花冠の姫と氷の王太子③
◆
「限界! もう限界! もういいよね鼻かませてぇっ」
案内された部屋に入るなり、フローレンスは早々にラハ・ラドマの侍女を退出させ、ミリアに縋ってハンカチを求めた。
かつてのフローレンスの部屋には、使用前、使用済みのハンカチが両方とも山のように積み重なっていたものだ。
万一を考えて多めに所持してきたハンカチが、まさか早速役に立とうとは。
そっと差し出されたハンカチを受け取り、びぶーっ、と遠慮のない音を立てて鼻をかむ。
むしろ気にしている余裕がない。
「うぅ……っ。まさかラハ・ラドマでも花に苦しめられるなんて……っ」
目の奥がかゆい。
しかしかいても目を傷付けるだけで何の解決にもならないので、体が落ち着くまでひたすら我慢だ。
「姫、お気持ちは分かります。ですが」
「待ってミリア! こっち来る前にその薔薇隅に置いて何かで覆って!」
婚約者からの贈り物に対して失礼なのは分かっている。
しかし側にあってほしくない。
いっそ窓から投げ捨ててしまいたい。
「お気持ちは分かりますが駄目です。ラハ・ラドマの方に見られたらどうするのですか。ただでさえ印象最悪ですのに」
「ですよねっ」
自分でも態度が酷かった自覚はある。
贈られた花束を、一瞬たりとも愛でずに即行侍女に押し付ける婚約者とはいかがなものか。
「でも無理だったんだもの!」
「具合が悪かったのだと押し通すしかありませんね」
「そうするつもり」
うなずいて――はあぁ、と大きく息をつき、フローレンスはテーブルに突っ伏す。
飴色の艶を持つ木製のテーブルは、新しい木の香りがした。
姫君らしくしようと意気込んだばかりなのに、最悪だ。
相手はしっかりやってくれたから、尚更そう思う。
「……後できちんと謝らなきゃ」
「大丈夫ですよ。間違いなく失礼でしたけど、婚約破棄されるほどではないでしょう」
「そう願うわ」
「と、いうわけですので、この白薔薇ですが」
「うん、活けてくれる?」
イスカからの白薔薇は、私室に飾ったところを本人と周りの人々に見てもらわなくてはならない。
この婚約をもちろんこちらも望んでいますよと、アピールするのだ。
ミリアはフローレンスの具合を窺いつつ、慎重な手付きで白薔薇を花瓶に活け替える。
その様子を、フローレンスも緊張の面持ちで少し離れた所から見守った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫みたい。元々この国には花、少ないしね」
手で抱えられる程度の花束一つなら、部屋に置いても大丈夫なようだ。
フローレンスのためだろうか。
白薔薇を活けたクリスタルの花瓶には、植物の蔓が彫り込まれている。
注がれた水が窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝き、白薔薇は華やかに部屋を彩った。
「へえ……」
「どうされました?」
「薔薇の花びらって、細かくて美しいわね」
「……」
しみじみと言ったフローレンスに、ミリアは言葉に詰まった。
ミリアにしてみれば本当に今更、なのだろう。
エスカ・トロネアは、いつでも花が溢れていた。
可愛い花も美しい花も、珍しい花も貴重な花も、何でもあった。
形は知っていた。
けれど観賞という意味で、こんなにも穏やかに花を観たのは生まれて初めてだ。
「ねえ、ミリア。わたしにとって花って、ずっと敵だったの」
「本来得るはずだったものが適わなくなった原因ですもの。無理もありませんわ。姫様のご容姿はこんなにも可愛らしくお綺麗ですのに……。わたしも、残念に思っておりましたわ」
「ありがとう。でもいいのよ、気を遣ってくれなくて」
身内びいきが多分に含まれた言葉に、フローレンスは苦笑する。
それから再び、白薔薇へと目を向けた。
「花冠の王国なんて、誉れでもなんでもないって思ってたけど」
