ベッド使っていいって言ったろ!?

 身体を洗い流すと、エルニはバスタブに身を沈め手足を伸ばした。

 ゆっくり湯を使えるのは何日ぶりだろうか。疲れが解けてゆく心地良さが猛烈な眠気を誘う。


 湯船で眠り込むのをこらえ浴室を出ると、籠にはおろしたての下着と、やけに可愛らしい、白いのネグリジェが用意されていた。エルニが脱いだ服はすでに洗濯機の中で回っている。


「他のはないのか?」

「もっと可愛いのってこと?」


 エルニの問いに、キッチンで洗い物をしている萌が応える。


「いや……もっとこう、普通のだ」


 ため息を吐き、エルニはネグリジェを手にキッチンへ向かう。

 首にタオルを掛けただけのエルニの姿を目にし、萌は顔を真っ赤にしてエルニを脱衣室へ押し戻した。


「女の子なんだから、そんな格好で歩き回っちゃだめだよ!」

「他に無いなら裸でも――」

「ダメですー!」


 萌に無理やり頭からネグリジェを被せられたエルニは、不満顔のまま脱衣室を出ようとする。

 萌は再びエルニを捕まえ、鏡の前に座らせた。


「ちゃんと髪乾かさないと、痛んじゃうよ!」


 抵抗するのも面倒だ。エルニは観念し、萌の好きにさせることにした。

 ドライヤーとブラシを手にした萌は、鼻歌混じりで楽しげにエルニの髪をブラッシングしている。


 他人に髪を触らせるのはどのくらい振りだろう。ドライヤーの温風と、背後から流れる調子っぱずれの甘いハミングに、エルニはこくりこくりと眠気を誘われる。


「ほら。こんなに細くて綺麗なんだから、手入れしないともったいないよ」


 萌の声で、エルニは眠りの入り口から引き戻された。

 鏡には丁寧に髪を梳られたエルニと、それを誇らしげに見下ろす萌が並んで映っている。


「……そうか。そうだな」


 おもちゃにするなと、文句の一つも言ってやろうかと思っていたエルニだったが、萌の表情を見て口ごもる。


(こいつはこれで満足しているんだ。わざわざへこませる事もない)


「ベッドは二階にあるから使って良いよ」

「悪いな。先に休ませてもらうよ」


 萌の案内を待たずに、エルニは階段を登った。造りは古いが掃除は行き届いている。廊下を挟んで南側に3つ、北側に2つのドアが並んでいる。

 南側手前のドアには“MOE”と記された猫の手型のネームプレート。どうやら萌の自室らしい。


 エルニに覗きの趣味はない。素通りし、北側手前のドアを開ける。壁一面に木製の本棚が並び、窓辺には机が置かれている。ちょっとした図書室のようだが、勉強部屋か。あくびをかみ殺しながら残りの部屋も確認するが、空き部屋と物置き部屋で、ベッドは見当たらない。


(なんだ? 自分のを代わりに使っていいって事か?)


 エルニは渋い顔で萌の部屋のドアを開けた。

 クリーム色の壁紙。パステルピンクのカーテン。棚にはファンシーな小物が並べられている。ベッドの上にはクッションとぬいぐるみ。


「いらっしゃい。きみはもえの友だち?」


 こきりと首をかしげ、しゃべり出したクマの相手をすることなく、エルニは無言で部屋の外へ蹴り出した。

 名前を付けたぬいぐるみに仮初めの命を与える理を定めたのは、どの姫だったか。どのみち人間がいる間だけ反応する、まがい物の命でしかない。


 エルニは部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。

 枕元に座らされていた、白いうさぎのぬいぐるみが、寄りかかってくる。どうやらこいつは勝手に動き出さないらしい。


「お前の目はご主人様に似ているな」


 うさぎを捕まえて胸元に抱くと、エルニはすぐに眠りに落ちた。

 どのくらい眠ったのだろう。部屋のドアが開く気配で目がめた。


 短剣を階下に置き忘れた失策に気付き、悔やむエルニに構うことなく、クマのぬいぐるみを抱いたネグリジェ姿の萌が、もそもそとベッドに潜り込んできた。


「ベッド使っていいって言ったろ!?」


 慌てて跳ね起きるエルニに、萌は不思議そうな顔をする。


「うん。先に寝ててくれて良かったけど。それともお話ししたい?」

「あたしが! ベッドを! 使っていいんだろ?」


 何か埋めがたい認識のずれがあるらしい。寝入りを邪魔されたエルニの声がとがったものになる。


「友達が泊りに来るときは、いつもいっしょに寝るんだよ。ダブルだから狭くないでしょ?」


 エルニには、知り合ったばかりの人間と、同衾する趣味はない。


「他にベッドはないのか?」

「あるよ、客間に」

「ならそこに移らせてもらう」

「ベッドはあるけどマットがないの」


 いらいらとドアを開け、部屋を後にしかけたエルニの足が止まる。


「じゃあ居間のソファで休ませてもらう」

「居間はテレビ見るところだよ? 寝るのは寝室」


 首元まで毛布を引き上げた萌が、クマと並んでエルニを見ている。


「それに、毛布もないし」


 自分の体温で温めたベッドを諦め、居間のソファに移るのもしゃくだ。エルニはドアを閉めると、萌を壁際に押しのけベッドに潜り込んだ。


「お話は?」

「……さっきしたろ?」


 萌に取り合わず背を向けると、顔の前にうさぎのぬいぐるみを置かれた。


「おやすみ、エルニ」


 背中越しに聞こえる萌の柔らかい声を無視し、やけくそ気味にうさぎを掴み抱きしめると、エルニは固く目を閉じた。


            §


 夢を見た。


 白いうさぎの着ぐるみにまとわりつかれる夢だ。

 着込んでいるのは出会ったばかりの白髪の少女らしい。


 夢の中では良くあることだが、エルニがどれだけ押しのけようが叩こうが、効いている様子はない。


 エルニはとうとう諦めて、うさぎの好きにさせる事にした。

 ぬいぐるみの様にエルニを抱いたうさぎは、満足げな表情を浮かべている。


(まあ、いいか)


 徒労感でくたくたになりつつも、何故だかエルニはそんなに嫌な気分ではなかった。

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