第2話 穏やかな日々は
「おきて、もえ」
カーテンの隙間から漏れる光が綾目を描いている。
毛布に潜り込み再び眠りに落ちようとするも、クマのぬいぐるみが邪魔をする。二度寝を楽しむのをあきらめ、
「おはよう、ダニエル」
丸く短い手で四苦八苦しているぬいぐるみを手伝い、カーテンを開けると、外を眺める。
二月の空は晴れ渡り、暖かくなりそうな気配がする。珍しく、翅を持つ妖精が庭の木々の間を飛び回るのが見える。
琥珀色の瞳を眩しげに細めると、萌はスリッパを突っかけ寝室を後にした。
今日は休日。洗面台に向かい大きく伸びをひとつすると、萌はゆっくり身支度を整え始める。
真っ白な髪。蒼白い肌。光の加減によって赤にも琥珀にも色を変える瞳。萌の容姿は、遺伝性疾患の白子症の特徴を表していた。
眉根を寄せ、真剣な表情で鏡の中を覗き込む。鼻の辺りに浮かぶそばかすは、昨日と比べ薄くなったようには見えない。入念に乳液を塗りこみ、軽くため息。
テレビを横目に、ネグリジェ姿のまま手早く用意した朝食を摂る。
キャスターが読み上げる貴属関連のニュースは、推測ばかりのあやふやなもので、正直萌にはその意味するところが少しも理解できていない。
貴属。
一体ごとに異なる異能の力を振るう彼女ら――現時点まで確認された個体は、全て年若い女性に限られている――は戯れにヒト科キ属、あるいは童話になぞらえ何某姫と呼ばれる。
人の姿を持ちながら、世界を改編するほどの魔法の力を持つ存在。それ以上のことは何も解明されてはいない。ただ彼女たちが一人現れるたび、世界は確実に様変わりを続けた。
発現するまで普通の少女として生活していたはずの彼女たちが、何を切欠とし魔法の力を得たのか。何を理由とし選ばれたのか。活動状態の貴属を調査できる者など存在せず、今もって全てが謎のまま。
能力を失った姫も確認されているが、その力とともに意思さえも失ってしまうらしく、何の手がかりも掴めない。ただ彼女たちが世界を変えた魔法の痕跡だけは、紗を掛けるように世界に重なり続け今に至っている。
萌が幼かった頃は、森に妖精は住んでいなかったはずだし、ぬいぐるみが動き出すこともなかったように思う。
世界の理が書き換わってしまうため、己の記憶が確かなのかということさえ、萌自身にも判断できない。
それでも、萌の住む街の近くに貴属が生まれなかったのは幸いな事なのだろう。街が一晩で砂漠に沈んだり、空を貫く大木が生えるような大きな変化に巻き込まれることなく、無事に暮らせている。
もうすぐ十六歳の誕生日。
萌はいつまでも、この穏やかな毎日が続くことを願っている。
『今日の水瓶座の運勢は絶好調です』
朝のニュース番組の占い結果を思い出し、萌は頬をゆるめた。
朝食の目玉焼きの黄身は双子だった。どうにも占いは当たっているような気がする。
嬉しさにくるくると日傘を回しながら歩く。強い日差しに弱いので、外出時には日傘と日焼け止めクリームは欠かせない。
「運命の出会いがあるかもしれませんよ?」
占いの続きを口にし、弾む気持ちのままふわりとターンする。ゆったりと編んだ真っ白な三つ編みが、忠実な仔犬の様に萌の舞に従った。
よろけて電柱にぶつかりかけたけれど、上手く避けることが出来た。お気に入りの白いレースの日傘は無事。やはり運勢は上々のようだ。
寒い季節に止まらない咳も今朝は出ていない。ここしばらく体調は落ち着いている。
買い物先のショップでは、春物のワンピースの良い色のものが手に入ったし、図書館で予約していた本も丁度受け取れた。家に帰ったら夕方まで本を読んで、今夜は少し凝ったものを作ろう。
「帰るにはちょっと早いかな。少し遠回りしたい気分かも」
浮き立つ心のまま、萌は寄り道することに決めた。
ボートに乗れる池のある、大きな公園。
