなシェイル・コーレスの姫なのだから、通称に『海』がつくのはおかしくない。

 しかし、なぜ、よりによって『蛇』なのか――


 それは彼女が、己の求めるものを必ず一呑みにして国に持ち帰ることで、近隣の国々から怖れられているからだ。


 そんな彼女もセリスに言わせれば、『あんな浅はかで交渉下手な女が勝ち星を挙げられるのは、相手が馬鹿で救われてるだけだ』ということになる。


 生まれた瞬間から権謀術数の中で生きることが決まっていて、今も渦中で荒波を乗りこなしている兄から見れば、そうなのだろう。


 とはいえ、こちらはその『馬鹿』とさえ比べものにならないほど経験の浅い小娘と、実は人が好いだけの田舎青年の二人である。

 強敵と呼んで差支えない。


「昨日、殿下からシェイル・コーレスとの関係を聞いたわ」

「!」


 フローレンスが言うと、ジゼルは驚き、そして気まずそうな顔をした。

 おそらくはフローレンスを迎えるにあたって抱いていた、下心を知られたことによって。


 普通どころか、大分控えめな下心と言っていいはずだが、ジゼルもイスカもそうは思っていないらしい。


「シェイル・コーレスのやり方はあまりに横暴だわ。向こうに礼を尽くすつもりがないのなら、こちらも相応の覚悟で迎えなくては。国益を守るのは王子妃として当然の務め。だから今日は、間違いなく『出陣』なの」


 フローレンスの言葉が本心なのかどうか、どう受け止めるべきか、迷っているのだろう。

 ジゼルの表情から戸惑いは消えなかった。


 素直に信じられないのは、きっとフローレンスの目的が分からないから。


(仕方ないわ)


 疑われているのを承知でフローレンスは嫁いで来た理由を誤魔化している。

 だから余計に怪しい。


 イスカとは一応の和解を果たしたが、一応だ。

 なぜならフローレンスは、結局イスカの問いをはぐらかしたからだ。

 

 朝食を終え、食堂を出て行くまでイスカはそのことを忘れていたようだが、きっと後から思い出しただろう。


(言った方がいいのは分かってる。でも言えない。言いたくない……っ)


