第二十話 願いの短冊と千羽鶴

「――兄ちゃん、ホントすまなんだなぁ。うっちの子供ら、なーんど言っても悪さして聞かなくってよ……おめえら、ちゃんと反省したんだろうな!?」


「ううっ……ごめんなさーい……」

「サーセンしたッ! 先生ッ!!」

「すみませ~ん……」

「は~い……」



 先ほどのノリちゃんとの漫才めいた異常な掛け合いにセーブをかけてきた『先生』は、子供たち一人一人に叱り、謝らせた。


 民家の中は他のスラム通りの民家同様、障子に穴が開き屋根や床に穴が開き荒れ放題だが、人が複数人で住んでいる分多少は清潔感があった。


 表の錆びた看板に書かれている通り、ここは診療所だった。『先生』の仕事机の周りに様々な薬品や日用品が置かれ、壁には日に焼けたカレンダーや昔ながらの診療所にあるような健康に関する注意書きなど……幼い小児の為だろうか。ぬいぐるみや玩具の類いも置いてある。




「表のきったねー看板にも一応書いてる通り……ここはこのスラム通りでただひとつの病院だ。俺ぁ伊賀川(イカガワ)。院長だ」



 イカガワと名乗る医者は髪は白髪で初老の男だ。医者というのに煙草を燻らし、白衣はボロボロで草臥れている。度があっているかも怪しい眼鏡を掛け、椅子に腰かけ、目の前の椅子に座るヒロシに謝罪交じりの挨拶をした。



「……ここの子たち…………もしかして、あんたの?」



「まさか! こいつらは孤児さ。昔来た傾奇者――――いや。子供の未来も考えねえろくでなし共が無責任に交わったり、遺伝子操作されて生まれてきた身寄りのない子たちだよ。要するに虐待やネグレクトだ。みんな、人間とはちっと違う姿や特技がある。俺の子は…………昔、大病院に勤めてた頃にカミさんと一緒に病気で――――っと。んなことはどーでもよくて…………」



 さりげなく重大な事実を話していくイカガワ先生。人と話すのは苦手なのか、ばつが悪そうに頭をボリボリと掻く。




「改めて、子供らが悪さしてすまなんだ。こいつらは仲は良いんだが……観光客相手にすーぐ盗みにたかりに走りやがる。まったく…………」




「……いいってことですよ、先生。俺もまさかこんな子供らにターゲットにされてると思わなかったけど……なんつーか、楽しかったし。俺の故郷はアメリカだけど、スラム街にはこういう子たち、珍しくないっすよ。」





 ――――ヒロシの言う通り、世界中の貧しい暮らしをしている子供たちというのは総じてそういうものなのだ。




 経済的な貧しさは勿論、心が貧しさと虚無に苛まれ、観光客相手に窃盗をはじめ、悪事や非行を働く。そうしなければ自分たちの孤独に満ちた精神が耐えられないのだ。ヒロシは故郷アメリカのスラム街で目にしたことのある、子供たちの悲しく寂しい目を思い出す。




