第10話 輝夜姫の宝石箱

 待ち合わせ場所である休憩コーナーに足を踏み入れたエルニが、萌の隣に座る少女の頭上に見た物は、宝石箱に絡みつく蛇の姿だった。


 エルニは同属同士で争う姫や二人組で行動する姫を相手にしたことがあるが、独り歩きの姫は初めてだった。今まで出会った貴属はほぼ例外なく、堅牢な城砦の中から己の決めた理を世界に広め支配する領域を広げようとする者ばかりだった。輝夜姫を名乗るあの貴属は、魔女を探していると口にした。少なくとも、人間相手に後れを取るはずがないという強い自負の持ち主だ。


 エルニは店内をちょこまかと逃げ回るリドロネットを追い掛ける。下へ下へと誘導し、ようやく商品の搬入口から店外へ飛び出した少女を裏路地で追い詰めた。


「あたしが何なのか分かってるなら話が早い。お前の持ってるギフトを渡してもらおうか」


 リドロネットは、馬鹿にするようにため息を吐く。


「なんで上から目線なのかな? キミが警備員に捕まったら面倒なことになるから、やりやすいところに来てあげたのに」

「吹かすなよ、小娘」

「どうだか。それにしてもやっぱり普通じゃないよね。白い魔女と会った時はボク自身まだ人間だったから見えなかったけど、さすがは魔女。なかなかどうして人間離れしているじゃない」


 リドロネットはエルニの頭上に古ぶるしい箱を見ていた。彼女の見る人の心はその者の知識や経験が溜め込まれた箱の形。表面に複雑な模様の刻まれたそれは、精緻な組木細工。心の奥に秘密を抱えた者ほど固く閉ざされ、他者に中を覗かれることを拒む。


「やっぱりキミは、この世界の住人じゃあないんでしょ?」

「だったらどうだってんだ?」


 リドロネットはニヤつき、舌なめずりをしてみせる。

 幼い顔に似合わぬ余裕の表情を目にし、追い詰めたはずのエルニの声がわずかにささくれ立つ。


「いやね、違う世界に放り出されて、よーく正気でいられるなと思ったんだけど。どうやら上手く調整されてるみたいだね?」

「…………」

「その様子じゃ記憶がないとか? 当たりでしょ?」


 得意げに指をさし嗤うリドロネット。

 無言のまま踏み込んだエルニの抜き打ちは、リドロネットの持つ見えない何かで受け流された。


「ボクは意味の蒐集をしているんだ。この世界のどんな物でももれなく集めるつもりだけど、価値がある物ならなおのこと大歓迎だよ」


 中空に小さな手を滑らせる。棒状ではあろうが槍か剣か。不可視なままでは間合いが掴めない。


「目に見える“物”は必要ないってこと。ボクが“意味”を収蔵したあとは、もう壊しちゃってもかまわない」


 短剣を投げ捨てると、エルニはそのまま己の影に手を差し伸べた。影は波打ち幾本もの帯を伸ばすと、エルニの身体を拘束し道化めいた装束を形作る。影の底から無数の骨ばった青白い手が湧き出すと、エルニの手に巨大な漆黒の両手鎌をうやうやしく差し出した。


「へえ。キミは差し詰め、黒い魔女ってところか」


 リドロネットは右手指で銃の形を作りエルニに向けた。伸ばした人差し指が二度曲げられる。


「!?」


 右の太ももと左のふくらはぎ。衝撃と遅れてきた痛みにエルニが視線を落とすと、黒い装束に穴が開き血が流れ出していた。


「意味だけわかれば良いって言ったでしょ? 銃の仕組みくらいとっくに収まってるよ」


 リドロネットは人差し指でこめかみをとんとんと叩くと、口元に指を寄せ硝煙を吹き消す真似をしてみせた。

 両手鎌を取り落とし跪くエルニに影はリボンをかけ続け、歪な拘束着と化す。戒めたエルニをそのまま影に引きずり込まもうとするように、青白い手がエルニの身体に群がり始めた。


