花冠の王国の花嫌い姫

長月遥/ビーズログ文庫

プロローグ

プロローグ 



 豊かな土壌と穏やかな気候に恵まれた、大国エスカ・トロネア。

 季節ごとに姿を変え、一年中美しい花が咲き誇るその国を、大陸の人々は『花冠かかんの王国』と呼び、地上の楽園と褒め称えた。


 植物の実りが良いおかげで、農業・畜産も品質の良いものが安定して供給され、美食国家としても有名。そんな恵まれた大国の、第二王女に生まれたフローレンス・テア・エスカトロネアは――


「あぁもう! 今日も今日とてこれ見よがしに咲き誇って! 腹立つわね!!」


 自国の名産品に悪態をつきながら、びむーっ、と鼻をかんだ。

 かみすぎたせいで鼻の下が擦り切れて痛い。


 大国の王女だから許される、肌触りの優しい一級品の絹のハンカチをもってしても、度重なる摩擦は白く滑らかな少女の肌を荒れさせた。

 鼻の下の皮膚が果たして本当に滑らかだったかどうか、もうフローレンスに記憶はない。


「そして……っ、今日も、ない……っ」


 ぐったりとソファに身を沈めつつ、瀟洒しょうしゃな装飾のテーブルの上に広げられた数通の手紙を前に、フローレンスは恨めし気に唸る。


 そこにあるのは自国の貴族たちからのご機嫌伺いや、周辺諸国の年頃の王子たちからの、求婚を仄めかす内容の手紙。


 しかしその中に、彼女が求めるものはない。


「ラハ・ラドマからの縁談はまだないの!? こんなにアプローチしてるのに! わたしってお買い得じゃない!? 立場的には!」


 同意を求めて振り返った先にいた一人の侍女は、深々とうなずいた。


「仰る通りですわ、姫様。ですから、こうして名立たる国々の王侯貴族が、姫の前向きなお返事を待っているではありませんか」


「花の咲く所は絶対に嫌!」


 叫んで、タラリと垂れてきそうになった鼻水に気付き、フローレンスは慌てて再度、鼻をかんだ。


 そう。花冠の王国、現世の楽園エスカ・トロネアの第二王女のフローレンスは――重度の花アレルギーだった。


 くしゃみ、鼻水、鼻づまりに目の充血、目のかゆみ。結果訪れる顔面崩壊。


 そんな淑女として致命的な症状に物心ついたときから悩まされ続け、医者にも早々に匙を投げられた。


 屋外に出るとより酷くなるので、幼少の頃より部屋に引きこもる日々が続いている。

 そのせいで、いつの間にか病弱のレッテルまで貼られてしまった。

 仕方のないことだし、都合もいいのでそういうことにしている。丸きり嘘でもない。


 初めはさっぱり原因が分からなかった。

 しかし長年の経験を基に考え、フローレンスは仮説を立てた。

 そしてそれは北方の辺境国、ラハ・ラドマに遊学したときに確信に変わった。


 ラハ・ラドマは不毛の地だ。

 大陸北端に位置し、気温は常に一桁からマイナスの寒冷地。

 国土すべて、一年の半分以上が雪に覆われ、高山から採れる氷が唯一の名産という、貧しく厳しい土地柄である。


 その環境ゆえに、植物が非常に少ない。


 これまでフローレンスの症状が、草木も眠る夜半や、他の季節に比べれば彩が寂しくなる冬に緩和されたこと。

 花の乏しいラハ・ラドマでの鼻炎に苦しまない穏やかな日々。

 その事実が、アレルギーの原因を連想させるに充分だった。


 思い至ってからこれまで、花が原因という前提を覆されたことは一度もない。


常夜とこよの国、日照時間が限りなく少ない不毛の大地! なんて素晴らしいの!」

「そう仰るのは姫様だけですわ。まあ、お気持ちは分かりますけれど」


(寒いのが何? 景色が不毛!? 娯楽がない!? どうっでもいいわそんなこと!!)