「私ら……寂しくなんかないもん! ノリちゃんたちがいるから!!」




 ガス美が、これも先生に気を遣わせまいとしているのだろうか。悲しそうながら笑顔で叫ぶ。が、たちまち辺りにメタンガスの悪臭が撒き散らされる。





「おし。取り敢えずガス美はマスクしとけ。煙草に引火して危ねえ」



「あっ……は~い……」




 イカガワ先生に言われて慌てて、ガス美は例の防塵マスクのようなものを装着した。同時に恥ずかしそうでもある。




「……おっ。そういえばあんた……手を怪我してんじゃあねえか。」



「えっ?」




 イカガワ先生はヒロシの血が出ている右手の人差し指を見て言った。途中の民家で仕込み帽などを触った時に切った傷だ。




「これぐらい大丈夫だって。いいから――」




「いいから黙って診せんかい! 雑菌入って感染症になったらどーする気だ!!」




 イカガワ先生は強引にヒロシの手を取り、傷口を診る。




「……ふむ。普通に切り傷だな。このスラム通りで切ったのか? 衛生状態悪いから、しっかり消毒せんと」




「お、おい……」




 手慣れた手つきで、消毒液を塗った綿棒で傷口に塗っていく。痛みが染みる。すぐに丈夫そうな絆創膏を巻いてくれた。




「これでひとまずよし……万が一感染症が出たらやべえから、効きそうな薬出しとくわ。熱とか出たらすぐ飲んどけ。」




 イカガワ先生は迅速に新品の書類にカルテを書き込んでいく。




「……なんか、済まねえな……俺、日本の保険証とか持ってねえんだけど治療代は――――」




「いーからいーから!! んなもん要らねえって! 黙って取っとけ!!」




 やや粗野な印象だったが、いわゆる『赤ひげ』というものだろうか。治療にも薬にも金は要らないと言う。




「それから……あんたも傾奇者だろ? 大会にも出るんだろうな……子供たちの詫びと言ったら何だが、これ持ってけ!」



「え……」




 言うなり、イカガワ先生はありったけの傷薬と、現金を10枚、ユキチで渡してきた。




「おいおい、やめてくれよ……貰い過ぎだって。」


「いいからいいから! 傾奇者は……俺たちの希望でもあるんだよ……」



 過剰と言っていい詫び代に、ヒロシは恐縮する。傾奇者が希望と言う。




「……そういや、ノリ! おめえもこの兄さんに謝らねえか!! 主犯格だろうが。いっつもおめえが他の4人を焚き付けるからこうなるんだろうが!!」



 後ろを振り向き、一人だけ謝らずに背中を見せているノリちゃんを叱る。




「――ふんっ! 誰が……謝るもんか!!」




 ノリちゃんは憮然とした顔のまま俯いている。




「……いい加減にしねえか!! いつまでこんな間違いを繰り返す?」



「いつまでだってやってやるわよ! 傾奇者がいなければ…………私たちみたいな子はこの世に生まれなかった!!」


「……!!」




 ただ駄々をこねているのかと思いきや、ノリちゃんは己の出自の話を持ち出した。ヒロシは一瞬驚いてしまう。



「ノリ、おめえ……」


「私らの親は――――いや! 何処の馬の骨ともしれないサイテーな奴らは、私らを戯れに傷付け、戯れに産み落とした!! 初めから私たちが得られるようなものは全て! 根こそぎ! 奪っていったのよ!! これが憎まないでいられる!? だったら私らが他人から金や物を盗んで何が悪いっての!? 奴らのせいで、こんな最底辺の生活と人生を送らされてんのよ…………!!」




 ノリちゃんは机の上によじ登り、演説台よろしく全員に訴える。




「あんたたちもそうでしょ、ガミ、河童、ガス美、キリ子! わけわかんない遺伝子操作でガミは鎌の手だし、河童は人間なのに河童だし! ガス美は身体から無限に溢れ出るガスで苦しまなきゃならない! キリ子もまともに人間と恋のひとつも…………そんで私に至っては……もって20歳まで生きられない身体!! あんたたちもそうでしょ!? 金持ちや傾奇者が憎くないわけ!? あいつらに私たちと同じ苦しみを味合わせたいと思わないの!? ――ううっ……」




 そう激しくまくしたてると、ノリちゃんは胸を押さえて蹲った。この少女に至っては生きる障害どころか、限りある短い人生しか用意されていなかったのだ――――患部が痛むのだろうか。





「ノリ。無理すんな……」

「……うるさいっ…………うるさいっ…………!」




 イカガワ先生が背中をさすろうとするも、振り払って突っぱねるノリちゃん。生きづらさと激しい劣等感、恨みに苦しむ彼女は、たちまちその色が血に染まろうかと言うほどの激しい感情と共に涙を流した。




「ノリちゃん――――こんなこと、もうやめよう?」




「!! ……ガミ…………」




 歩み寄って、ノリちゃんを抱きしめてくれたのは、5人の子供たちの中で一番立場が弱そうなガミちゃんだった。他の子も続いて寄り添ってくる。




「確かに、俺たちは望まれて生まれてきたとは言えねえ。人を羨まなかった日なんて、一日たりともねえよ。」



「私も、こんなガスが噴き出る醜い身体なんか要らなかった。傾奇者の親が憎い。苦しみなんか理解しようともしない金持ちも憎い――――でもみんなで生きてみたい。」



 河童とガス美が青く立ち昇るような深い憂いを帯びながらも、その瞳に希望を灯す。



「生まれの不幸はあったかもしれないけれど、変わりに私たちは他人なんかに真似できない個性を得た。友達を得た。そして……愛して、愛される人とも巡り合えた。もうそれで充分じゃあない?」



 子供たちの中で年長のキリ子。瞳の奥に信実をもって愛するバッターモンの姿を思い浮かべ、優しく諭す。




「負けちゃ、駄目なんだよ、ノリちゃん! 人を傷付けて、物を奪って……そんな私たちを産み落とした情けない人間たちと同じことしてたって、もう嬉しくないもん! 生まれた意味が今は見えなくても、探せば、作ればいいだけなんだよ。こんなにも友達がいる! イカガワ先生だっている! それを学んだはずだよ! 前を向いてみようよ!!」