 大国の王女、というプライドが、どうしてもフローレンスに見栄を張らせた。


 正直に告白するつもりがないのだから、何の裏もないのだと断固として言い張って、害にならないことを態度と行動で示していくしかない。


 イスカと共通の敵にすることができるクラウディアの来訪は、フローレンスにとって有難い要素なのかもしれない。

 しかしそれも自分たちが勝利してこそである。


「手を貸してくれるでしょう?」

「それは、もちろんですが……」


 自国の王子妃となる姫が、他国の、しかも反感を抱いている国の姫に鼻で笑われて良い気分のする国民もいないだろう。

 だから、フローレンスが今日は気合いを入れて支度したいと頼めば、彼女も協力してくれるはずだ。


「よろしくね」


 にっこりと笑って言ったフローレンスに、ジゼルは心を決めたようにうなずいた。


 エスカ・トロネアでは身支度をするのに、行程一つ一つに専門の侍女がいるが、ラハ・ラドマは一人の侍女がすべてをこなすらしい。

 身体的理由により、昔からミリア一人に任せてきたフローレンスには違和感のない状況だ。


 用意されたのは、明るい色合いのフォレストグリーンの立襟モンタント

 昼間だろうが夜だろうが、防寒を優先するラハ・ラドマのドレスは、デコルテを出さないモンタントが一般的だ。


 首元を飾るオパールのブローチ。

 袖口を華やかに彩るレース。

 ドレスの裾は花の刺繍と、花芯にあしらわれた真珠が淑やかにきらめく。


 フローレンスの白い肌に映える金細工のイヤリング。

 輝きを添えるのは晴れた空を願うサファイヤ。


 艶やかな淡い金の髪を、ラハ・ラドマの国章である六花がデザインされた青のリボンで飾って、完成だ。

 外に出るときは、毛皮で裏打ちされた外套を重ねる。


 ミリアとジゼルの手を借りて支度を整えたフローレンスは、クラウディアの到着を待った。

 少し時間が空いたので、三人でちょっとしたお喋りに興じる。


 ――そうこうしているうちに、イスカからの使いでアルフルードがやって来た。


 フローレンスがアルフルードを見たのは、これで二度目だ。

 一度目は自分の迎えに出ていたイスカの隣にいた。

 近しい従者なんだろうな、とあたりをつける。

 

 侍女二人に見送られ、フローレンスはアルフルードと並んで廊下を歩く。


「すみません、フローレンス様。わざわざご足労いただいて」

「客人を迎える側ですもの。当然です」


 微笑んだフローレンスに、アルフルードは何気なく話を振って来た。


「殿下は話してしまったそうですね?」

「はい。すべてお話しくださったそうですわ。わたしもラハ・ラドマのために、力を尽くしたいと思っています」


 何ができるかなど大した自信はない。

 しかしフローレンスは堂々と落ち着いた様子で、何ということもなさそうに装い、言い切った。

 浮き足立てば舐められる。

 それが目的でない限りは、避けるべき醜態だ。


 余裕の笑みさえ浮かべたフローレンスに、アルフルードは感嘆と羨望と嫌悪を織り交ぜたため息をつく。


「殿下も、姫ぐらい堂々と渡り合える胆力があればいいんですけど」

「イスカ殿下は充分、力をお持ちでしょう。ただあの方は……とても、良い人だわ」


 イスカのことを話すとき、フローレンスの声音は自然、和らいだ。

 認めるセリフを口にしたフローレンスを、アルフルードは驚いた目で見つめてくる。


「人として素晴らしい、尊敬できる方です」


 すでに人を疑うことを覚え、心にまで根を下ろし馴染んでしまったフローレンスには決して戻れないし、戻ろうとも思っていない、心根の素直さ。


 裏を持たないまま、自分の表だけで人と相対するのは怖い。

 傷付くのは剥き出しの自分自身。

 そして、裏がないから裏から攻撃されればひとたまりもない。


 そんな怖いことは、フローレンスには出来ない。


 けれど言ったことは本心だった。

 イスカの心根は、フローレンスの理想なのだ。


「……姫が、本当に殿下の『妻』となってくだされば、安心かもしれませんね」

「そうなりたいと思っています。――あ……」


 廊下の向こう側にイスカの後ろ姿を認め、小さく呟きが零れた。

 そのまま背中に歩みを進めて訊ねる。


「殿下、クラウディア姫はあと、どれほどで到着されるのかしら」


 フローレンスに声をかけられ振り向いたイスカは、なぜかそのままの姿勢で止まってしまた。


「……」

「……殿下?」


 不思議に思ってフローレンスが首を傾げると。


「っ。あぁ、すまない。今日はずいぶん華やかだと思って」

「ミリアとジゼルに頑張ってもらいました」

「そうか。貴女は本当に可憐な人なんだな。花冠の国の姫君に相応しい」


 花冠の国に相応しい、と言われると複雑な気持ちはあるが、可憐だと褒められればやはり嬉しい。

 お世辞すらほとんど聞いたことがない身であれば尚更だ。


 何より心に響くのは、イスカは本気で言っている、と分かるところだった。


(な、何だろう。この感じ)


 ミリアやジゼルに太鼓判を押され鏡を見たとき、出来栄えに心がわくわくしたのとは、まったく別の感覚だ。

 異常に気恥ずかしい。


(男の人から褒められるのって、こんなに照れくさいことだったのね……っ)


 恥ずかしいけれど、嬉しい。

 そうかこの気持ちはこうやって同居するのかと、頬にいつもより多く血を上らせながら思う。


「クラウディア姫、ご到着!」


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