第3話 お化け屋敷とグリーンゲーブルズ
旅人とふたり肩を並べて家へと帰る道を歩く。少女の青い瞳は萌のものより五センチほど高い位置にある。宝石の様なそれを横目でちらちらと盗み見ても、萌には彼女が何を考えているのかはさっぱり分からなかった。
はらぺこらしい少女をもてなすには、外で済ますよりも家へ招待したほうが安上がりだろう。そう判断し、帰り道にある商店街でいつもより多めの買い物を済ませる。
自分が作れる料理のレパートリーから、珍しい客人に出しても恥ずかしくないものを検討していた萌は、まだ隣を歩く旅人の名前すら知らないことに気が付いた。
「自己紹介がまだだったね。わたしは萌。塔ノ森萌。あなたは?」
「エルニ」
公園ではあれだけじろじろ睨み付けていたのに、今度はそっぽを向いたまま投げ出すように応えを返す。素っ気ないエルニの反応に萌の心は折れそうになる。だけど悪い人ではないらしいという自分の直感を、萌は信じることにした。
「旅行中? どこから来たの?」
「……忘れた。遠いところだ」
ひょっとして、貴属のせいで故郷を無くした人なのかも。
眉をひそめて呟いた横顔が、今にも泣きだしてしまいそうに見えて。萌は慌てて話題を変えた。
晴れの日にまとめて洗濯する気持ちよさ。
通学路でいつも吠えてくる怖い犬。
世話焼きな学校の友人の口癖。
今日手に入れた服の色。
「あ、そうだ。わたしあさってが誕生日なの。お祝いしていってね!」
取り留めない話題に続く不意の招待に、エルニはきょとんとした表情を晒したあと、、少しだけ口元をゆがめ頷いた。
どうやら微笑んでみせたつもりらしい。
「ここがわたしの家だよ」
古い家が立ち並ぶ住宅街を抜け、レンガ塀沿いの坂道を登った後、萌が指さしたのは、古びた洋館だった。
塀で囲われた広い敷地には木々が生い茂り、原生林のごとき様相を呈している。
屋敷自体も手入れが行き届いていない様子で、塀越しに見える建物のL字型に曲がった北の棟に至っては、屋根の一部が抜け朽ち果てたままになっている。
「近所の子供にはお化け屋敷とか呼ばれてるけどね」
あいまいな表情を浮かべ屋根の穴を見るエルニに、萌は苦笑して見せた。
門から続く小道には、白い小石が敷き詰められていた。玄関前にはこぢんまりとした花壇が設えられ、陶製のドワーフが飾られている。玄関脇に立つ木製の郵便受けには木彫りの小鳥。廃墟同然の北の棟とは違い、壁は白、屋根やポーチの柱と雨戸は緑の塗料で塗られ、塗り跡はまだ新しい。
一転して広がる少女趣味な風景に、エルニは怪訝そうな表情を見せた。
「一人で住んでるからこっちの棟しか使ってないの。家屋敷の管理業者さんは、三か月に一度来てくれるんだけどね」
萌の手仕事で整えられているのは、普段使っている正面の棟だけだ。その中でも萌の使う部屋は限られている。家屋敷全部は広すぎて、とてもじゃないが萌一人の手には負えない。
「金は持ってるのか? 維持するだけでずいぶん掛かりそうだな」
「昔から、可哀想な女の子には、あしながおじさんが付いてるものだよ」
いたずらっぽくウィンクしてみせる萌に、エルニは訝しげな表情を返す。
「あしながおじさん?」
「そう。今度の誕生日には会ってくれるんだって!」
萌自身、援助をしてくれているその人の素性をよく知らない。
物心つく頃にはもうここでシッターの世話になっていた。身の回りのことを自分でこなせる歳になってからは、手ごろなアパートにでも越したほうが便利だし安上がりだと考えたが、ここに住むことは顔も知らない後見人から指示されたこと。
理由あって名乗り出ることのできない遠縁の親戚の住まいだとか、曾祖母の代のロマンスが絡んでいるとか。折々届けられる手紙やメッセージカードだけを手掛かりに、萌はいつも想像を働かせていた。
「紫の上扱いを企む、光源氏気取りのヤツじゃなきゃいいよな?」
「あら。それも素敵じゃないのよう!」
皮肉っぽいエルニの言葉に、萌は唇を尖らせた。
玄関前に辿り着いてもエルニはまだ北側の棟に目を向けている。まさか、お化け屋敷呼ばわりを本気にしたのだろうか。何か棲みついているとしても、このへんにはせいぜい害のない妖精くらいしか出ない。
「ようこそエルニ。歓迎するよ!」
旅人の懸念を吹き飛ばすように、萌は明るく玄関扉を開いてみせた。
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