「これを済ませたら、さっきの白子のお姉ちゃんも忘れずに仕舞っとかなきゃ。帰ってなきゃいいんだけど」


 睨み付けるエルニの眼光を気にするでもなく、リドロネットはショッピングモールへと視線を向ける。


「上手く使いこなせた姫はいなかったようだけど、ボクたちの魔法はその気になれば一人で一つ、新しい世界を作れるんじゃないかな?」


 小首を傾げながら、リドロネットは己の頭上を指さす。


「頭の上のこれ、キミには何か別の形に見えてるのかな? これはその人の本質でしょ? 当たり?」

「…………」

「訳知り顔の白いほうの魔女とは違って、キミはそんなことも覚えてないのか。ともかく、キミのそれを収蔵すればボクはもう一つ、世界の可能性を手に入れることができるってわけだ!」


 リドロネットは跪くエルニの頭上に両手を差し伸べ、組木細工の箱を弄り始める。実際の品物なら壊すかばらすかして仕組みを目にするだけで、確実に意味を取り込むことが出来る。だが人の経験や知識は輝夜姫であっても、箱を開け情報を引き摺り出す必要がある。


「さすがにちょっと手ごわいね……」


 リドロネットは今まで何万人もの箱を開けてきた。輝夜姫の嫋やかな指が動けば、誰もが秘する全てをさらけ出した。百歳に近い老人の入れ子の箱からは戦場での虐殺の記憶。巨大企業の経営者の金庫には、実の娘を犯し続け自殺に追い込んだ過去。箱の奥深く厳重に仕舞い込まれた重要な情報や後ろ暗い記憶を持つ者ほど、暴かれたその反動で精神に深い傷を負い廃人となった。


 それなのに。


 幾度となく蓋をスライドさせギミックを回転させボタンを押し込んでも。エルニの箱は形を変えこそすれいつまでたってもその内部を晒そうとしない。


「クソ、なんで……」

「開けないほうが良いんじゃないか、輝夜姫?」


 焦るリドロネットに、這いつくばったままのエルニが嘲るように口元を歪める。

 傷つき影の帯と青白い腕の群れ絡め捕られ身動きもままならないエルニは、地面に顔を擦りつけながら輝夜姫を見上げ嗤った。


「馬鹿にするなッ!!」


 激昂したリドロネットはエルニの頭を蹴り飛ばす。その間も素早く複雑な指の動きは止めようとしない。

 エルニは輝夜姫の頭上の蛇が己の尾を銜え、飲み込み始める様を見ていた。蛇身に巻かれた宝石箱は歪み、蓋が軋みを上げ徐々に開いてゆく。


「なんで? どうして? これを、こうして……あ……あー……」


 リドロネットは焦燥しきった表情でしゃがみ込んだ。その両手指は意味もなく複雑な動きを続けているものの、虚ろな瞳にはもうエルニの箱は映っていない。


「足るを知るってやつだ。一つならともかく二つ分の世界はお前にゃ荷が勝ちすぎてたってことだな!」


 エルニは荒い息を吐き、腕の力で無理矢理影の帯と腕の群れを引き剥がす。地面から身体を引き起こすと、エルニは拾い上げた両手鎌で、いびつな肉の球になり果てた輝夜姫の心の蛇を薙ぎ払った。



 ショッピングバッグを抱えた萌は、短剣を杖によろよろと路地裏から歩き出すエルニの姿を見付け駆け寄った。


「エルニ! どうしたの、大丈夫? うわ、うわわ、血が出てる!」


 新品のレギンスに穴が開き、両脚から血が流れているのを目にし、萌は慌ててハンカチを裂き応急手当を施す。


「転んだだけだ。悪いな、せっかく選んでもらった服を汚しちまったな」

「そんなの良いから! 歩ける? 病院行く?」

「いいよ。それより肩貸せ」


 萌の返答を待たずに、エルニは倒れ込むように萌に覆い被さった。

 慌てて支えた萌だったが、場違いにも、伝わるエルニの体温と汗の香りに思わず赤面してしまう。


「あ、あの子は? あの着ぶくれた女の子。まさかエルニ、子供相手にひどいことしてないよねえ?」

「酷いことされたのはあたしのほうだっての」

「あんな小さい子に?」


(家までのタクシー代は幾らかかるかな。その前にやっぱり病院へ行くべきじゃない?)


 少しだけ懐の心配をしたものの、萌は肩に掛かったエルニの重みと温もりに心地よい充足感を抱いていた。

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