第4話 ごはんにしよう!

「……遅い」


 呟きながらエルニは、いらいらとテレビのリモコンを操作した。受信できるのはわずか二局。それでも先ほどからニュース番組とキッズアニメを、落ち着きなく何度も切り替えている。


 萌に『すぐお昼にしますからねえ』と、居間に通されてから既に五時間が経過している。あいかわらずキッチンからは調子っぱずれなハミングが流れ続け、時折物の壊れる音や、わあだのきゃあだのの悲鳴が混じる。


 いったい何を作っているんだ?

 エルニはキッチンに殺気交じりの凶相を向けると、


「ひ・る・め・し・はまだ出来ないのか?」


 一音ごとに呪いを込めるように呻き声を上げた。


「もうすぐですよう。美味しいのが出来ますからねえ」


 エルニの皮肉は通じることなく受け流され、再びほわほわと甘いハミングが流れ始める。空腹と敗北感に押し潰され、エルニはソファに身を沈めた。


 しかし、あれは何なんだろうな? 

 八杯目の紅茶を自分で淹れながら、エルニは萌の頭上に見たものを思い返す。


 ギフトを狩るために必要なセカンドサイト。エルニが見るのは人の心の象徴だ。

 萌のそれは赤い目をした小さな白蛇。パステルカラーの花畑の中から、恥ずかしげに顔を覗かせていた。


 それは萌が、見た目通りのお花畑の住人だということを表しているのだが、エルニにはどうにもそれが腑に落ちない。孤児である萌が、あのような何の歪みもない人格を育めるものだろうか?


 善人だとか悪人だとかの問題ではない。どんな人間であれ、ただ生きているだけで歪むことも汚れることも避けられはしないという話だ。それとも、萌のあり方を受け入れられないほどに、エルニが人の暗部を覗き続けてきた結果なのか。


「ああクソッ!」


 クッションにリモコンを投げ付け、苛立ち交じりの思考を整理する。

 不自然には違いない。けれど、貴属であるなら当然持っているはずのギフトの痕跡はなかった。眠り姫との対峙からまだ一週間も経っていない。ギフトを配り歩く白い魔女の足取りも掴めないまま。そうそう都合よく貴属の痕跡に行き合えるとも思えない。


「魔法の気配は感じない。それに、姫君の城にしちゃあここは少々お粗末に過ぎる」


 考えすぎだ。

 そう結論付けたエルニが紅茶を飲み干し、三度目の花摘みに行くべきかと思案し始めたころ、萌がひょこりと居間に顔をのぞかせた。


「お待たせ。ごはんできたよ!」


 料理の出来は五時間待たされただけのことはある代物だった。少なくとも、量に関しては。


 ダイニングテーブルには白い清潔なテーブルクロスが敷かれ、花が飾られている。並んでいるのは、クリームシチュー、ベーコンとアスパラのパスタ、トマトとキノコのオムレツ、大根とホタテのサラダ、鯖の味噌煮に肉じゃが、ほうれん草の胡麻和え。籠にはバゲットとロールパンが盛られ、炊飯器には炊き立てのご飯が湯気を上げている。


