第四話 憧れとの逢瀬

「コウベ……コウベ、か……」


 ヒロシはユカリと名乗った女性の言葉に、父への想いがふっ、と胸の奥から湧いて出た。


 当時、制作スタジオはこのアニメなどを筆頭にした文化大国である日ノ本の首都圏に集中していて、地方のスタジオは少なかった。


 地方だから、首都圏だからと言ってもアニメーターの仕事や待遇にさしたる違いはないのだが……父・トオルはこの日ノ本で最も安月給なのではないか、と危惧される仕事に従事していた。それも、家計を支えるほどではなく……ほとんどトオル自身のやりがいの為に。


 作画用紙一枚あたりいくら、の出来高制で、残業手当も一切出ず何日もスタジオに徹夜や泊まり込みは当たり前。ほとんどのアニメーターは収入が全く安定しないのでローンも組めない。


 同じ待遇で働く同業者の手前では黙っていたが……昔、母・ルーシーが言ったとおり宝くじでも当てて一生食っていけるだけの富を得ていなければ、ヒロシはたちまち路頭に迷い、母は結婚生活を存続出来ていたかも怪しい。貧困を味わっていたことだろう。


――――それでもヒロシが父に憧れたのは、傾奇者の覇者になったから……というわけではない。


 幼少の頃……父が『祭り』で優勝した際に言った『やりがいのみを求めて突っ走る全ての人間への教唆』の言葉……そして何よりも、家にいない日がほとんどでも家庭を愛し、己の気持ちに嘘を一切つかずに成し遂げたいことへ邁進した父の生き様が美しいと感じたからだ。


 安定を求めずやりがいのみを追求して生きる父を、きっと生産社会で無難に生きられる人は後ろ指を指して軽蔑するだろう。


 それでもヒロシは――――父を誇らしく思っている。そんな父を受け入れ、現実に直面しながらも楽しい家庭を保ってくれた母にも感謝している。それは傾奇者の実力者であることに対する以前の感情だ。


 BAR・マインドトリップで出会ったユカリという女性から、不意に父とニアミスしている言葉を聞いたヒロシは少し物思いに耽ったのだった。


「ん? どうかした?」


「え? いやあ、ちょっと思い出しちまってな……」


「へえ? コウベで、何を〜?」


「そりゃあ……」


 ふと物思いに耽り、ぼーっとしていた時にユカリは話しかけてきて、はっとするヒロシ。


 随分気楽そうに話題に突っ込んで来るんだな、と思いつつも…….ヒロシは父のことを話してみたくなった。


 このアオザワ=ユカリという女性には妙に惹かれる。そしてあったばかりだというのに、どこかホッとする――――ごく稀に、そういった天性の魅力……天から授かった『ギフト』とでも言うべき温かな雰囲気を持って生まれる者がいることを、ヒロシはなんとなくだが知っていた。


「……俺の親父、コウベでよく働いてたことあったんだ。親父はアニメーターで……傾奇者。いや、母さんも、祖父さん祖母さんも傾奇者さ。俺は言わば傾奇者の一族の人間なんだよ」


 ヒロシは不思議な感覚を覚えつつも、素直に自分の家族について述べた。


「傾奇者の一族!? へえー、お父さんもお母さんも! それは凄いなー!」


「……傾奇者って言えば悪く言うやつもいるんだけどな……俺自身は家族を誇らしく思うぜ……」


 ワインをひと口飲み、照れくさそうに答える。


 ユカリも手元のリキュールをひと口飲み、続けて言った。


「それじゃあ……貴方は言わば、『傾奇者界のサラブレッド』かしら! うふふ、私、貴方に期待しちゃおっかな〜」


「サラブレッド? ……期待?」


 予想外の言葉に、ヒロシは思わず聞き返す。


「……あっ……サラブレッドって言葉は聞こえが悪いかもね……ごめんごめん」


「……いや、それは別に構わねえけど……」


 これはしまった、というような表情をして、ユカリは手を合わせて頭を垂れた。


 サラブレッド、という言葉自体は、両親が『祭り』で優勝して以来周囲からよく言われていた。傾奇者に憧れているくらいなので、例えからかい混じりでそう言われたとしてもヒロシは誉れと受け取っていた。


 ヒロシが意外だったのは、その後の言葉だ。


「俺に期待って……何をだ?」


 ユカリは頭を上げてワクワクした様子で答える。


「決まってるじゃない! 『祭り』の優勝と、素晴らしい『傾き』によ! わー、そんな人にここで出逢えるなんて!」


「え……?」


「はいよー、兄さん。ウチのオリジナルピザとオムレツお待たせー。ユカリちゃんにもフライドポテトねー」


 そこへ、手早く調理した軽食がママさんからカウンターに置かれる。


 ユカリはフライドポテトを一本摘みながら続ける。


「……私ね。たまにこの街に来て『祭り』を観戦するぐらいしか、大した楽しみを持ってないの。あ! ここのお酒とイタメシは大好きよ? ただ……」


 摘んだポテトをかじり、ユカリは語る。


「……『祭り』は大好きで、傾奇者に憧れもするんだけれど、そういう素質、私には無いみたい。父さんと母さんからも、そんなお下劣な遊びなんて見るのやめろ、って言われるんだけど……やっぱり、傾奇って凄いじゃない? 何であんな面白いこと、その場で出来るんだろ、って……」


 ユカリは遠くを見るような目で語る。


「私にはとても出来ない生き方。だから憧れるの。玉砕するかもしれない『一瞬』に何もかも込められるなんて、凄く情熱的で素敵だと思うわ。そこに夢もあるし……」


「……そう、だな……」


 ヒロシはピザをひと口齧りつつ頷く。


「……だから、そういう『ふざけることに一生懸命』な人って、人は馬鹿にするかもしれないけど、私にはとても輝いて見えるわ……あっ!」


「ん?」


 ユカリが何かに気付く。


「貴方も、挑戦するんでしょ? だったら、のんびりしてる時間無いんじゃない!? わー! ごめん〜時間取らせちゃった……」


 ユカリはまたも頭を垂れる。


「…………」


 ヒロシは呆然とした。


 確かに傾奇者を目指す、と公言してから馬鹿にする者は多かった。そして少数だが温かく応援してくれる者もいた。ユカリは後者だ。


 だが、ユカリと話してみてヒロシは……ただ応援され、励まされたこと以上の温かな感情を彼女に抱き始めていた。


「――――なってやるよ。ユカリ。君にとって最高の傾奇者にな」


「……え?」


 ヒロシはひとつの決心を新たにして告げた。


「俺、決めた。『祭り』で優勝することもそうだが……まず、君にとっての一番の傾奇者になって見せるよ。だから……もっと聞かせてくれねえか? この街のこと――――君のことも」


 照れながら、しかし得意気にヒロシは笑った。


 今度はユカリがしばし呆然としたが――――


「……わかった! 何でも聞いて! 出来るだけ伝える!」


 満面の笑みで、ヒロシへの厚意を露わにした。


「よろしく。俺の名前はジョー=ヒロシ。アメリカの片田舎で生まれて――――」


 それからしばし、ヒロシとユカリは語り合った。


 お互いのこと、傾奇者への憧れ、この街の実情……それは二人にとって得がたい心の温もりをその胸に感じられる時間だった。


――――予選終了まで四時間ちょうど――――

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