 これまで最も幼く、頼りなく見えたガミちゃんは、力強くノリちゃんを見つめ、一点の曇りも嘘も無い目と言葉で声をかける。恐らく、ノリちゃんと本当に精神的な距離が近いのはこのガミちゃんなのだ。背格好も同じくらい。案外、同い年なのかも……。




「……みんな…………」





 ノリちゃんは改めて先生と友達たちを見回した。





 皆、強い決意と覚悟。そして仲間を思い遣る慈愛の灯を目にたたえていた。




「……っ!! でもっ…………私、きっと先に死んじゃうもん!! みんなより先に死んじゃうもん!! ずっと独りぼっちのまま…………そんなのやだ!!」




 ――ノリちゃんは、本当は優しい心も温かみも持ち合わせていた。あるいはイカガワ先生の教育と友達たちの心がけの賜物か。




 だが、悲しいかなそんな仲間たちの温情を受け入れようとしても、自分の将来に待ち受ける暗闇を意識すると、なかなか前を向けないのだった。それはむしろ周囲の愛こそがノリちゃんへの残酷な仕打ちになってしまっているのかもしれない。限りある、人よりも短い人生という運命を前に打ちひしがれていた。




「……諦めんな、ノリ。おめえの病気は……俺の命に代えても治して見せる…………だから、もう他人を――――自分を傷付けて泣くんじゃあねえ。」




 ノリちゃんは、嗚咽し、やがて激しく泣いた。




 他者から金品を奪うという行ないは一時の充足感こそあれど、そのあとに横たわるのはどうしようもない虚無感と罪悪感だった。彼女たちは、この過ちを何度となく繰り返してきた――――





「……イカガワ先生。この街……カオスシティには、世界中から傾奇者が来る……その中には尋常じゃあねえ傾奇で不可能を可能にした奴や、見たこともねえような宝物を持ってるやつもいるんだよな?」




「あ? ……兄ちゃん、まさか――――」





「傾奇者のせいで、人生にこんな暗い影を落としている子供を放っておけるかよ。待ってろ、ノリちゃん。俺はまだ駆け出しだけど……いつかみんなを助ける傾奇も、成して見せる……!!」




 ――ヒロシの中に、単なる自己実現とは全く違う、固い決意の魂が燃え始めた。




 悪行を成すも傾奇者。だが一般人には不可能な善行を成すも傾奇者。





 自分は、道を誤らないために、自分なりの善意を忘れないと心に誓ったのだった。





「……傾奇者ってなあ、並々ならぬ個性の持ち主。俺はここで町医者やるうちによ、この子たちが抱えているものは障害だが、同時に個性でもある。大会運営とも交渉してきてよ、何とかこの子たちも傾奇者で生きる希望はねえものか……そう思って一緒に暮らしてんだよ。兄ちゃん、俺たちのことはひとまず置いとけ。そんなに肩肘張っちゃあ、傾くもんも傾けねえって!」




「む……」




 イカガワ先生は、苦々しくも晴れやかに笑っている。自分ももう初老だというのに、微塵も諦めてはいないのだ。




「……ぐすっ……くすん…………」




 ノリちゃんが泣き腫らした赤ら顔でヒロシを一頻り見上げたのち……部屋の奥から何やら走って持ってきた。





「おお、ノリ。いつものやつだな。自分から持ってくるなんて珍しいじゃあねえか。」





「……これ、あげるから。」





 ノリちゃんが渡してきたのは、何やら願い事が書かれた短冊と、折り紙で作られた千羽鶴だった。




「……あ、あとは、知らないっ!!」




 そう言ってノリちゃんは部屋の奥に引っ込んで蹲ってしまった。心配そうにガミちゃんたち友達も駆け寄っていく。




「……その短冊と千羽鶴は、ノリと他の子らが何か悪さする度に、戒めとして作ってもらったもんだ。その願いに恥じない人間になれますようにって、な…………兄ちゃんも、大会頑張れよ――――」





「先生…………」





 ――――このスラム通りに来て良かった。





 この街のダークサイドを見るのはつらいものがあったが、同時にヒロシの中にかつてないほどの慈愛の灯が燃え広がりつつあった。






『――――この世から心の貧しい人がいなくなりますように。』





 そう書かれた短冊を握りしめながら――――




 傾奇メーターが、ひと際強く緑色に輝く。




 ――――傾奇ポイント、一気に+五百ポイント。現在傾奇ポイント七百三十五ポイント。予選突破への必要ポイント、クリア。予選終了まで二時間二十分――――

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