第十六話 オトコは皆、蝶のように舞い、蜂のように喰われてしまえ!

「ふははははーっ! 身ぐるみ剥いじゃるわあああーっ!!」


 そう叫び、意気揚々とノリちゃんは罠を仕掛けた空き家に踏み入った! 


 しかし――――


「……何ィ!? い、いない!? んなアホな、確かにガスは充満したはず……!」


 そこに倒れ伏しているはずのヒロシは、影も形もなかった。


「一体どうやって脱出を……ええい、取り敢えず尻尾掴まれないようここを離れて……ガス美!!」


「……ハイハイ……これがきっかけで、全ての空き家の罠が作動するようになったから。奴は次にどの空き家に入ってもガスを浴びるよ!」


「おし! ……くそ、とにかく奴の場所を確認しなきゃ……」


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「はーっ、はーっ……何とか……なったか…………」


 ヒロシは息を切らしながらも、空き家から脱出し、持ち物も無事だった。


(……早速……こいつが役に立ったな)


 ヒロシは自身の左手首――――魔法屋『シュシュ』で貰った腕時計を眺めた。


 そう。ヒロシは咄嗟とっさに、この腕時計を使い、ガスが充満する速度を遅くして脱出したのだ。


 ヒロシ自身の走る速度を『加速』することも出来たが、それには持ち物の重量がありすぎて『加速』しきるには傾奇ポイントが足りなかった。『加速』可能な構造の複雑さも文字通り足枷となった。


 しかし、気体である催眠ガスならば質量は軽い。物体としての構造もそれほど複雑ではない。


 ガスが満ちる速度を『減速』し、何とか犠牲を払わず脱出した。


(……ふーっ……少しクラクラ来たが……外の空気を吸えばだいぶマシになったぜ……ヤバかった……)


 ヒロシは呼吸を整え直し、辺りを見渡す。


 最初に踏み入った時と変わらず、退廃を具現化したようなスラム通りの風景。


 だが、ヒロシは確信した。


(……さっきの河童といい……どうやら俺、狙われてるみてえだな……いよいよ油断ならねえ)


 持ち物を整理し、ヒロシは中腰で最大限の警戒をして歩き出した。


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「……ちっ! どんな手品使ったのかわかんないけど、手強いなー、アイツ」


 ノリちゃんは三度の襲撃を免れたヒロシに舌を巻きながらも、すぐに手持ちのトランシーバーで仲間と連絡を取る。


「こちらノリ。ガス美は引き続き全ての空き家へ仕掛けた罠を作動して。そして――――キリ子!」


「――――ハイハイ。こちらキリ子。獲物を肉眼で確認……距離を離さず尾行中。いつでもアクション可能よ。……どうする?」


「さすがキリ子! 準備が早いし頼りになる。良い年長者ね!」


「ふふん、まあね」


「脱出したとはいえ、奴は精神的な余裕が無く、動揺があるはず。キリ子! あんただからこそ出来る罠……あの男に見せ付けてやんな!」


「うふふふ……りょ〜か〜い…………ふう……」


 気だるげにトランシーバーの通話を切ったキリ子は、ひと呼吸する間に素早い身のこなしでヒロシの進行ルートを先回りし――――ヒロシの往く道を塞ぐように立った。


「……?」


「あらあ……良いオトコ……うふふ」


 いきなり眼前に現れたキリ子に、ヒロシは足を止め、刀に手をかける。


「そんなに警戒しないでぇ? 私……アナタを助けに来たんだからぁ♡」


「……信用出来ねえな……このスラム通りに入ってから河童みてえな奴に追いかけられ、空き家には罠が仕掛けてあった。……あんたもそういうクチなんじゃあねえのか?」


 ヒロシは訝り、警戒を解かない。


「違う違うー。私、アナタを助けるように頼まれて来たんだからン♡ ――――アナタの親御さんに、ね?」


「!? 母さんに……だと!?」


 ヒロシの目に若干の動揺が表れる。


(ふふ。なかなかイイ感じのリアクションだわ)


「そうそう! アナタのお母さんに、ね。知っての通り、この街……特にスラム通りはとっても危険なの。……だから、安全に休める休憩所オアシスへ案内するように頼まれてるのよ……疲れたでしょう? どう? 一緒に休まない……? ♡」


