第4話 準備
寺院から離れた、適当なところで
「で、これっと」
鞄から吸うまいの大きな布を取り出した真人は、小舟をすっぽり隠すよう上にかけた。さらにその上から二人で雪をかけていく。
「このくらいでいいんじゃない? 私の眼球センサーじゃ、錯覚を起こしてるわ」
「じゃ、このくらいにするか」
深雪に応じ、真人も手を止める。そこに小舟が横倒しになっているのにほぼ平らにしか見えない川岸を見て、満足そうに頷いた。
最新式のアンドロイドの目さえごまかす、カモフラージュシートの性能を見せつけられ、真人は思わず口笛を吹いた。調達してくれた
「軍用なだけあるな。完璧に隠せてる」
「でも、触ったらわかるんでしょ?」
「ああ。けど職員がこの辺りまで来るとは思えないし、真冬の川辺に誰も近づきたがらないだろ。犯人たちがどこにいるかはわかんねえけど、俺たちが見つからないよう気をつけときゃ、心配ないと思う」
「ならいいんだけど……で、これからどうするの? さすがにまだ入れないでしょ?」
腰に手を当て、深雪は真人に問いかけた。
この時代よりもさらに前の、日本もテロや空襲の対象となっていた時代。すでに多くの種の絶滅を確認していた日本政府は、国内に生息、もしくは研究施設に保管されているあらゆる動植物のDNAデータを収集、一ヶ所に保管する大事業をひそかにおこなっていた。正確なDNAデータを保管しておけば、今は不可能でも将来、絶滅種を復活させることができるかもしれないと考えたのである。旧約聖書にある『ノアの箱舟』のように、多くの日本人のDNAデータも難病の治療法の発見という夢も、あの時代遅れな外見で建てられた研究施設にしまわれた。
だが政府の大事業は、数十年後のこの時代に潰えることになった。
過激思想を唱えるカルト教団の信者数名が、極秘だったこの事業と研究所別館の存在を嗅ぎつけ、襲撃したのである。その結果、内部の設備の多くが破壊され、保管されていたDNAデータは大部分が欠損し、使いものにならなくなった。研究所はただちに閉鎖され、研究員は離散。これ以後、日本政府による大規模なDNAデータの収集事業は、資金難や社会情勢の緊迫化を理由に、おこなわれることはなかった。
よって、研究所別館の特別倉庫が狂信者に破壊される前に、収集されていた膨大なDNAデータを可能な限り収集して帰還せよ――――それが、二人に与えられた任務なのだった。
辺りを見回し、真人は言う。
「そうだな……中へ入るのは夕方――職員があらかた帰る時間にしとこう。さっさと端末がある部屋へ入ってDNAデータのコピーを始めれば、犯行時刻までには最低でも、人間のDNAデータはコピーできてるはずだ」
犯行が具体的にどんなものだったかは、逮捕された男の証言の報告書を読んで真人は把握済みだ。研究所別館の見取り図も、頭部の記憶媒体に叩き込んである。自分たちは行けないからと、西村博士と彰彦がかき集めて渡してくれた情報は、何から何まで役に立つものばかりだった。
縁もゆかりもない自分と深雪を拾い、研究所の雑用として穏やかな日々を与えてくれた二人のためにも、何があっても人間のDNAデータだけは現代へ持ち帰らなければならない。それが、二人に対する恩返しというものだ。真人はそう、心に決めていた。
「そう、じゃあ」
「――――し」
深雪が言いかけたそのとき、真人はセンサーに引っかかるものを感知し黙らせた。警戒モードに自動突入し、研究所別館のほうから音声を拾ったことを確認する。
「真人?」
「誰か、来た。――――隠れるぞ」
言うや、真人は深雪の手を掴んで木の影に隠れさせた。自分もまた、別の木の影に身をひそめる。
音声は、ほどなくして二人の近くまでやって来た。
二、三十代らしき男、三人。白衣や警備員の制服、スーツではなく、地味な色合いの登山用ウェアを着ている。背中には大きなザックだ。