 心身ともに安らかに過ごせる。これ以上に重要なことがあるだろうか。


「ラハ・ラドマにも悪くない話のはずよ」


 フローレンスにとってはラハ・ラドマこそ地上の楽園だが(エスカ・トロネアは地獄だ)、大陸の国々の中で貧しい国に入るのは間違いなかった。

 豊かな大国であるエスカ・トロネアと繋がりを持つのが悪条件なわけがない。


「良すぎて警戒されているのだと思いますわ」


「くっ。裏も表もないってのに、面倒くさいわねっ」


 大国の姫のプライドと体面を考えると、真の理由――花のアレルギーで顔面が酷いことになるから貴国に嫁ぎたいんですなどとは、絶対言えない。


「姫様がゴリゴリ押しすぎなのです。だから余計に警戒されてしまったのでは」


「だってゴリゴリいかなきゃわたしがどれだけ嫁ぎたいか伝わらないじゃない! 求婚すらしてこないんだもの! わたしから動かずにどうしろと!」


「まあ、普通、相手にされないと分かってますもの。わざわざ物笑いの種になるようなことはしませんわよね」


「わたしからでもいいなら、すぐに求婚するのに……っ」


 女の身が口惜しい。結婚の申し込みは、大陸の慣習で男の方からのみと決まっている。


 フローレンスがギリギリと奥歯を噛み締めていると、部屋の扉がノックされた。直後に「入るぞ」という宣言と共に、返事を待たない傍若無人さで扉が開かれる。


 こんな真似をするのは一人しかいない。フローレンスは慌てて居住まいを正し、扇で顔を隠しぎみにして入り口を窺う。


 入ってきたのは予想した通りの人物だった。


「元気か、フローレンス。良い知らせを持って来たぞ」


「お兄様! 勝手に入るのはやめてくださいと、あれほど申し上げていますのに!」


「『どうぞ』以外の返事を聞いたことがないし、これからもそうだろう? 気にするな」


「それでも必要な作法ですわ!」


 悪びれもなく言い切った長兄・セリスを、フローレンスはささやかな反抗の意思表示に軽く睨む。

 それも、隣に座ったセリスから頭を撫でられるまでのこと。

 フローレンスはこの兄に対して、何があっても強く出ようと思えないのだ。


「それで……。良いお知らせとは何でしょう?」


「その前に、実兄相手に顔を隠して逸らすなよ」


「わたしは、その、酷い顔をしていますから」


「まあ、見目良いとは言えないな」


(うぅっ)

 ズバリと言われ、フローレンスは顔を俯けた。


「だからって俺の前でまで格好つけることはないだろう。お前が大切な家族だっていうのは、体質で変わるようなものじゃない」


「……はい」


 優しい言葉に、フローレンスはためらいつつもうなずく。

 慰められたとしても、言葉のままに受け入れるわけにはいかなかった。


(セリスお兄様は、不出来なわたしにも優しくしてくれる)


 自分を可愛がってくれているのが分かる。

 だからこそ、彼に恥じない妹でいたかった。せめて、できる限りで。


 扇はやっぱり手放せないまま、顔をセリスに向け直して、再び訊ねた。


「それで、お兄様? 良いお知らせというのは?」


「喜べ、フローレンス。ラハ・ラドマ第一王子、イスカ・ヴァル・ラハラドマ殿から、お前に婚約の申し込みだ」


「!」


 告げられた内容に、フローレンスは目を見開く。

 駆け巡った歓喜の衝動を抑えきれず、ぷるぷると全身が小刻みに震えた。


「とても……。とても嬉しいお知らせです、お兄様……!」


 そして何とか、控えめに感激を口にする。


 吉報を告げたセリスが退出するのを見送って、扉がきっちり閉まってから、フローレンスは側らの侍女を勢いよく振り返った。

 侍女の目も我が事のように潤んでいる。


「姫様……っ」



「待ってた……! この時を待ってたあぁぁぁ――っ!」



 先程まで被っていた猫を脱ぎ捨てて、フローレンスは諸手を挙げて歓喜の雄叫びを上げたのだった。


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