さすがに、ミリア以外の誰かに聞かれるような所ではそこまで口にしなかったが、フローレンスはずっとそう思ってきた。
「でも、花って本当に綺麗なのね」
溢れるほどにあった自国ではなく、不毛の大地で、ようやくフローレンスは花を『観る』ことができた。
「……ええ、そうでしょう?」
フローレンスがどれだけ自分の体質を嘆いているか、側ですごしてきたミリアは理解してくれている。
だから花への暴言を咎められたことはない。
けれどそれとは別に、生粋のエスカ・トロネア国民であるミリアにとって、花とは好ましい物なのだ。
自国の姫であるフローレンスが、花の持つ魅力を素直に受け取れたことに、とても嬉しそうに笑ってうなずいた。
(ここでなら、わたしも素直に綺麗だって言えるわ)
「邪魔にしてごめんね」
見事に咲いた花と、手をかけて育てただろう職人、そして贈ってくれたイスカの気持ちにフローレンスは謝り、そっと花びらに触れて――近付きすぎたせいかむずっときたので、そそくさと離れた。
「さっ、気を取り直して明日から頑張ろう! まずはラハ・ラドマのことをもっと良く知りたいわね」
「実際にご結婚なさるまでの半年間。それまでに、こちらの習慣を覚えて馴染まなくてはなりませんものね」
さらりと言われた中にあった単語に、フローレンスはピタリと動きを止めた。
「……結婚」
「ええ、結婚」
「うん分かってる。そのつもりで来たし」
なのに他の人間の口から聞くと違和感があるのは、フローレンスの中でまだイメージが固まっていないせいだろう。
結婚以外の理由で、エスカ・トロネアの姫がラハ・ラドマに長期滞在する理由はない。
理由がなければ噂を立てられてしまう。
フローレンスとイスカの年頃が丁度いいのも問題だった。
良くない方向の噂話は、王女にとってマイナスだ。
遊学したときも、父王は必要以上の長期滞在を認めてくれなかった。
だから、フローレンスがラハ・ラドマに居続けるには、結婚しかなかったのだ。
下手に他国に出したら自国の姫の醜態をさらす羽目になると父王も分かっていたのだろう。
妙な噂話で娘の評判に傷を付けるよりはと、イスカとの正式な結婚を認めてくれた。
国力を考えれば、第一王子――順当に行けば次代の王であるイスカしか、ラハ・ラドマではフローレンスに求婚などできない。
本当はイスカも、というかラハ・ラドマそのものが力不足だ。
ラハ・ラドマ側も分かっていたから、フローレンスの熱烈アピールがあってなお、申し込むまでに大分時間がかかった。
けれど、叶った。
僥倖である。何も後悔はしていない。しかし。
「実感湧かない……」
「エスカ・トロネアから逃げることしか考えていらっしゃいませんでしたものね」
正直に呟いたフローレンスに、ミリアは苦笑する。
「けれど、せっかく結婚するんですもの。旦那様とは仲良くした方が人生楽しいですわ。少しずつでも、そのつもりでイスカ様に近付いてみてくださいね、姫様」
「うん」
素直にうなずくと、ミリアは頭を撫でてくれた。
くすぐったいし、面映ゆい。
けれど、こうされるのは嫌いじゃない。
「でも、どうして殿下は急に求婚する気になったのかしら」
「姫のゴリ押しが実を結んだのでは? ラハ・ラドマからすればこの縁談は良縁以外の何ものでもありませんもの。普通に国同士の繋がりを求めてとか、持参金目当てとか、そんな意図ではありませんか?」
「やっぱりそうよね」
思いつく限り、一番納得のいく理由だ。そしてミリアが言った通りのことが目的なら、フローレンスの立場であれば充分お役に立てるだろう。
(姫として利益があるところを見せたいし、関係良好になれば、お互い好意も湧くかもだし!)
「頑張ろう。おー!」
「その意気ですわ」
握り拳を突き上げるフローレンスに、ミリアはぱちぱちと簡素な拍手をしつつ応援してくれた。
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