第5話 ベッド使っていいって言ったろ!?

 丹念に身体を洗いシャワーで流すと、エルニはバスタブに身を沈め手足を伸ばした。

 ゆっくり湯を使えるのは何日ぶりだろうか。疲れが解けてゆく心地良さに猛烈な眠気を誘われる。


 湯船で眠り込みそうなのをこらえ浴室を出ると、脱衣室の籠にはおろしたての下着と、やけに可愛らしい白のネグリジェが用意されていた。エルニが脱ぎ捨てた服はすでに洗濯機の中で回っている。


「他のはないのか?」

「もっと可愛いのってこと?」


 脱衣室からのエルニの問いに、キッチンで洗い物をしている萌が応える。


「いや……もっとこう、普通のだ」


 ため息を吐き、エルニは着替えを手にキッチンへ向かう。

 首にタオルを掛けただけのエルニの姿を目にし、萌は真っ赤になってエルニを脱衣室へ押し戻した。


「女の子なんだから、そんな格好で歩き回っちゃだめだよ!」

「女同士だから別にいいだろ? 他に無いなら裸でも――」

「ダーメーでーすー!」


 頭から無理やりネグリジェを被せられたエルニは、不満顔のまま脱衣室を出ようとする。萌は再びエルニを捕まえ鏡の前に座らせた。


「ちゃんと髪乾かさないと、痛んじゃうよ!」


 抵抗するのも面倒だ。エルニは観念し、萌の好きにさせることにした。

 ドライヤーとブラシを手にした萌は、鼻歌混じりで楽しげにエルニの髪をブラッシングしている。

 他人に髪を触らせるのはどのくらい振りだろう。ドライヤーの温かい風と背後から流れる調子っぱずれの甘いハミングにエルニは眠気を誘われ、こくりこくりと頭を揺らす。


「ほら。こんなに細くて綺麗なんだから、手入れしないともったいないよー」


 萌の声でエルニは眠りの入り口から引き戻された。

 鏡には丁寧に髪を梳られたエルニと、それを誇らしげに見下ろす萌が映っている。

 おもちゃにするなと文句の一つも言ってやろうかと思っていたエルニだったが、萌の表情を見て口ごもった。


(こいつはこれで満足しているんだ。わざわざへこませることもない)


「……そうか。そうだな」

「ベッドは二階にあるから使って良いよ」

「何から何まで悪いな。先に休ませてもらうよ」


 萌の案内を待たずに、エルニはひとり階段を登った。造りが古く派手に軋むがどこも掃除は行き届いている。右手に続く廊下を挟んで南側に三つ、北側に二のドアが並んでいる。


 南側手前のドアには“MOE”と記された猫の手型のネームプレート。どうやらここは萌の部屋らしい。

 エルニに覗きの趣味はない。素通りし北側手前のドアを開ける。壁一面に木製の本棚が並び、窓辺には机が置かれている。ちょっとした図書室のようだが、勉強部屋だろう。あくびをかみ殺しながら残りのドアも確認するが空き部屋と物置き部屋で、ベッドはどこにも見当たらない。


(なんだ? 自分のベッドを代わりに使っていいってことか?)


 エルニは渋い表情で萌の部屋のドアを開け、灯りを点けた。

 クリーム色の壁紙。パステルピンクのカーテン。窓際の棚にはファンシーな小物が並べられ、ベッドの上にはクッションとぬいぐるみ。


「いらっしゃい。きみはもえの友だち?」


 こきりと首をかしげ、しゃべり出したクマのぬいぐるみの相手をすることなく、エルニは無言で部屋の外へ蹴り出した。

 名前を付けリボンを贈ったぬいぐるみに、仮初めの命を与えるという理を定めたのはいったいどの姫だったか。どのみち人間がいる間だけ反応する、まがい物の生命でしかない。


 エルニは部屋の明かりを消しベッドに潜り込んだ。

 枕元に座らされていた白いうさぎのぬいぐるみが寄りかかってくる。どうやらこいつは勝手に動き出さないらしい。


「お前の目は、ご主人様に似ているな」


 うさぎを捕まえて胸元に抱くと、エルニはすぐに眠りに落ちた。


 どのくらい眠ったのだろう。部屋のドアが開く気配で目がめた。

 うかつにも短剣を階下に置き忘れたことに気付き悔やむエルニに構うことなく、クマのぬいぐるみを抱いたネグリジェ姿の萌がもそもそとベッドに潜り込んできた。


「まてまて、ベッド使っていいって言ったろ!?」


 慌てて跳ね起きるエルニに、萌は不思議そうな顔を向ける。


「うん。先に寝ててくれて良かったけど。それとももっとお話ししたい?」

「あたしが! ベッドを! 使っていいんだろ?」


 何か埋めがたい認識のずれがあるらしい。無防備な姿を見られた気恥ずかしさと寝入りを邪魔された苛立ちに、エルニは大声で喚きたてる。


「友達が泊りに来るときはいつもいっしょに寝るんだよ。ダブルだからふたりでも狭くないでしょ?」


 萌の無害は認識しつつも、エルニには知り合ったばかりの人間と同衾する趣味はない。


「他にベッドはないのか?」

「あるよー、客間に」

「ならそこに移らせてもらう」

「ベッドはあるけどマットがないの」


 ドアを開け部屋を後にしかけたエルニの足は、くすくす笑いながらの萌の言葉で縫い止められる。


「じゃあ居間のソファで休ませてもらう」

「居間はテレビ見るところだよ? 寝るのは寝室だよう」


 首元まで毛布を引き上げた萌が、クマと並んでエルニを見ている。


「それに、毛布もないし」


 自分の体温で温めたベッドを諦め、今からソファに移るのもしゃくだ。エルニは荒っぽくドアを閉めると、萌を壁際に押し込めベッドに潜り込んだ。


「お話しする?」

「……さっきたくさんしたろ!」


 取り合わず萌に背を向けると、顔の前にうさぎのぬいぐるみを置かれた。


「おやすみ、エルニ」


 背中越しに聞こえる萌の柔らかい声を無視し、やけくそ気味に掴んだうさぎを抱きしめると、エルニは固く目を閉じた。


            §


 夢を見た。

 白いうさぎの着ぐるみにまとわりつかれる夢だ。

 着込んでいるのは出会ったばかりの白髪の少女らしい。


 夢の中では良くあることだが、エルニがどれだけ力いっぱい押しのけようが叩こうがまるで堪えた様子はない。

 エルニはとうとう諦めてうさぎの好きにさせることにした。

 ぬいぐるみの様にエルニを抱いたうさぎは、生意気にも満足げな表情を浮かべている。


(まあ、いいか)


 徒労感でくたくたになりつつも、何故だかエルニは満ち足りた気分だった。

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