輝夜姫の宝石箱

 待ち合わせ場所である休憩コーナーに足を踏み入れた時、エルニが萌の隣に座る少女の頭の上に見た物は、宝石箱に絡みつく蛇だった。


 同属同士で争う姫も、二人組で行動する姫も相手にしてきたが、ひとり歩きの姫は初めて見た。貴属が人間相手に後れを取ることはあり得ないとの自負からか。エルニが今まで出会った貴属きぞくは全て例外なく、堅牢な城砦の中から、己の決めたことわりを世界に広め、支配する領域を広げようとする者ばかりだった。


 エルニは、百貨店内をちょこまかと逃げ回る少女を追い掛ける。下へ下へと誘導し、ようやく商品の搬入口から店外へ飛び出した少女を、裏路地で追い詰めた。


「あたしが何なのか分かってるなら話が早い。お前の持ってるギフトを渡してもらおうか」

「なんで上から目線なのかな? キミが警備員に捕まったら面倒なことになるから、やりやすいところに来てあげたのに」


 リドロネットは、馬鹿にするようにため息を吐く。


「それにしても、やっぱり普通じゃないよね。白い魔女と会った時は、ボク自身、まだ人間だったから見えなかったけど、さすがは魔女。なかなかどうして人間離れしているじゃない」


 輝夜姫の目は、エルニの頭上にふるぶるしい箱を見ていた。彼女が見るのは、その者の知識や経験が溜め込まれた箱。表面に複雑な模様の刻まれたそれは、精緻な組木細工らしい。心の奥に秘密を抱えた者ほど、固く閉ざされ中を覗かれることを拒む。


「やっぱりキミは、んでしょ?」

「だったらどうだってんだ?」


 リドロネットはニヤつき、舌なめずりをしてみせる。

 その余裕の表情を目にし、追い詰めたはずのエルニの声が、わずかにささくれ立つ。


「いやね、違う世界に放り出されて、よーく正気でいられるなと思ったんだけど。どうやら上手く調整されてるね?」

「…………」

「記憶がないとか? 当たりでしょ?」


 得意げに指さしてみせるリドロネット。

 無言のまま踏み込んだエルニの一閃は、彼女の持つ見えない何かで受け流された。


「ボクは意味の収蔵をしているんだ。どんな物でも、もれなく集めるつもりだけど、価値がある物なら、なおのこと大歓迎だよ」


 小さな手を滑らせる、その形は槍か剣か。不可視なままでは間合いが掴めない。


「目に見える“”は必要ないってこと。“”を収蔵した後は、もう壊しちゃってもいい」


 短剣を投げ捨てると、エルニはそのまま己の影に手を差し伸べた。影は波打ち、無数の帯を伸ばすと、エルニの身体を拘束し、道化めいた装束を形作る。影の底から湧き出す、無数の骨ばった青白い手が、巨大な漆黒の両手鎌を、うやうやしく差し出した。


「へえ。キミは差し詰め、黒い魔女ってところか」


 リドロネットは、右手指で銃の形を作り、エルニに向けた。伸ばした人差し指が、2度曲げられる。


「!?」


 右の太ももと左のふくらはぎに衝撃が走る。エルニが視線を落とすと、装束に穴が開き、血が流れ出していた。


「意味だけわかれば良いって言ったでしょ? 銃の仕組みくらい、とっくに収まってるよ」


 リドロネットは、人差し指でこめかみをとんとんと叩くと、口元に寄せ、硝煙しょうえんを吹き消す真似をしてみせた。


 両手鎌を落とし、ひざまずいたエルニに、影はリボンをかけ続け、いびつな拘束着を着せる。戒められたエルニを影に引きずり込まもうとするように、白い手がエルニの身体に群がり始めた。


