第六話 GEEKとNERDの境界線とは

 カミシロと刺客との騒ぎが収まり、野次馬が散り散りになる中、博士はにこやかに笑っていた。


「ふふふ。やはり新人か。今年はますます面白くなりそうだ」


 この街での初傾きに小躍りするヒロシに、ヤマベ博士は満足そうに頷いた。


「もう知ってるかもしれないが……俺はヤマベ。この街でなんでもかんでも作ったり研究したりすることに没頭してる木っ端学者だよ。君の名前は?」


 ヤマベ博士は謙虚に自己紹介をし、笑顔でヒロシに訊く。


「……俺はアメリカから来たジョー=ヒロシってもんだ。助けるためとは言え、勝手に秘密兵器とか言って済まなかった」


「ハハハ。そういうのは一向に構わんよ。きっかけはどうあれ、傾奇者が傾くのに理由はさして重要ではないよ…………ん?」


 そこで博士は怪訝そうに顎に手を当て、何やら考え出した。


「ジョー=ヒロシくん、と言ったか? ジョー……どこかで聞き覚えが……ちょっと失礼するよ」


 そう告げて、博士はタブレット端末で何やら検索を始めた。そしてヒロシに尋ねる。


「もしかして……君の父親はパテル=トオルさんかい? 母親の旧姓がルーシー=ブライトで……」


 その言葉に、ヒロシはにわかに興奮する。


「俺の両親、やっぱ有名なのか!? そうだよ、その通りだ! 俺、父さんや母さんみたいな傾奇者に憧れてこの街に来たんだよっ!」


 博士は一瞬呆然としたのち、頬を緩める。


「ふふ……そうか……とうとうあの覇者の夫婦の息子さんが挑戦者というわけか。血は争えないということかねえ」


 ちなみに、ヒロシの父のパテル=トオルという名は偽名である。『祭り』におけるリングネームのようなものだ。彼の本名はジョー=トオル。ヒロシが思っていた以上に両親の名はこの街に知れ渡っているらしい。


「では……ヒロシくん。改めて礼を言わせてもらうよ。うちのアリス五号を助けてくれてありがとう」


「いいってことさ! ……借りは、本選で返すってことで!」


 その言葉に、ヤマベ博士は微笑みながらも眼光を鋭くした。


「その通り。この街の『祭り』に上下関係や先輩後輩などという定規は存在しない。あるのは傾奇者としての矜持と傾奇ポイントの高さ低さぐらいだ……本選はもちろん、予選中も絶えず、ね」


「……へへ!」


 上下関係は無いと言った博士だが、先刻の人気やアリス五号の完成度を見て、実力者であることは明白。


 ヒロシは実力者に対等に見られたことに、内心畏れもあるが……より闘争心を燃え上がらせた。


「……ところで……君、『ルルカ』のフィギュアは持ってるかい?」


「……え? は?」


 博士から唐突に話題を振られ、ヒロシは荒い鼻息を鎮める。


「いや……フィギュア……って、人形のFigureか? 『ルルカ』……いや、知らねえけど、それが何か――――」


「なんだって! あのパテル=トオルさんも携わった名作ラブコメを知らんのかね!? それは……おオ、なんと勿体ない!」


 博士は顔に手を当てて天を仰ぐ。心から残念そうに、何やらブツブツと呟き始めた。


「なんということだい……あのアニメの作画マンに君のお父さんの名もあったから……てっきり作品を熟知し、グッズも網羅していると思い込んでいたよ……俺が甘かったか……むうう」


「アニメ……あっ! 父さんの仕事のこと!?」


「そうとも! 君、父さんから何か受け継いでいないかな? スタッフだけが持ってる設定資料集とか、関連グッズとか!」


 眼を見開きそう言いながら、博士は何やらコートの中から様々な物を素早く、しかし丁寧に取り出していく。


 出るわ出るわ、アニメのBlu-rayに始まり、ムック本、サウンドトラックCD、原画集、キャラクター文具に食玩。更には二次元のアニメキャラがキワドイ格好でプリントされた抱き枕カバーに、扇情的な胸やら脚やらが丸出しのデザインの女性キャラクターのフィギュアまで……。


「このフィギュア! 本当に見覚えが無いのかね!? 名作ラブコメ『コスって! ルルカファイト!』の正ヒロイン・ルルカちゃんだよッ! ねえッ!?」


「う……いや……悪い、知らないっす……」


(この人、常にこれほどのグッズを持ち歩いてんのか…………)


 博士のコートのポケットというポケットから取り出した、二次元オタクならではの関連グッズの数々。どれも保存状態は新品同然で傷一つついていない。


 明らかにコートの容積を超えているが、このコートにも何かギミックがあるのだろうか。


 ヒロシは、先ほどの喧嘩でカミシロが言った『二次元オタクのフィギュアフェチ』という言葉が、罵詈雑言の類いだけではなく純然たる事実でもあるのだと悟り、目を細めて眼前の実力者・ヤマベ博士の思わぬギャップに内心詠嘆した。


「なんか……すまねえ。うちでは財産の類いは極力身内に軽々しく渡しちゃならねえって家訓があるんすよ。それに親父も、その……『ルルカ』とかの作品に関わったかも知れねえけど、アニメーターの給料は雀の涙だから、私的にグッズとかは貰えねえと思う」


