第8話 研究所からの逃亡

 激しく大地が揺れ、どうにかその場に踏ん張った真人まひとが振り返ると、先ほどまでいた御堂の内部が赤々と燃えている様子が、格子の向こうに見えた。


「嘘だろ……」


 一体いつ、爆発物が仕掛けられていたのか。自分はそれを見逃していたのか。呆然とする一方で、真人の思考は冷静に状況を分析していた。注目したのは、男が荷物を置いて行ったことだ。あの鞄の中に、無音の時限爆弾が入っていて、男はそれを中に置き、装置をすべて破壊する役目だったに違いない。


 警報の上に警報が重なり、何を言っているのか聞きとれなくなった。外へ出てきた職員や警備員たちの声はより騒がしくなり、火災が発生するまでの静寂はもはやどこにもない。


 真人はぎり、と歯を噛みしめた。


「予定変更、門へ走れ!」

「っわかった!」


 了解するや、深雪みゆきは赤々と燃える三重塔に照らされる門へ向かって駆けだした。真人はその場に男を下ろし、生きてろよおっさんと心中で呟いて自分も門へ向かう。

 駆けつける警備員や遠巻きに見つめる職員の間を、肩がぶつかるのも構わずすり抜け、門に到着した真人は振り返った。


「深雪、来てるか!?」

「なんとか!」


 答える深雪の声は明瞭で、息切れしていない。これはアンドロイドのいいところだ。少女の姿でも、人間よりはるかに体力がある。


 来たときと同じ方法でセキュリティを突破し、二人は寺を模した研究所から逃げた。研究所の中とは打って変わって、外には誰もいない。騒ぎは遠く、別世界の出来事のようだ。

 それでも二人は足を止めず、緩めず逃げる。火事や爆発に誰もが意識を奪われ、門の異常に気づいていないとは思うが、早く、少しでも遠くへ離れたいという気持ちが強かった。


 もう少しで舟が見えてくるというところで、真人は前方に見たくないものを発見してしまった。


「いるのかよ……」


 真人がそう呻くように言ってしまったのは、仕方ないだろう。

 何しろ舟がある辺りに、昼間見た狂信者の二人が、防寒着を着こんで腰を下ろしていたのだ。髭むくじゃらで体格のいい男は両腕を組んで偉そうにふんぞり返り、これといって特徴のない中肉中背の男は忙しなく辺りを見回している。


 この男が、犯行グループの主犯格なのだろう。痩せぎすの男に犯罪を任せ、自分たちは高みの見物を決め込んでいるというわけだ。


「真人、どうしよう……」

「……」


 深雪の声が、真人のそば近くで聞こえる。この事態は予想していなかったのだろう。それは真人も同じだ。一人が敷地内にいるのだから、他の二人もそうだろうとばかり思っていた。

 真人の思考回路がもっとも成功する策を弾き出すのに、それほど時間はかからなかった。


「……待ってろ」


 言うや、真人はぐるりと遠回りして男たちの背後に回った。

 男たちは、まだ真人たちの存在に気づいていない。研究所の騒ぎの音は遠く、雪が踏まれるかすかな音が聞こえないはずないのに、自分たちの話に夢中になっている。しかし、当然と言えば、当然か。まさか特殊素材の服で姿を隠したアンドロイドが近くに隠れているだなんて、普通の人間は考えない。


 御師と尊称で呼ばれる髭男と白樫しらかしという名の気弱そうな男の話題は、あの痩せぎすの男が遅いだの、政府に不満があるだのといったことばかりだった。とは言っても、御師が文句を垂れてたり御高説をぶっては、白樫が相槌を打っているだけだ。


 話から察するに、彼らの犯行の動機は資料に記述されていたとおり、DNAデータ――とりわけ人間のものを電子情報化して保管し、いつでも人工受精を行い誕生させられるようにすることに対する抗議であるらしい。彼らの価値観では、究極の個人情報であるDNAデータを国が管理することや、人間の科学技術で生命の神秘の領域に踏み入ることは、国家の横暴や生命倫理の蹂躙と糾弾すべきことであるようだ。真人からすれば、実にどうでもいい理屈である。


 ところで御師、と白樫は、そこで初めて自分から話題を変えた。


「先ほどから、足音のようなものが研究所のほうから聞こえるのですが……」

「ああ? お前の目はどうなってるんだ。よく見てみろ、誰もいないじゃないか」


 と、一瞬怪訝そうに眉をひそめて研究所のほうを見た御師は、すぐ眉を吊り上げて白樫を叱る。勝手に怒ってろ、と真人は心の中で毒づき、男たちに近づいた。

 躊躇いなく彼らの首筋に手刀を入れて気絶させ、真人はようやく長い息をついた。警戒モードは解除され、一般モードへ移行する。


 姿が見えないながら、深雪も笑み含みの声を上げた。


「さすが真人、元悪者の手先っていうだけあるわね」

「嫌な言い方すんな。気絶させただけだ」


 真人はそう眉をひそめ、点けっぱなしのランタンを消すと特殊素材の服を脱いだ。深雪も脱ぎ、舟の上に被せていた布を雪ごと払いのける。


 二人がかりで舟を起こし、川に浮かべて真人と深雪は舟に乗り込んだ。深雪は舟の先頭部分に座り、鞄を床に置くと、船縁に組み込まれたスイッチを押して膝の上に画面を表示させ、装着したタッチパネル用グローブで向かう時間を設定する。真人は後方部分に腰を下ろし、深雪と同じ手順で画面を膝の上に表示させ、エンジンの起動を担当した。

 エンジンが駆動し、川の流れに合わせて揺れているだけだった舟がぶるりと震えた。小刻みの振動が、真人の全身にも伝わってくる。


「設定はばっちりよ。そっちは?」

「まだ片方が動かない。ちょっと冷えすぎたか……?」


 この真冬の寒さの中、積もる雪の上に何時間も横倒しにしていたのである。タイムマシンなんて世の理に逆らう繊細な構造をした乗り物が不調を起こすのは、当たり前だろう。


 とはいえ、ここで動いてもらわないと困るのだ。真人は事前に記憶したマニュアルを思いだし、こういうときの対処法を実行することにした。

 足元のカバーを開け、スイッチやレバーをいくつかいじると、また舟は大きく揺れた。見上げると、画面には両方のエンジンが無事駆動したという情報が表示されている。深雪のほうの画面にも、エンジンの完全作動が伝わっているはずだ。


「深雪、これでいけるか?」

「ええ。……じゃあ、タイムリープするわ。しっかり掴まっててよ、真人」


 深雪が宣言して画面のボタンを押すと同時に、スイッチが船縁の中に収納された。次に押すボタンで、タイムリープは始まる。真人は船縁を掴み、きたる衝動に備えた。


 ――――そのはずだった。

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