「これを済ませたら、さっきの白子アルビノのお姉ちゃんも、忘れずに仕舞っとかなきゃ。帰ってなきゃいいんだけど」


 睨み付けるエルニの眼光を気にするでもなく、リドロネットは百貨店へと視線を向ける。


「上手く使いこなせた姫はいなかったようだけど、ボクたちの魔法は、その気になれば一人で一つ、新しい世界を作れるんじゃないかな?」


 小首をかしげながら、リドロネットは己の頭上を指さす。


「頭の上の、キミには何か別の形に見えてるのかな? これはでしょ? 当たり?」

「…………」

「訳知り顔の白いほうの魔女とは違って、キミはそんなことも覚えてないのか。ともかく、キミのそれを収蔵すれば、ボクはもう一つ、世界の可能性を手に入れることができる!」


 リドロネットは、ひざまずくエルニの頭上に両手を差し伸べ、組木細工の箱をいじり始める。物なら壊すかばらすかして仕組みを目にするだけで、確実に意味を取り込むことが出来るが、人の経験や知識は、箱を開け情報を引きり出す必要がある。


「さすがにちょっと手ごわいね……」


 リドロネットは今まで何万人もの箱を開けてきた。輝夜姫のたおやかな指が動けば、誰もが全てをさらけ出した。百歳に近い老人の入れ子の箱からは、戦場での虐殺の記憶。巨大企業のCEOの金庫には、実の娘を犯し続け、自殺に追い込んだ過去。箱の奥深く厳重に仕舞い込んだ者ほど、あばかれたその反動で、精神に深い傷を負った。


 それなのに。

 幾度となくふたをスライドさせ、ギミックを回転させ、ボタンを押し込んでも。エルニの箱は形を変えこそすれ、いつまでたってもその内部をさらそうとしない。


「クソ、なんで……」

「開けないほうが良いんじゃねえか?」


 焦るリドロネットを、傷つき、影の帯と白い腕の群れによって、這いつくばる姿で拘束されたエルニが、地面に顔を擦りつけながら、あざけるようにわらった。


「馬鹿にするなッ!!」


 激昂げっこうしたリドロネットは、エルニの頭を蹴り飛ばしながらも、素早く複雑な指の動きを止めようとしない。


 エルニは、輝夜姫の頭上の蛇が、己の尾をくわえ、飲み込み始めるのを見ていた。蛇身に巻かれた宝石箱がきしみを上げ、ふたが徐々に開いてゆく。


「なんで? どうして? これを、こうして……あ……あー……」


 リドロネットは、焦燥しきった表情でしゃがみ込んだ。その両手指は、意味もなく複雑な動きを続けているものの、虚ろな瞳には、もうなにも映していない。


「足るを知るってやつだ。一つならともかく二つ分の世界は、お前にゃ荷が勝ちすぎてたってことだろ?」


 荒い息を吐き、腕の力で無理矢理影の帯と白い腕の群れを引き剥がす。地面から身体を引き起こすと、エルニは両手鎌で、肉の輪になり果てた輝夜姫の心の蛇を薙ぎ払った。


            §


 ショッピングバッグを抱えた萌は、短剣をつえに、よろよろと路地裏から歩き出すエルニを見付け駆け寄った。


「エルニ! どうしたの、大丈夫? うわ、血が出てる!」


 新品のレギンスに穴が開き、両脚から流れる血を目にし、萌は慌ててハンカチで応急手当をほどこす。


「転んだだけだ。悪いな、せっかく選んでもらった服汚しちまったな」

「そんなの良いから! 歩ける? 病院行く?」

「いいよ。それより、肩貸せ」


 萌の返答を待たずに、エルニは倒れ込むように覆いかぶさってきた。

 慌てて支えた萌だったが、伝わってくる体温と汗の香りに思わず赤面してしまう。


「あ、あの子は? あのちょっとおかしな子。エルニ、ひどいことしてないよねえ?」

「……酷い事されたのはあたしのほうだっての」

「あんな小さい子に?」


(家までのタクシー代は幾らかかるかな。その前に、やっぱり病院へ行くべきじゃない?)


 少しだけふところの心配をしたものの、萌は肩に掛かったエルニの重みに、心地よい充足感を抱いていた。

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