 キリ子はカマキリ女と言われる通り、皮膚が緑がかっているなど身体的特徴が一般的な日ノ本人とは異なる。


 だが――――ノリちゃんの仲間の中で最も駆け引きに通じ、女の武器を磨いている。ハニートラップは御手の物なのだ。


 眼前の女から漂う甘く優しいフェロモンの香り、つややかで長い髪……思わずヒロシは緊張を緩める。


「……ほ、本当に……こんなスラム通りにも……安全な場所があるのか……?」


「うふ。もちろんよお! ついてきて、こっちよ……」


 キリ子は手招きする。


 さながら、オスを誘い出し――――喰らい尽くすメスのカマキリのように。


「――――妙だな」


「えっ?」


 一瞬、フェロモンを振りまく女の言葉に安心して身を委ねそうになったが、ヒロシはあることに気が付き、歩を止める。


「俺の夢はこの街で、俺自身で叶える。普段から家族や親戚中にそういつも言ってたんだよ」


 何か矛盾点を見出したヒロシに、キリ子の笑顔が引き攣る。


「え? そ、それは〜……我が子を助けたいっていう親心なんじゃ――――」


「それに――俺の両親からは、息子が困ってるからってホイホイ助け舟を出すような甘ちゃんな家訓は教わっちゃいないしな。自分の代の自分の問題は、余程の非常時以外は自分で何とかする――――」


「え、そ、そうかしらん? 確かに親御さんから頼まれたのよ? 親って、アナタが思っているより……目立たなくてももっとあったかい気持ちで支えてくれるんじゃあないかしら……?」


「ねえな。俺の両親は。非常時以外は」


「そ、その非常時が来たのよっ! この街が危ないのは身に染みているんでしょ? それに、ほ、ほら!」


「ん?」


 キリ子は徐ろに、腰元のポーチから何やら羊皮紙を取り出した。バサッ、と荒々しく広げてヒロシに見せる。


「これ! アナタのお母さんから、直筆! 『困っていたら、息子をしばし安全な場所へ案内してくださいませ』……証文まで貰って――――」


「ますます怪しいな。俺の母さんは日ノ本文字は滅多に書かねえ。英文か、せいぜいワープロ印刷だぜ」


「えっ? アナタ日ノ本人じゃ――――むぐぐ…………」


 ヒロシに再び針のような警戒心を抱かれ、キリ子は口ごもる。


「……だが……万が一あんたの言うことが本当なら……貴重なスラム通りでの休憩所を失うことになる」


「……そ、それじゃあ、こっちに来て――――」


「それを判断する為に、いくつか質問をするぜ」


 ヒロシはその針のような視線や警戒心を鋭くしたまま、ゆっくり上体を起こして腕組みをした。


「――――もし本当に俺の親から頼まれてきたってんなら……俺の両親の職業ぐらいは知ってるよな?」


「う、そ、それは〜……」


 論理の綻びから生じた旗色の悪さに、キリ子は表情を固くする。


「……みゅ、ミュージシャン……だったかしら?」


 キリ子は当てずっぽうで、ヒロシの外見のイメージから解答した。


「違うな。俺の親父はアニメーターで……母さんは『伝説のコスプレイヤー兼コラ職人』!」


「お母さん、何者!? それ職業じゃあなくて趣味じゃあないの!?」


 推測のしようもない答えを(特に母親の職業)聴かされ、キリ子は思わず突っ込む。


「ふぅむ……だが、遠くはねえな。ミュージシャンは俺の父方の祖父母だぜ」


「……そ、そそそうそう! 私ったらウッカリしてたー! お祖父さんと間違え――――」


「別の質問だ。……俺を助けるつもりで、母さんから俺のことを聞かされた。なら当然、俺のフルネーム知ってるはずだよな? でなきゃ、絶対に辻褄なんて合うわけねえ」


「う……」


 またも口ごもるキリ子。沈黙が続けばヒロシはすぐにも斬りかかって来そうだが――――


(……ハッ! 風でマントの裏地の刺繍が見えたわ! ……ラッキー♪)


 不意の強風でヒロシが纏うマントがめくれ、名前を縫ってある部分が丸見えになってしまった――――


「……ああ〜! 思い出した思い出した! アナタの名前は――――」


「おう」


「……『ポカパマズ=ジョージ』さんね!?」


「ブッブー。このマントの裏地に縫ってんのはもしもの為の偽名だぜ。本名はジョー=ヒロシ! それに、名前から先に聞くのは不自然だよな。普通写真と共に紹介されるはずだ」


「なっ! しまっ……!」


「……そして、母さんと俺は日ノ本に来る時に写真もカメラも持ち込んでねえ」


「…………」


「……決まりだな。あんたは敵だ。まさかお遊びで入れた、こんな昔のビデオゲームの勇者みてえな偽名の刺繍が役に立つなんざ思わなかったぜ。抜きな――――その腰元に隠してる鋭い鎌をな」


「う……ふっぐぐ…………」


 暗器まで看破され、完全にキリ子のハニートラップは破られた。


(……くそっ! こうなれば一か八か――――)


 キリ子がそう覚悟を決めた刹那――――


「キリ子おおおおおおおおおーーーッッッ!!」


 突然、彼女の名を叫ぶ男の声が響き渡った。

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