第13話 うさぎみたいだねって

「みずき? ……みずき!」


 目は瞑ってしまったが、萌は逃げずに踏みとどまった。鎌はみずきの身体に触れてさえいない。それなのにみずきは意識を失い、ほかの者たち同様力なくまがい物の海に浮かんでいる。萌は漂うみずきの身体に縋り付き、泣きながら親友の名前を呼び続けた。


 エルニは少しだけ表情を曇らせると、みずきの手からこぼれ落ちたナイフを拾い、己の影の仲で湧き立ち褒美をねだるように蠢く無数の青白い手に投げ与えた。


「エルニッ!! みずきに何したの!!」

「そいつは貴属に生まれ変わった。その原因を取り除いただけだ。殺しちゃいない」

「こ……殺してないって……」


 海から引き出してもみずきはうつろな表情のままで、萌の呼びかけに反応する様子はない。


「意識を取り戻すのかまでは分からない。あたしも今まで、そこまで確かめず先を急いできたからな」


 まなじりを釣り上げた萌は立ち上がると、物も言わずにエルニの頬を叩いた。


「ッてえ……何しやがる! こうなってたのはお前のほうだったのかもしれないんだぞ!?」

「みずきはそんなことしない!!」


 張り返された萌の頬が鳴る。


「おめでたい奴だな!! そこらに浮かんでる奴の姿が目に入らないのかよ!?」


 エルニの平手打ちで吹き飛ばされた萌は道路を転がり、立ち上がることもできずに蹲ったまま嗚咽を漏らす。


「みずきはッ……! みずきはッッ……!!」

「自分は親友だから見逃して貰えたはずだってのか? それじゃあ他の連中はどうなってもいいのかよ?」


 激情を押し殺し平板な声で問うエルニに、萌は答えることが出来ない。聞こえよがしのため息を吐きばりばりと乱暴に頭を掻き毟ると、苛立ちのままエルニは吐き捨てた。


「……何だよ、あたしだけが悪者だってのか?」



 日はとうに落ち部屋に闇が満ちてゆく。灯りもつけぬままの部屋の隅で、萌は膝を抱えて座り込み壁に向いたまま目を伏せている。窓際に表情無く立つエルニはそれを横目で盗み見て、何度目かのため息を漏らした。


 人魚姫に生まれ変わったみずきと、人魚姫に襲われた数十人の生徒達は病院に運ばれた。駆け付けた救護員に対しエルニは何も語らず、萌は何一つ満足に説明できなかった。


 それでも、街の半分を飲み込んだまがい物の海とそこに生えるサンゴや泳ぐ魚たちを目にすると、誰も重ねて問うことはなかった。巻き込まれただけの少女たちが、貴属の成した世界改編の理を理解し説明できるはずがないと誰もが知っていたからだ。


「……みずきはね、わたしの親友なの」


 エルニは視線だけを動かし、呟く萌の背中を見る。


「わたしこんな見た目だから、幼稚園の頃、よくみんなにからかわれてたの。初めて会ったとき、みずきにも『うさぎみたい』って言われて」


 自らの白い髪を摘み指に絡める。


「また苛められるんだと思って泣き出したら、『うさぎみたいで可愛い』って、そっぽ向きながら言いなおしてくれたんだ」


 震える声の切れ切れの独白。

 エルニは身動き一つせず萌の背中を見つめ続ける。


「体の大きな男の子相手でも、わたしをいつも守ってくれた。だから、今度はわたしがお返しするばんだったのに……」


 肩を震わせ萌は声を殺し泣いている。


「あいつは貴属になったんだ。二度と元には戻れない。仕方ないだろ」

「貴属になっちゃったら、もう分かり合えないのかな……?」


 エルニは答えない。


「わたしたちは……分かり合う努力をしたかな?」


 エルニには答えることが出来ない。


「ねえ、答えてよエルニ……」


 ふたりの視線は絡むことなく。月明りが差し込む部屋の中、萌のすすり泣きだけが響く。


 今までにもエルニにとって後味の悪い狩りは幾つもあった。だがそのどれもが不可抗力。いつだって命懸けだった。自らギフトを手放す姫は存在しなかったし、ギフトを失えば姫はその意思も失くしてしまう。そしてエルニも、ギフトを収集する使命を捨てるつもりはなかった。それだけがエルニが何者であるのかという根源的な問いに、答を与えてくれる手がかりだったからだ。


(柄にもない。一つ所に長居しすぎたか……)


 このまま立ち去ろう。萌に掛ける言葉を持たないエルニがそう決心した時、部屋の中に場違いな歌声が流れ始めた。


「Happy Birthday to you~」


 歌い出したのはベッドの上でこきりと首かしげたクマのぬいぐるみ。


「Happy Birthday to you~」

「誕生パーティー、出来なくなっちゃったな」


 ベッドから飛び降りたぬいぐるみに、萌は寂し気なほほ笑みを向けた。


「Happy Birthday Dear Moe~」


 歌うクマのぬいぐるみの背中の縫い目が裂けてゆく。クマのダニエルを抱き上げようと両手を広げていた萌の目の前に、黒いタキシードを着た男が姿を現した。


「誕生日おめでとう、萌」

「あなたは……もしかして、あしながおじさん?」


 呆然とする萌の前でうやうやしく一礼する壮年男性の頭上に、エルニはかつてない程おぞましい物が浮かんでいるのを見た。無数の蠢く屍が絡み付くガラス管のような――


(男の貴属も存在したのか? クソッ! おかしな感傷に浸ったせいで、反応が遅れた!!)


 エルニは、逆刃の鎌を取り出すべく己の影に手を伸ばす。


「お前! いったい何者――」


 その手に鎌が捧げられることはなく、踏み込むつもりの足が動かない。窓からの月明りで落ちるエルニの影の中。そこから伸びた白い女の腕がエルニの足首を掴んでいる。


「もういいんだ。時間だよ――」


 腕に続き影から湧き出した少女の顔は、エルニの物と相似形をなしていた。


「――今度は私たちがギフトを受け取る番」

「エルニ!?」


 叫ぶ萌の目の前で、エルニは自らの影の中に引きずり込まれた。

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