 並べられた料理の数々は、どう見繕っても六人分は下らない。


「と……統一感……」

「うん?」


 メニューの統一感こそ皆無だったが、テーブルに並べる直前に仕上がるよう計算して調理したものらしく、どの皿からも暖かな湯気が立ち上っていた。


「誰かに食べてもらうのは久しぶりだから、少し張り切っちゃったよう!」


 エプロン姿の萌は、腕まくりした右手でガッツポーズをして見せ、誇らしげな表情を浮かべる。


「どれか二皿……いや、一皿でいいから四時間前に食わせて欲しかったな」

「うん?」


 エルニの呟きに、萌は腰に手をあて首をかしげる。


「いや、分からないならいい。食わせてもらえるだけで御の字だ」


 おざなりに肯いて見せながら、エルニはテーブルに付くや、パスタを取り分け掻っ込み始めた。


「ちょ、手は洗った? いただきますは? 神様にお祈りとかしないの?」


 エプロンを脱ぎながらテーブルに付く萌は、唇を尖らせてエルニをたしなめる。


「ふぃははひまふ」


 エルニはこれ見よがしにインドの僧侶めかした合掌をして見せ、口いっぱいにパスタを頬張ったままもごもごと呟いた。


「お行儀悪いよう!」


 お手本を見せるようにいただきますと手を合わせると、萌は大きなオムレツを半分取り分け、ケチャップでスマイリーを描き始めた。

 萌に対して聞くべきことや言いたいことは山ほどあった。しかし、数日ぶりのまともな食事を前にしたエルニにとっては、そのどれもが些細なことにすぎなかった。


 空腹は最上のスパイスだということを差し引いてみても、萌の料理の腕は確かなものだった。時間をかけ、思い付くだけの得意メニューを丁寧に作ったのだろう。茶碗を突き出しご飯を催促しつつ様子を伺うも、目の前の少女からは料理を客人に食べてもらえることへの、純粋な喜びだけが伝わってくる。


(なんだ、やっぱりこの白いのは天然ものじゃないか。行き倒れを家に上げできる限りのもてなしをするなんて、確かにお花畑にすぎる)


 エルニの食べっぷりが嬉しいのか、萌は妙ににこにこしている。楽し気な萌を横目に、エルニは初めて目にした鯖の味噌煮に取り掛った。


「エルニは旅行の途中? どこに行くつもりなの?」


 自分の茶碗にもご飯をよそいながら、萌が尋ねた。


「どこでもない。あたしのは旅行じゃなくて旅だから」

「うん?」

「行くあてがあるんじゃない。やるべきことがあるだけだ」

「……そう」


 言い切る強さに言葉以上の物を感じ取ったのか。萌はもごもごと口籠る。

 ホストのくせに気を回し過ぎだ。重ねて問われたとしてもエルニの事情は萌に話せる物でもない。それでも萌の曇った表情は、少しだけエルニの罪悪感を刺激した。


「長い旅だ。いろいろなものを見てきた」


 箸を置きお茶で喉を湿したエルニは、独り言のように話し始めた。


 様々な国の景色。

 海辺の町。

 山間の村。

 人々の暮らし。

 貴属の領地。

 砂漠のバザー。

 架空庭園。

 虹色の雲。

 預言する岩。

 妖精市場。

 昼なお暗い大樹の森。

 空を渡る竜の群れ。


 世界が変わる前から変わらぬ人の営みと、姫君たちの魔法が生み出した幻想風景。

 見たこともない世界の話に、萌は瞳を輝かせて聞き入っている。


「すごいね。わたしも卒業記念に、国内旅行くらいはしてみたいなあ」

「ふん。食事の礼だ。おしゃべりは柄じゃないが、見て来たものを話すくらいならいくらでもしてやれる」


 貴属の魔法の影響の少ないこの街の住人にはいい土産話だろう。旅の目的を話して聞かせるまでもない。秘密を明かせない埋め合わせに、エルニは萌の喜ぶ話を披露し続ける。


 自分に対し言い訳めいた気持ちを抱きつつ語り続ける愚かさに、何故だかエルニは気付かなかった。


「どのみち、あたしの旅の終わりはすぐそこだ」

「……?」


 話すうちにお腹がくちくなってきた。ずいぶん食べたつもりだったが、テーブルの上にはまだ三人分以上の料理が残っている。残り物を冷蔵庫に仕舞い食後のお茶を淹れた萌は、しきりに時計に目をやりながら落ち着かない様子でもぞもぞしている。


「あのね、エルニ。……このあと、どうするの?」


 時刻はもう八時を過ぎている。いつもならエルニはとうにねぐらを見付けている頃合いだ。


「もし良かったら、泊っていかない?」


 屋根の付いた所に泊まれるのなら断る理由はない。見返りを求められないのならなおさらだ。萌からの申し出がなければ、エルニは使われていないという北の棟に忍び込むつもりでいた。


「ありがとう。助かるよ」


 そっけなくも気持ちのこもった感謝の言葉に、萌は満面の笑みを浮かべた。

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