第一章
花冠の姫と氷の王子①
――一体、どういうことなのか。
大陸中から不毛の国と軽んじられる、ラハ・ラドマの第一王子イスカは、心の中で何度となく同じ問いを繰り返していた。
(あり得ない……っ)
つい先日、
後悔はしていない。利得があるのは間違いがなかったから。
受けてくれたことは、イスカにとってありがたい以外のなにものでもない。
ただ、不審なだけで。
申し込みをした第二王女・フローレンスと実際に会って話したのは数回だけだが、手紙のやり取りだけは頻繁にしていた。
なぜか向こうの方から熱心に送ってくるのだ。
機嫌取りの意味も兼ねて、弱小国が無視をするわけにはいかない。
美しい字を書く姫君だ――と毎回感嘆していたのだが、それはともかく。
「絶対、何か裏があるはずだ! でなければあり得ない!」
呻いて、イスカは机の上に置いた肖像画を睨みつける。
肖像画に描かれたフローレンスは、イスカの記憶の中の彼女と違いなかった。
元々、手を加える必要がないぐらいに可憐な姫君ではあるのだが。
春の日差しのように柔らかい色合いの金の髪に、瑞々しい青葉を連想させる緑の瞳。
面立ちは穏やかで、妖精のような愛らしさがある。
好みかそうでないかで聞かれれば、即座にうなずけるぐらいに好みだと言っていい。
実に花冠の国の姫君らしい、優しい容貌だ。
一方のイスカはといえば、艶のある雪のような
「やはり、今からでも考え直した方が……」
「往生際が悪いですよ、殿下。すでに先方から二つ返事で承諾の旨が届いています。今更、こちらから断われるとお思いですか?」
「それがまた怪しいだろう! この返事の早さ! 待ち構えられていた罠の中に、うかうか飛び込んだ獲物の気分だ!」
「落ち着いてください。悪いように考えすぎです」
「他に何があるというんだ!」
叫んだイスカに、従者であるアルフルードは深く息をつく。
漆黒の髪に砥いだ鋼色の瞳。浅黒い褐色の肌は、色素の薄い人が多いラハ・ラドマでは非常に浮く。
二十の半ばほどの年齢にそぐわない、威圧的な雰囲気もアルフルードの存在感を高める一因だろう。
しかしイスカの隣にいる限りは、彼が注視を受けることはほとんどない。
なぜなら異端であるアルフルードが霞むほどに、イスカの圧倒的な美貌が人を惹きつけるからだ。
ラハ・ラドマの第一王子であるイスカは、武は他の追随を許さぬ勢いで、文の方はそこそこそつのない程度にこなす才覚を持つ、決して悪くない主君だった。
少なくともアルフルードにとっては。
だが王子としての評価を下すなら凡才としか言えず、その自覚が本人にもあるため、やや慎重すぎるきらいがあった。
民のために間違えられない立場だ、という重責が加算されているせいも多分にあるが。
「そうですね、フローレンス姫が殿下に一目惚れされた、とか」
「一目惚れだと?」
「そうです。フローレンス姫からアプローチされるようになったのは、彼女が我が国に遊学されて、殿下と直接面識を持ったあとからだったでしょう」
「それは、そうだったな」
大陸中で最も美しい雪景色が堪能できるのはラハ・ラドマだ。
雪景色のみで言えばわざわざ観に来る貴人もいる。
しかしそれは寒さの緩むほんの二、三ヶ月の間の話。
冬季や凍季ともなれば、景色を楽しむどころか装備もなく外に出たら凍え死ぬ勢いだ。
だから留学という名の観光は分かるのだが、嫁いで終の棲家にしようなどと、他国の姫が選ぶとは思えない。
(まして、フローレンス姫は病弱だという噂……)
ラハ・ラドマ滞在中は体調が良かったのか、臥せっている姿など見たこともないが、彼女は自国の公式行事にすら、ほとんど顔も出さないらしい。
だからきっと、ある程度体が弱いのは本当なのだろう。
――ますますもって、好き好んで嫁いでくるなど信じがたい。
「建国からして複雑な事情を抱え、自然環境も厳しく、財政も貧しいラハ・ラドマに、不便なく豊かな暮らしをしていただろう、誉れある大国の姫君が来たがる理由など、殿下に恋に墜ちた以外にないでしょう」
「いや、しかし……」
「殿下は見た目にはずば抜けて恵まれていますから。ええ、いっそ武術よりも」
「他国の貴人の評価を小耳に挟んだことがあるが、『冷たそうで近寄り難い』『血が通ってなさそう』『むしろ血は青か紫』と大不評な記憶しかないが」
「その後に『孤高の雰囲気が素敵』『非道なことでもためらわなさそうだから、王族としては頼もしい』『いっそ世に顕現した妖魔の方が耽美で良い』と続きます」
「待て! 最後のは待て! 俺はいつの間に人間じゃない方が良くなった!? 大体俺、非道なイメージ付くこと何かしたか!?」
「いいじゃないですか、舐められるよりは。殿下は素だと舐められる要素しかないですから、その恵まれた容姿は最大限活用しましょう。――そんなわけで、殿下の容姿は好きな方は本当に好きです。自信を持ってください」
アルフルードは断言したが、イスカはただ眉を寄せるに留まった。
「言動に気を付ければ侮られ難いというのは認める。助かってもいると思う。だが俺の容姿を好むような女性とは出会ったことがないぞ。相当低い確率じゃないか? それ」
「いや、だからそれは殿下の周りでは……。と言っても無駄でしょうね。ともかく、確率が低かろうと何だろうと、それ以外に理由がありますか? ラハ・ラドマに国としての旨みはありません。そのおかげで平和ではありますが」
「一目惚れは本当に理由としてあり得ると思うか?」
「殿下ならあり得ます」
「……」
全面的な納得はできなかった。
だがもう賽は投げられたのだ。そして投げたのもイスカ自身だ。
「そうだな。何にしても、もう後には引けない」
悪い方にばかり考えても仕方がない。イスカはそう、気持ちを切り替えることにした。
「心配いりませんよ、殿下」
まだ若干表情を曇らせたままのイスカに、アルフルードはきっぱりと言い切った。
「相手が女なら、貴方が心配することは何もありません」
「なぜだ?」
「殿下が男だからです」
「何だそれは」
力の問題か。そもそも暴力的な意味合いでの気がかりではないのだが。
結局意味は分からなかったが、アルフルードはまともに答える気がなさそうだったので、イスカは追及を諦めた。
「まあいい。――姫の歓迎準備は順調か?」
「本当にエスカ・トロネア式にやるんですか? 見事に花ばっかりですよ? うちの式次第に則ってやった方が安く上がりますが」
「相手は花冠の王国の姫君だぞ。敬意を払って先方に倣うべきだろう」
「まあ、つまらないところで悪印象を持たれる方が面倒ですかね。必要経費と諦めますか」
「そうしてくれ。せめて迎えるときぐらいはきちんとやりたい。彼女の目に触れる所に花を絶やさないように頼む」
「承知しました。そのように」
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