海蛇姫の急襲②
◆
昨日、あれだけの混乱をきたしたフローレンスではあるが、やはりラハ・ラドマでの睡眠と目覚めは快適だった。
ミリアとジゼルの手を借りて支度を整え、朝食に出る。
イスカと顔を合わせたくはなかったが、一日逃げたところで意味はない。
エスカ・トロネアの名を背負った姫としても、気後れしたなどと思われなくなかった。
が、意気込んだわりには互いに普通の挨拶をして、あまり会話もなく食事は淡々と進む。
イスカの様子も変わりない。
様子を窺われているのだろうと、フローレンスは一層、気を引き締める。
断固、隙など見せられない。
フローレンスも努めて何もなかったように振る舞った。
そして、食事を終えたその後。
「急なことですが、明日、シェイル・コーレスの第三王女、クラウディア姫がいらっしゃることになりました。一月ほど我が国に滞在されるとのことです」
イスカからいきなり告げられた内容に、フローレンスは驚き、反応が遅れた。
ミリアと話した『まさか』の話が頭を過ぎる。
(この時期に来るなんて、わたしに合わせたとしか思えないッ!)
そしてそれを『急に』などと告げたイスカにも、不審を抱く。
「……本当に急ですね」
口調に少し険を滲ませそう言うと。
「申し訳ありません。昨日手紙が届いたばかりで、話す機会を逸していました」
本当に申し訳なさそうに、普通に謝罪されてしまった。
(え。……あれ?)
ついでに、昨日の城の様子を思い出す。
夕方頃から急に使用人たちに慌ただしい気配がしていた。
フローレンス付きになったジゼルが昨日ほとんど顔を出さなかったのは、それが原因か。
(まさか、本当なの?)
本当であると仮定するなら――唖然とする。
(だって、形式上あり得ないわよ)
一国の姫の訪問が、突然決まるはずがない。
少なくともシェイル・コーレス側では充分に支度をする時間を取ったはずだ。
その上でイスカの手元に手紙が届くのと、クラウディア来訪の日付に差がないというのなら、間違いなく意図的だ。
(ずいぶん、失礼なことをするのね)
貴賓の外交は事前の申し合わせが必須だ。
迎える方だってそれなりの準備が必要になる。
それをスパッと無視してきたということは、ラハ・ラドマに態度で告げているのだ。
ただ従え。逆らうな。
目下の弱小国なのだから――と。
(気分悪いわね……っ)
まだ他国同士のことだとはいえ、高圧的な態度に不快感を覚える。
ラハ・ラドマはシェイル・コーレスに逆らえない。
シェイル・コーレスを怒らせれば、たちまち経済が立ち行かなくなる。
しかもイスカは、つい数ヶ月前に氷の値段交渉で改定をもぎ取ってきたばかりだ。
これ以上の不興は、今は買いたくないだろう。
あり得ない失礼な真似をされても従うしかないのだ。
そのイスカの心情が、分かるからこそ腹立たしい。
フローレンスはこういう、横暴な圧制は大嫌いだ。
自分がされる側に回ったら、さぞ面白くないだろうと思うからだ。
それは誰であっても同じはず。
(国交は、互いに尊重と、同様の利益があってこそなのよ!)
「姫はおそらく、貴女に近付こうとすると思います」
「そうですわね」
今まで一方的に搾取されるだけだったラハ・ラドマは、イスカが表舞台に立つようになり、抵抗を見せ始めた。
さらに自分たちより格上の、大国の姫の後ろ盾を得ようとしている。
シェイル・コーレスからすれば、面白くないことだろう。
(ラハ・ラドマがシェイル・コーレスと組んでいなければ、だけどね)
裏の交渉があったかどうか、フローレンスには分からない。
ならば両方の可能性を考えておくべきで、イスカが何も裏がない前提で話すのなら、そちらを信じているフリをしておかなくてはならない。
「仲良くするべきでしょうか」
イスカがシェイル・コーレスとの関係を、この先どうするつもりかによって、フローレンスの取るべき対応が変わる。
そう思って尋ねたのだが、フローレンスの問いは、若干イスカを戸惑わせたようだった。
「適度には」
「適度、ですわね。分かりました」
「……何も問わないのですか?」
「何か訊くべきことがありますか?」
不思議に思い、首を捻る。
「失礼ながら、ラハ・ラドマとシェイル・コーレスの関係を知らない人間はいないでしょう。今と昔、両方含めて。
だからお訊きしました。そして殿下は『適度』と仰いましたわ。交易に悪影響を及ぼしたくはないけれど、必要以上に阿るつもりもない、ということですわよね?
わたしとの婚約はいい牽制材料になるでしょう。
実際、わたしだって結婚が成立したらエスカ・トロネアとラハ・ラドマとの交易をもっと盛んにしたいと思っておりますし。ただの援助で借りを作るより、その方が良いですわよね?」
最初に謝ってはいるものの、かなり失礼なことを言っている自覚がフローレンスにはあった。
しかし思い違いがあっても困るので、あえて全部を口にする。
「……ええ。その通りです」
そしてイスカはフローレンスの事実を指摘するという失礼に対して冷静で、表情一つ揺らがせずに肯定した。
軽んじられることには慣れているのだろう。
「とは言っても、氷で
つらつらと語るフローレンスを、イスカは軽く眉を寄せて見つめている。
怜悧な美貌がそこだけ感情を露わにして、フローレンスを不安にさせた。
なので、唇が動いたとき反射的に身構えてしまった、が。
「貴女は不快ではないのですか? ラハ・ラドマとの国交において、エスカ・トロネアに利はありません。利があるのは、一方的にこちらですよ」
(いえ! もの凄く助かってます!)
力説したいのをぐっと堪える。
そして気が付いたことが一つあった。
(殿下もなんだ)
ジゼルに感じた微笑ましさと、同じ気持ちをイスカにも感じる。
(やっぱり、ラハ・ラドマの人の気質、良いなあ)
つい、フローレンスの表情は心のまま、緩んだ微笑の形になってしまう。
イスカはフローレンスのことを不審がっているが、同時に心配もしてくれているのだ。
フローレンスがそう感じるように仕向けた、フリでなければ。
フリではない、とはまだ言い切れない。
何しろ相手は妖魔だ。
分からないままなのは、どちらにとっても良くない。
フローレンスはこくりと喉を鳴らし、覚悟を決める。
(踏み込んでみよう)
また誤魔化されるかもしれないが、今日は覚悟ができている。
昨日ほどは動揺せずに済む。
……かもしれない。というか、そうでありたい。
(うろたえるなわたし! あんなの交渉術の一つじゃない! 慣れろ、心臓! 人間は慣れる生き物よ!!)
気合いを込め、フローレンスは口を開いた。
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