それだけなら、休日を満喫している職員か何かに見えなくもない。しかし三人を見た瞬間、真人の警戒モードのレベルが一段階上がった。精神的に正常ではない、という判断がされたのだ。
髭面の男の、血走った目がその最たる根拠だ。瞳に宿るぎらぎらとした光は正常な人間が浮かべる情熱とはほど遠く、人間の思考をトレースしただけの疑似思考でさえ、危険だと結論を下す。
間違いない。この男たちが、研究所別館を焼きつくした狂信者なのだ。真人は確信した。犯人グループの顔写真は現代に残っていないが、研究所別館が焼失したのは今日なのである。そんな日にあんな様子で現場周辺をうろついているのだから、犯人としか考えられない。
真人も深雪も、息をひそめて気配を消した。その甲斐あってか、三人は周囲に首を巡らせても二人に気づかず、ひとしきり言いあってから引き返していく。
三人の姿が完全に見えなくなり、真人の警戒モードは解除された。それを認識し、真人と深雪はそろそろと木の影から出る。
真人ははあ、と息をついた。
「上流へ上っていくの、どこかから見られてたんだろうな……座標の設定、もうちょいずらしゃよかったか」
「でも、このタイムマシンって細かい座標の設定ができないんでしょう? あんまり遠すぎても、研究所から逃げるときに大変だし、仕方ないわよ」
と、深雪は肩をすくめ、三人が去っていったほうに改めて目を向けた。
「あいつらが研究所を襲撃する前に中へ入って、DNAデータをコピーしなきゃいけないのよね?」
「ああ。ったく、あんなヤバそうな奴らを相手にとか、面倒くせえな」
「大丈夫よきっと。真人は強いんでしょ? 三人くらいどうってことないわよ」
「強いったって、三人がかりじゃどうなるかわかんねえよ。一人は元軍人だって話だし。対アンドロイドの武器持ってたら、厄介だぞ」
だから事は慎重に進めないといけないと、真人は言外に匂わせるのだが、深雪はそんな注意にまったく気づいたふうではない。ともかく、と何故か話をまとめる方向に入る。
「研究所へ侵入する夕方まで、時間が空いてるわけよね?」
「……何が言いたいんだよ、お前」
深雪の顔がうきうきしたものになるものだから、真人は何かくるな、と確信して半眼になった。こういう表情をするとき、突拍子もないことを言うのが深雪なのだ。
今回も例に漏れず、決まってるじゃない、と深雪は言った。
「せっかく本物の冬山に来たのよ? 歩かないと損じゃない。少し歩いてくるわ」
「はあ?」
突然の離脱宣言に、真人は思わず声を裏返らせた。
自分たちは夕方から、研究所へ不法侵入し窃盗を働くのである。予定時刻まで、この辺りで潜伏しておくのが普通の思考だろう。もし何かあって時間に遅れたら、どうするつもりなのか。明日に延期なんてできないのに。
だというのに、いいじゃない、と深雪はまったく聞きはしなかった。
「発信器は切らないし、そんなに遠くへ行かないわよ。夕方までには帰って来るから、真人は待ってて」
「ちょ、深雪」
真人が押し殺した声で呼び止めても、一度走りだした深雪は止まらない。真っ白な山中を、どんどん奥へと進んでいく。
一体何をそんなに見たいのだろう。こんな白いだけの世界に、はしゃぎたくなるようなものなんて何もないのに。
「女ってわけわかんねえ……」
細い背中が真っ白な世界に消えていくのを見つめながら、真人は呆然と呟いた。
ほんの数分前まで危険な男たちと鉢合わせしそうになり、作戦開始の予定時刻を確認したのなら、少しは怖がったり緊張したりしているものだろう。だというのに、もう自分の感情を優先させるなんて。あの少女アンドロイドには、緊張や恐怖の感情がトレースされていないのだろうか。
あの親子は人選を間違えたのではないだろうかと、真人は大いに疑問をもった。
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