海蛇姫の急襲②



 昨日、あれだけの混乱をきたしたフローレンスではあるが、やはりラハ・ラドマでの睡眠と目覚めは快適だった。


 ミリアとジゼルの手を借りて支度を整え、朝食に出る。

 イスカと顔を合わせたくはなかったが、一日逃げたところで意味はない。

 エスカ・トロネアの名を背負った姫としても、気後れしたなどと思われなくなかった。


 が、意気込んだわりには互いに普通の挨拶をして、あまり会話もなく食事は淡々と進む。


 イスカの様子も変わりない。

 様子を窺われているのだろうと、フローレンスは一層、気を引き締める。


 断固、隙など見せられない。

 フローレンスも努めて何もなかったように振る舞った。


 そして、食事を終えたその後。


「急なことですが、明日、シェイル・コーレスの第三王女、クラウディア姫がいらっしゃることになりました。一月ほど我が国に滞在されるとのことです」


 イスカからいきなり告げられた内容に、フローレンスは驚き、反応が遅れた。

 ミリアと話した『まさか』の話が頭を過ぎる。


(この時期に来るなんて、わたしに合わせたとしか思えないッ!)


 そしてそれを『急に』などと告げたイスカにも、不審を抱く。


「……本当に急ですね」


 口調に少し険を滲ませそう言うと。


「申し訳ありません。昨日手紙が届いたばかりで、話す機会を逸していました」


 本当に申し訳なさそうに、普通に謝罪されてしまった。


(え。……あれ?)


 ついでに、昨日の城の様子を思い出す。

 夕方頃から急に使用人たちに慌ただしい気配がしていた。

 フローレンス付きになったジゼルが昨日ほとんど顔を出さなかったのは、それが原因か。


(まさか、本当なの?)


 本当であると仮定するなら――唖然とする。


(だって、形式上あり得ないわよ)


 一国の姫の訪問が、突然決まるはずがない。

 少なくともシェイル・コーレス側では充分に支度をする時間を取ったはずだ。


 その上でイスカの手元に手紙が届くのと、クラウディア来訪の日付に差がないというのなら、間違いなく意図的だ。


(ずいぶん、失礼なことをするのね)


 貴賓の外交は事前の申し合わせが必須だ。

 迎える方だってそれなりの準備が必要になる。


 それをスパッと無視してきたということは、ラハ・ラドマに態度で告げているのだ。


 ただ従え。逆らうな。

 目下の弱小国なのだから――と。


(気分悪いわね……っ)


 まだ他国同士のことだとはいえ、高圧的な態度に不快感を覚える。


 ラハ・ラドマはシェイル・コーレスに逆らえない。

 シェイル・コーレスを怒らせれば、たちまち経済が立ち行かなくなる。


 しかもイスカは、つい数ヶ月前に氷の値段交渉で改定をもぎ取ってきたばかりだ。

 これ以上の不興は、今は買いたくないだろう。

 あり得ない失礼な真似をされても従うしかないのだ。


 そのイスカの心情が、分かるからこそ腹立たしい。


 フローレンスはこういう、横暴な圧制は大嫌いだ。

 自分がされる側に回ったら、さぞ面白くないだろうと思うからだ。

 それは誰であっても同じはず。


(国交は、互いに尊重と、同様の利益があってこそなのよ!)


「姫はおそらく、貴女に近付こうとすると思います」

「そうですわね」


 今まで一方的に搾取されるだけだったラハ・ラドマは、イスカが表舞台に立つようになり、抵抗を見せ始めた。

 さらに自分たちより格上の、大国の姫の後ろ盾を得ようとしている。

 シェイル・コーレスからすれば、面白くないことだろう。


(ラハ・ラドマがシェイル・コーレスと組んでいなければ、だけどね)


 裏の交渉があったかどうか、フローレンスには分からない。


 ならば両方の可能性を考えておくべきで、イスカが何も裏がない前提で話すのなら、そちらを信じているフリをしておかなくてはならない。


「仲良くするべきでしょうか」


 イスカがシェイル・コーレスとの関係を、この先どうするつもりかによって、フローレンスの取るべき対応が変わる。

 そう思って尋ねたのだが、フローレンスの問いは、若干イスカを戸惑わせたようだった。


「適度には」

「適度、ですわね。分かりました」

「……何も問わないのですか?」

「何か訊くべきことがありますか?」


 不思議に思い、首を捻る。


「失礼ながら、ラハ・ラドマとシェイル・コーレスの関係を知らない人間はいないでしょう。今と昔、両方含めて。

 だからお訊きしました。そして殿下は『適度』と仰いましたわ。交易に悪影響を及ぼしたくはないけれど、必要以上に阿るつもりもない、ということですわよね? 

 わたしとの婚約はいい牽制材料になるでしょう。

 実際、わたしだって結婚が成立したらエスカ・トロネアとラハ・ラドマとの交易をもっと盛んにしたいと思っておりますし。ただの援助で借りを作るより、その方が良いですわよね?」


 最初に謝ってはいるものの、かなり失礼なことを言っている自覚がフローレンスにはあった。

 しかし思い違いがあっても困るので、あえて全部を口にする。


「……ええ。その通りです」


 そしてイスカはフローレンスの事実を指摘するという失礼に対して冷静で、表情一つ揺らがせずに肯定した。

 軽んじられることには慣れているのだろう。


「とは言っても、氷で我が国エスカ・トロネアと取引をするのは難しいです。溶けてしまいますから。でもそこはこれから殿下と相談、ですね」


 つらつらと語るフローレンスを、イスカは軽く眉を寄せて見つめている。

 怜悧な美貌がそこだけ感情を露わにして、フローレンスを不安にさせた。


 なので、唇が動いたとき反射的に身構えてしまった、が。


「貴女は不快ではないのですか? ラハ・ラドマとの国交において、エスカ・トロネアに利はありません。利があるのは、一方的にこちらですよ」


(いえ! もの凄く助かってます!)


 力説したいのをぐっと堪える。

 そして気が付いたことが一つあった。


(殿下もなんだ)


 ジゼルに感じた微笑ましさと、同じ気持ちをイスカにも感じる。


(やっぱり、ラハ・ラドマの人の気質、良いなあ)


 つい、フローレンスの表情は心のまま、緩んだ微笑の形になってしまう。


 イスカはフローレンスのことを不審がっているが、同時に心配もしてくれているのだ。

 フローレンスがそう感じるように仕向けた、フリでなければ。


 フリではない、とはまだ言い切れない。

 何しろ相手は妖魔だ。


 分からないままなのは、どちらにとっても良くない。

 フローレンスはこくりと喉を鳴らし、覚悟を決める。


(踏み込んでみよう)


 また誤魔化されるかもしれないが、今日は覚悟ができている。

 昨日ほどは動揺せずに済む。

 ……かもしれない。というか、そうでありたい。


(うろたえるなわたし! あんなの交渉術の一つじゃない! 慣れろ、心臓! 人間は慣れる生き物よ!!)


 気合いを込め、フローレンスは口を開いた。



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