第11話 罪をばら撒く白い魔女

 午前中の形だけの授業を終え、みずきは隣県の市民病院に向かった。解放された茨の国で保護された住人達の受け入れ先の一つだ。二年前出現した茨の国は、みずきの叔父夫婦の住む街も飲み込んだ。周辺部から順に調査が続いているが、叔父夫婦とその一人娘であるひかりの消息は不明のまま。


 病院での照会を終えた後、父は捜索の、母は看護のボランティアとして残った。みずきは萌の誕生会を理由に帰されたが、それが終わればみずきも捜索のボランティアに加わるつもりでいる。


 憧れだったひかり姉。彼女に倣って髪を伸ばし始めたのに、みずきは癖のない直毛。従姉妹の艶やかに波打つ豊かな黒髪とは似ても似つかない。いばら姫の出現以来ひかり姉とは連絡のは取れないままだったが、無事でいてくれるだろうか。


 保護された人たちは皆身体には異常が見られないものの、主である眠り姫を失った今も誰一人眠りから覚ぬまま。運よく再会できたとして、またひかり姉と語り合う日は来るのだろうか。


「それは難しいかもしれないね」


 まるでみずきの頭の中を読み取ったかのような声に顔を上げると、目の前に一人の少女が立っていた。

 ぼんやりしていて、知らぬ間に考え事を口に出してしまったのだろうか? 


 白いコートに白のパンツ姿。整った少年めいた顔立ち。藁色の髪の下で青い瞳が穏やかな笑みを浮かべている。この辺りではまず見かけない外国人。ならばこの子が萌の言っていた旅人だろうか。


「あなた誰? どういうこと?」


 見透かされているような表情に微かな苛立ちを覚えながらも、みずきは白い少女に問いかける。


「クロエ。それが私の仮初の名前だよ。たとえ貴属が力を失おうと、行使した魔法の影響は残り続ける。それが理というものだからね」

「ことわり?」

「眠り姫は、自分を迎えに来てくれる王子様を待つためだけに領土を広げ国民から精神力を献上させていた。彼女がいなくなり領土の拡張が止まったとしても、彼女の願いにより形作られた茨の国の理だけはずっとこの世界に残り続ける」


 この少女は何を話しているんだろう。

 みずきの問いに対する十全な答えのはずなのに、意味を捉え切れない言葉の羅列はみずきの意識を上滑りしてゆく。


「でもね、それでも方法が無いわけじゃない。新しい貴属が生まれれば、主の消えた茨の国の理も新しい理で塗り替えることができる。姫君の思うがままにね」

「わたしが貴属になれればの話でしょう。そんな奇跡起こるはずがないじゃない。そんなことができるとしたら、それは――」

「それは魔女の所業だろうね」


 涼しい顔で言ってのけたクロエにみずきは強い不安を覚えた。背筋にじわりと嫌な汗が伝う。さっきまでみずきの他にも下校途中の生徒がいたはずなのに、いつの間にかエアポケットに入ったかのように人通りが途絶えている。


 クロエはポケットから一本の小ぶりなナイフを取り出し、みずきに差し出した。鞘に波の紋様が施され柄には青い宝石が埋め込まれた、装飾用の品だ。


「君は願いを叶えたくはないかい?」


 この少女は危険だ。みずきは直感で理解した。


(でもほんとうに、世界を変えるほどの力を持つ貴属にわたしがなれるとしたら? 他の誰でもない、このわたしが)


 断ればクロエは他の誰かに同じ話を持ち掛けるかもしれない。そうなれば今まで危険とは無縁でいられたこの街も、昨日までとは違う貴属の理の統べる領土になるだろう。


「さあ、これは私から君への贈り物ギフトだ」


 クロエは柔らかい微笑みを浮かべ、みずきの決断を待っている。


(わたしが選ばれたんだ……断る理由があるの?)


 気が付くとクロエの姿はどこにも無く、ナイフを手にしたみずきだけが残されていた。苦い唾を一つ飲み込み鞘を払うと、虹色に輝く刀身が姿を表した。


 その瞬間、みずきの頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。世界の仕組み。この世の果て。そして、己が世界の理を改編する術を持つ存在であることの確信。恐れも迷いも消し飛び、まるで生まれ変わったかのような清々しい気分がする。


 いつの間にか人通りが戻っている。みずきの目には下校途中の生徒達の頭上に、一匹ずつ小さな魚が泳いでいるのが見える。様々な彩を見せるその魚が、それを持つ者の心の在り方だとひと目で理解できた。


「綺麗。目移りしちゃうわね」


 みずきの頭上には、虹色の魚が優雅に泳いでいる。一度にたくさん奪えば、魚は死んでしまうだろう。少しずつ、少しずつでいい。周りの者に鱗を献上させ彩を加えてゆけば、虹色の魚は力を増し、みずきの支配できる海が広がってゆくだろう。


「ちょっと、あなた達」


 怪訝な顔で振り向く生徒たちを飲み込むように、みずきの身体から海水があふれ出した。生徒たちは驚き逃げだそうとするも、広がってゆく海の中自由に身動きが取れない。


「なにも逃げることはないじゃない。ほんの少し鱗をもらうだけよ」


 生み出したまがい物の海の中、みずきは舞うように泳ぎ距離を詰めた。もがく一人の女生徒を抱き寄せ頬をなでる。頭上で跳ねる小魚からナイフで一削ぎ分だけ鱗を剥がすと、女生徒の瞳からは輝きが失われた。


「あら……難しいわね。やり過ぎたのかしら?」


 女生徒は力を失い漂っている。だが、命まで失くした訳ではない。


「もう試験や進路で悩むこともないもの。これでいいわよね」


 削いだ鱗を加えると、みずきの頭上の魚は彩を増した。


「こうやっていけば、すぐに茨の国も飲み込める」


 なにゆえ貴属の力を欲したのか。どうして茨の国へ向かうのか。そもそもの望みを忘れ果てたみずきは、己の領土である海を広げながら泳ぎ続けた。


「みずき?」


 呼びかける声に目を向けると、買い物袋を下げた白髪の幼なじみが、驚いた表情でみずきを見つめていた。

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