「……ぐぬっ……考えてみればそうか……あの作品は良いものだ……ルルカのプロポーションや髪質、肉感はもちろん、彼女の得意技のミリタリーナイフ二刀流の使い込まれた感じが……ここまで再現されていて…………」


 博士は『ルルカ』とやらのフィギュアを大事そうに抱え、眺めながら溜め息を吐いている。ついでに丸見えのスカートの部分も、人目も憚らず全開にして中をチラチラ覗く。


「……博士、俺はアメリカ育ちで、当然アメリカにもあんたみたいな……キモオ――――い、いや、熱烈なマニアがいるんだけど……GEEK《ギーク》とNERD《ナード》の違いって……わかる?」


「むん? 何を言うのかね、俺はこう見えて世界中飛び回って研究を進めてるんだ。それぐらいは熟知してるとも」


 ヤマベ博士はコホン、とひとつ咳払いをして腹式呼吸を駆使して語り出す。


「GEEKというのは! 北米圏においてオタクの中でも、特にコンピューター関係に詳しいクールな者達だ! 日ノ本で言うところの、そうだな……『マニア』とか『旧き良き意味でのオタク』と言ったところか。俺はそれを目指しているよ。達成率は83.7%という感じかな、ふふん!」


 博士は上体を反らしてエッヘンと得意気そうな笑みを浮かべる。


「それに対してNERDとは……好きな作品の中でも頭がスッカラカンな美少女アニメやアダルトゲーム、エロいフィギュアを愛好したり、やれおっぱいマウスパッドだの、やれ抱き枕カバーやタペストリーだのを収集して悦に浸るような……全く以て意識の低いキモチワルイ連中だよ。いやはや、『オタク』と一括りにされている日ノ本の風潮というか言葉の文化というか……実に嘆かわしいよ」


 公衆の面前で堂々とその美少女アニメのBlu-rayどころか抱き枕カバーだのフィギュアなどを晒し、よいしょ、よいしょ、とひとつひとつ我が子でも扱うように丁寧にコートに仕舞う男がそう言った。


「……確かにあれだけのすげぇマシンやロボットまで、ほぼ個人でも造り出せちまうのはGEEKの中でも最高レベルだろうな……けど……」


 ヒロシは目の前のGEEKでもありNERDでもある天才科学者に密かに憧れのギャップから憐れみを抱いた。と同時に、やっぱり傾奇者はどこかアンバランスな人間だな、と妙な親近感を覚えた。


「……ふう。さて……君はこの街に来て間もないようだが……ひとつだけアドバイスをあげよう」


「……ありがてえけど、変に贔屓すんのは――――」


「違うよ、ヒロシくん。これはアドバイスとは言っても、名実ともに対等に勝負したいという補正処置だ。なんなら無視してくれても結構」


「む……」


 一瞬プライドが動いたが、やはりこの街で有益なことは何でも知っておきたい……ヒロシは博士のアドバイスを聞くことにした。


「君の装備……なかなかの物だが、その程度ではあっさりやられてしまうよ」


「……マジか?」


 ヒロシは腰に提げる木刀と着込んでいる防護ジャケットを見遣り、いぶかる。


 鋼鉄の真剣ではないとはいえ、十分な硬度と耐久性を持つ木刀。緩衝材で刃も銃弾も通らなさそうなジャケット。


「……これだけの装備でも、全然駄目なのか?」


「『絶対不可能』……とまでは言わんよ。『祭り』の勝負に『絶対』は無いからね。それでも、長年の経験とデータから言わせてもらうと、それは心許ないだろうね」


 博士はさっきまでのGEEKとNERDが混ざったオタク男の荒い息遣いを整えてから続ける。


「この街には、実は世界中に散逸した様々な宝物ほうもつが集まるんだ。傾奇者にも色々いるからね……莫大な富と引き換えに宝を持ち寄る奴もいれば、尋常ならざる『傾奇』で宝を生み出した奴もいる。そして――――その宝の数々はこの世界中のどんな兵器にも負けないほど強力無比だ」


「……世界中の……どんな兵器よりも?」


 そこで博士は踵を返し、去り際にこう呟いた。


「方法はひとつじゃあないが、取り敢えず金銭の類いは多く確保することを薦める。強力なアイテムを手にするのはもちろん、金で埒をあけられる状況もごまんとあるから、ね。……俺からはこれだけ。――本選での健闘を祈るよ」


 博士は颯爽と立ち去った――――と思ったが、酒場での勘定がまだなことを思い出したらしく、足早にUターンして店に入っていった。


「方法はひとつじゃあない……だが、手っ取り早く傾くには、金が便利ってことか……」



 ヒロシは思案したが、すぐに「立ち止まって考えても仕方ねえや」と思い直し……カオスシティを巡ることにした。


(……まず、街の地図が欲しいぜ……中心街のどっかにねえかな)


 そう考えながら、ヒロシは再び歩き出した。


――現在の傾奇ポイント八十ポイント、予選終了まで三時間五十分、予選通過に必要なポイント二百二十ポイント――――

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