世界の果ての白雪姫

 あしながおじさんにプレゼントされた純白のドレスで盛装した萌は、ランタンを手にしたおじさんに導かれるまま、地下への階段を下りてゆく。めったに入ることのない北の棟。物置代わりにしか使われていないそこに、地下室への扉が隠されてたとは、今の今まで考えもしなかった。


「こんな場所があったんだ……」

「怖いかい?」

「いいえ……」


 ランタンは、光の届かない場所の闇をかえって濃く深くする。住み慣れた自分の家の地下だというのに、萌は魔物の腹に飲み込まれるような圧迫感を感じ、胸が苦しくなった。


「あの……エルニは?」

「大丈夫。彼女もじきに現れるよ」


 落ち着いた低い声。この人は、ずっと会いたかったあしながおじさんだ。怖くはない。嬉しいはずなのに、萌はただ不安だった。貴属になり、今は意識不明で病院で眠るみずき。黒い魔女として人魚姫を狩り、己の影に飲み込まれたエルニ。


(どうしてこんなことになっちゃったのかな……)


 下りきった先にある重い樫の扉を開くと、広い部屋からろうそくの灯りがもれた。


「どうぞ」


 あしながおじさんにエスコートされ部屋に入る。ふかふかの絨毯じゅうたんが敷き詰められ、中央には10人掛けの円卓が据えられている。壁の一面を占領する大きな黒板には、理解できない文字と数式が一面に書き込まれ、残る壁は天井までぎっしりと古書が詰まった本棚になっている。


 どの調度品も、磨き込まれた立派な造りのものだったが、部屋中にどこか陰鬱いんうつな空気がおりのようにたままっている。ふと手近の灯りに目をやると、その燭台は人の手首の形をしていた。


「この部屋は……?」

「第五エーテル研究機関。この世界に、が生まれた場所だよ」


 机の上のアンティークの地球儀をもてあそびながら、あしながおじさんは答えた。


「世界の果てに辿り着くくわだて。地球を動かすアルキメデスの支点を得る計画。萌は梃子てこの原理を知っているね?」

「支点、力点、作用点の? 小学校で習いました」

「萌は賢いね。アルキメデスは言った、『我に支点を与えよ。さすれば地球をも動かさん』とね。我々はそのを探すための実験を行ったのだよ」


 何の話なのか萌には見当がつかない。ただ不安で、手を繋ぎ安心させてくれる誰かに、そばにいて欲しかった。


「思考実験螺旋らせん探索たんさく。11年前執り行われたそれにより、真に別の世界への扉が開いたとも、この部屋の中だけで全ての物事が完結したとも言われる。科学者かがくしゃ哲学者てつがくしゃ天文学者てんもんがくしゃ錬金術師れんきんじゅつし医師いし作家さっか冒険家ぼうけんか賭博家とばくか芸術家げいじゅつか富豪ふごう。参加した10人の賛同者のうち、4人が帰らぬ人となり、この部屋に新たに一人の少女が現れた」


 部屋の奥に人の気配がする。黒いドレス姿の女性が闇に沈んでいる。


「……誰?」


 人影は萌の問いかけに応えない。

 そのやり取りに気付かぬように、あしながおじさんは独り語り続ける。


「萌、魔法とは何だと思う? 我々が仮定したのは、純粋に思考でもたらされる矛盾。黒い白馬。熱い雪。存在しえないそれらの品も、人間の思考の中でのみ、仮初かりそめめの姿をとる。だがもし目の前に、この世界にありえない存在の標本ひょうほんがあったなら? 異界が存在する、確たる証拠があったとすれば?」


「そうすれば、思考の中でのみ存在を許される矛盾の産物も、絵空事ではない存在感を得る事となる。世界の果てを知り得た我々探索者たんさくしゃには、その認識だけで十全じゅうぜんに魔法の源となり得たが、この世界のことわりを根本から変えるには、まだ足りない。そのために、この世界へあまねく広めるための贈り物ギフトが必要だった」


「エルニなの?」


 闇の奥から、黒いドレスの少女が歩み寄る。髪は影を切り取ったかのような闇色やみいろ。その肌はミルクのように白く、その瞳は血のように紅い。


「彼女は異界のもの。唯一の標本にして始まりの貴属、白雪姫だ」


 顔はエルニにそっくりなのに、紅く輝く瞳には、どんな種類の感情も浮かんでいない。それなのに萌は、その少女から呪いにも似た強く激しい憎しみを感じ取っていた。


「お前らに切り刻まれた、ようやく揃える事が出来た」

「この世界に魔法を植え付けるには、それなりのが必要だったのでね」


 じわじわと萌の理解が追い付き、白雪姫の憎悪の訳を浮き彫りにする。


「ちょっと待って! 魔法を使いたいから、別の世界から連れてきたエルニをバラバラにしたの!?」


 同じ顔の二人の魔女。貴属を生み出す贈り物。

 夢物語のようだったあしながおじさんの話も、エルニ――白雪姫の深く静かな憎悪を傍証ぼうしょうに、無慈悲に萌に理解を強いる。


おおむねその通り。だが少し違う。身体からだを解体し作り出した48のギフトと、心を割り生み出した2人の魔女、罪をくものと罰を狩るもの。萌の知るエルニは、ばら撒かれた身体を集め一つに還ることを願う、白雪姫の心の片割れにしかすぎないよ」