入り口近くにアクセサリーを売る露店が出ていたが、遠巻きに眺めるだけでやり過ごす。要領が悪い萌は、話し掛けられると無下に断り切れず、いらないものまで買うはめになることが多いからだ。
軽食を売る売店で何かおやつを買おうと眺めていたら、客が一人も並んでいないアイスクリーム屋のおばさんと目が合った。
欲しいのは温かいものだ。にっこり笑ってやり過ごそうとした萌だったが、にっこり笑顔を返され立ち止まる。
「いらっしゃい!」
「え? えーっと……ラムレーズンを一つ、コーンで……」
幸運はここまでかもしれない。
冷たいアイスクリームを手に気持ちが萎えかけるが、萌は気分を立て直しベンチを探す。
家族連れならまだしも、カップルなんかの隣はやっぱり気恥ずかしい。散歩というには長めに公園を歩き回り、萌はようやく見つけた空きベンチに腰を下ろした。
ちょっとした運動になったし、日差しも強い。ぽかぽかと温まった身体に、少し溶けたアイスはとても美味しく感じた。
やっぱり占いは当たっている。
木立に遊ぶ小鳥を眺めていた萌は、ふと隣のベンチに寝転ぶ人影に目をとめた。先客は、毛布代わりの皮のコートに身を包み眠っているようだ。
乱れた藁色の頭髪から推すに、外国からの旅人だろうか。寝顔をのぞくと、少年めいたきれいな顔立ちの少女。歳は萌と同じくらいか。
何が起こるか分からないこのご時世。貴属の領地を避けて旅をするのは不可能ではないが、今では旅行者という存在は非常に珍しい。ましてや海外からとなると、極めてまれだ。
ひょっとして、宿を見付けられずにここで夜明かししたのだろうか? だとしたらこの寒空の下気の毒な話だ。
そんなことを考えながらぼんやりと眺めていたら、旅人の瞼がばちりと開きシアンの瞳と目が合った。
なんだか凄く見られている。気の小さい萌にしてみれば、睨まれているのだと感じるほどに。
じろじろ見てるのに気付いて、気を悪くしたんだろうか?
慌てて視線を逸らすも、少女の視線は萌に絡んだまま外れない。
(白子の容姿が珍しいの? でも、髪や肌なら自分だって似たようなものじゃないのよう……)
萌は内心不満を呟くも、顔に出して気取られるのも怖い。
ぎこちなく機械的にアイスをなめ続けるが、緊張のせいでラムレーズンの甘酸っぱさを楽しむこともできない。
萌はこの場から逃げ出す方法を何通りも考え続けたが、とうとう覚悟を決めて少女に向き直った。
「召し上がらります?」
失敗した。
お腹が空いて見ているだけなのかも。そう思いアイスを差し出すも、緊張のあまり舌が縺れてしまった。
(うはぁどうしようカッコ悪い!!)
旅人はのそりと身を起こすと、内心身悶えし続ける萌の隣に席を移した。
差し出す形で固まったままの萌の手からアイスをもぎ取ると、旅人はばりばりと猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。
「やっぱり、お腹空いてたんだねえ……」
少女の注意がアイスに向かいほっとした萌は、タイミングを計りさりげなく腰を上げ立ち去ろうとした。だが、ベンチを一歩離れることも許されず、首に衝撃を受けよろめいた。
「ふあっ!?」
後ろから少女が萌の三つ編みを掴んでいる。姿勢を崩す萌だったが、不自然に腰を浮かしただ少女もつられて力なくベンチから転がり落ち、二人絡まるように地面に倒れ込んだ。
「あ、あのぅ……」
伸し掛かられどぎまぎする萌の耳に、少女のお腹が小さくくぅと鳴く音が響く。
あお向けに倒れた萌には、胸元に顔を伏せる少女の表情は伺えない。だが、髪の間にのぞく耳たぶは真っ赤に染まっていた。
「え、えーっと……お昼いっしょに食べる?」
萌はあお向けに、空を見上げたままで声を掛けてみた。胸の上でわずかに頷く気配。恥ずかしげなその仕草に、萌は初めてこの少女に親しみを覚えた。
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