「そんな……」


 萌の嘆きは得意げに語る男の耳には届かない。白雪姫の呪詛じゅそめいた視線は、あしながおじさんではなく萌に絡みつく。


「私にとって魔法はあくまで手段であり副産物だ。君が君の欠片を集める道程どうていで、見知らぬ世界に抱いた疑問ぎもん畏怖いふ感動かんどう。君の探求たんきゅう旅路たびじその全てが、私の探す答えを導くための道標みちしるべとなる」


 こきりと首を傾げたあしながおじさんが、白雪姫に手を差し出す。そのてのひらの上には、淫猥いんわいに熟れはぜた無花果いちじくの実が一つ。


「君は探求の代償だいしょうとして、その身ギフトに絡みついた少女達の数多あまたの願いを手に入れる。姫君が望んだ世界の形。集められた記憶。憧憬どうけい羨望せんぼう怨嗟えんさ絶望ぜつぼう。これこそが君がこの世界から得るギフトだ!」


 憎い。苦しい。呪わしい。嫉ましい。姫が抱き、姫に向けられ、エルニが集めた負の感情の集積体しゅうせきたい


「ひどい! 無理やり連れてこられて、帰りたかっただけでしょ!? この子は何も悪いことしてないのに!」

「君はもう元の世界には戻れない。その代わりに君は、この世界を望む形にすることが出来る。君へのギフト、この“”でね」


 萌の抗議は男の耳に届かず、男の御高説ごこうせつは白雪姫の耳には届かない。


「さあ、この世の真理に形を与え、私にその答えを見せてくれ!」

「私のはこれじゃない。たった一つ、私がこの世界に持ち込んだ、私の本来の持ち物ギフトを返してくれ」


 憐憫れんびん罪悪感ざいあくかんでまともに視線を合わせられない萌を、白雪姫はずっと凝視し続けている。


「わたし?」


 白雪姫が見ているのは萌の頭上の白い蛇。

 その心臓として輝く紅い林檎りんご


は駄目だ。我々が手にした最初のギフト。わが親友、富豪の一人娘を生かす為の永久機関えいきゅうきかん

「おじさま?」


 見上げた萌の目にも、その小さな白い蛇の姿ははっきりと見えた。


「何も思い出さなくても良いよ、萌。君の夭折ようせつの運命は、すでにこのギフトにより回避された。友との誓いに掛け、この錬金術師、レヴィ・ランドールが誰にも邪魔はさせない」


 萌の脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。寝たきりの日々。繋がれた管。ベッドから見る景色。おぼろげな父と母の面影。クマのぬいぐるみをくれたおじさん。


「それじゃあ、穏やかな日々が続きますようにっていうわたしの願いは、もうとっくに叶えてもらってたんだね」


 幸せというのは、何もない穏やかな日々の繰り返し。ちょっと雨に降られたり、転んで膝をすりむいたり、コインを落としても。仔猫をさわれたり、木陰でお昼寝できたり、夕飯がシチューだったなら帳尻が合う。


「そうだよ萌。私はただ萌の願いを叶える為だけに存在し続けた」


 身も心も健やかにあれ。良き師。良き友。良き隣人。理想の暮らし。

 害をなす者は影ながら排除する。芽のうちに、慎重に。徹底的に。

 壊れかけの身体。絶望を抱え、死ぬ度に最初からやり直す。

 遺伝子の欠損は避けられない。けれど心臓だけは動き続ける。


『できれば恋をして。結婚できる歳まで生きたいな』


(ああそうか。わたしが望んだから、今までずっと――)


 萌の心の蛇は林檎を吐き出し、傍らで小さくとぐろを巻いている。


「わたしは幸せだったよ。今までありがとう、おじさま」


 満面の笑みで、萌は後見人に感謝の言葉を述べた。終焉しゅうえんの予感に、錬金術師は強ばった表情でこきりと首をかたむける。

 萌は頭上の林檎に手を伸ばす。文字通り、胸を引き裂かれるような痛みが走った。


「駄目だ! やめるんだ萌!!」


 焦燥感に駆られ、ランドールが素早く手を振ると、中空に砂時計が現れた。人骨で組まれ、無数のしかばねが支えるガラス管の中、砂粒が落ち切るまではあとわずか。


「あなたのおかげで今まで幸せに生きてこられたよ。ごめんね。迷惑かけたね。苦労したでしょ」


 萌は語り掛けながら白雪姫に歩み寄る。まがい物の心臓を失い、激しい苦痛とともに、視界が暗くなってゆく。


「もう時間がないね。あなたはこの世界への贈り物。それじゃあ、あなたへの贈り物はわたしが決めるよ。受け取って」


 白雪姫の表情は変わらない。

 白いドレスを血に染めた萌は、てのひらに載せた、紅く輝く林檎を差し伸べる。


「この世界の探索を終えた、あなたの願いはなに?」

「まだ間に合う! またやり直せる! 萌、それを渡すな!!」


 最後の砂粒が落ちる前にと、ランドールは砂時計に手を掛ける。


 わずかな逡巡しゅんじゅんの後、白雪姫は手を伸ばし――

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