第12話 赤桜の下で
身体の修復を終えて無事に起動し、四肢が滞りなく動くのを確認して数時間後。
山の中腹を走る頃には、時刻はすでに薄明を迎えていた。まだ空は青いものの、陽光を失った地上は暗くなり始めている。
今真人たちを乗せた車が走っている、かつては綺麗に舗装されていただろう路面はすっかり荒れて、ひびも入ってしまっていた。戦争や赤紋病などが原因で客足が遠のき、行政の手も届かなくなり、周辺地域の住人もいなくなった結果だ。時折見える小屋や商店、人家も、人が住まなくなって久しいと一目でわかる朽ちようである。
「……ほんまにこっちの道でいいんか? 研究所跡へ行くやったら、さっきの道を曲がるほうがええと思うんやけど」
「いや、こっちでいい。……あいつは多分、こっちにいるから」
運転手になってくれた事務職員の青年アンドロイドに問われ、真人は自分に言い聞かせるように、膝に置いた両の拳を強く握って言った。
真人の身体の修復は、タイムマシンを貸してくれたエンジニアチームによって、速やかに行われた。真人を製造し、今もメンテナンスを定期的にしてくれているだけあって、作業開始が即座に可能だったようだ。特急でやってくれたよ、と西村博士は微笑みながら話してくれた。
その間も
研究所の職員たちも、真人と深雪が入手したDNAデータをさっそく解析し、治療法の確立というパズルに必要な最後のピースをはめようとしている。それもまた、彰彦や西村博士が隠蔽工作に立ち回らなければならない理由の一端であった。
「……深雪の居場所、確信しとるみたいやな。何ぞ手がかりでもあるんか?」
「確信っていうほどじゃない。……ただ、あいつ、ここで桜を見たがってたから。向こうの山から、こっちのほう見てたし」
「ああ、なるほどなあ。それなら確かに、この先に深雪はおるやろな。あの子、結構ロマンチストやからなあ」
真人はわかってもらうつもりもなく、適当に答えたのだが、それでぴんときたらしい。一体何が面白いのか、くすくすと青年アンドロイドは笑った。
「……あんたが、深雪に歌を教えたのか」
「ん? ああそうや。あの子、前の所有者のところにおった頃から歌が好きらしくてなあ。わい、前の所有者が音楽好きの歴史学者で、色んな歌を覚えさせられとったからな。教えてくれって頼まれたんや」
道理で、去年も今年も花見のとき、深雪がこの青年アンドロイドと一緒に歌っているわけである。真人は納得した。
二人が話している間にも、車は空いた商店と人家が軒を連ねる道を通りすぎる。その先に見えてきたのは、朽ちて草が生い茂る寺院だ。――――深雪が見つめていた、川向こうの廃寺。
深雪は歌うことが好きだ。その範囲は流行りの曲に留まらず、国外のものや童謡、唱歌など多様だ。古くさくても、気に入れば口ずさむ。それがまた上手いものだから、花見のときなどに年嵩の職員が一曲頼んだりしたものだった。
そう、古い歌。深雪が口ずさむのは、旋律に乗せる歌だけではない。
ここは吉野。幾千本もの桜が美しいと言われていた地。都を追われた天皇が逃げ込んだ地だ。
他にもこの地には名高い史実があり、歌に歌われている。
『吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき』
『しずやしずしずのおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな』
それは、古い古い歌。兄に責められ都を追われた悲運の英雄の恋人が、東国の寺院の回廊、彼の兄の前で口ずさみながら舞い踊ったという歌。
舞姫が恋人と別れた後に向かい、捕らえられたのは、吉野の蔵王堂。――――この廃寺だ。
だから、起動直後に深雪がまだ発見されていないと聞いたとき、真人はここが思い浮かんだ。
「ほれ、着いたぞ。……迎えに行ったれ」
車が停止し、青年アンドロイドが真人を促す。
言われるまでもない。真人は車から下りると、草が生い茂る廃寺の中へ駆けていった。
塗装が剥がれ落ち、倒壊した、あるいは今にも崩れ落ちそうな建物に囲まれて、桜が今を盛りと咲き誇っているのがすぐ真人の視界に入った。だが、その色は研究所で見るものよりずっと赤みが濃く、薄紅を通り越している。本当の桜の色を知る真人の疑似感情には、どこか薄気味悪く見えた。
その色を宿した桜の木の下に、深雪はいた。
地面にぺたんと座り込んだ姿は、無残の一言に尽きた。服はその役目をもうほとんど果たしておらず、右腕は二の腕から落ち、髪は白く変色してしまっている。機体保護の疑似皮膚もかなりの部分が溶け、ケーブルや金属が覗いていた。かろうじて、顔といくらかが残っている程度だ。
「深雪!」
真人は名を叫び、膝をつくや深雪に触れた。
両肩を思いきり揺さぶりたい衝動にかられたが、こらえる。繰り返し呼びかけ、自ら再起動することを願った。
真人と深雪はアンドロイドだから、最悪、身体が壊れても記憶媒体が無事であればどうにかなる。だが、真人にとっては数ヶ月前の出来事でも、現実には五十年もの時間が流れているのだ。記憶媒体と思考媒体が破損したり、電力の供給不足によって初期化してしまっていてもおかしくない。深雪が沖石から逃げ延び、彼から拝借したバッテリーを接続し、ここで真人たちを待っていたことすら奇跡に近いのだ。
何度も名を呼んでいると、不意に低い音がした。いくつもの音が重なり、ケーブルが震える。
どうか、と真人は願った。
「…………うる……さいわね……」
かすれた声が、かろうじて残っていた唇から紡がれた。聞き慣れたものよりかすれた、ノイズ混じりの音声。
だが、それを紡ぐOSは間違いなく『深雪』だ。世界でたった一つしかない、真人がよく知る少女アンドロイドだ。
「遅い……わよ……こんなに待たせないで……」
「……悪い」
力なくなじる声に、真人は反論できない。真人にはどうしようもないことではあるのだが、深雪は待ち続けていたのだ。こんな姿で、たった一人で。
この奇跡を、一体何に感謝すればいいのだろう。野外環境でも五十年もつ頑丈な道具を設計した人間だろうか、設計通りに作ったアンドロイドだろうか。それとも、スリープモードで省電力に努めた深雪自身だろうか。
「もう大丈夫だ。身体はさすがにもう無理だけど、記憶媒体をなんとか取り出すから。いつもメンテナンスしてくれてるエンジニアたちが今、お前の新しい身体を造ってくれてる。それまでもたせるぞ」
「……うん……できたらね」
そう答える深雪の瞼は、震えるばかりで開かない。あるいは、開くこともできないのかもしれない。
それでいい。だって、頭上から降り落ちてくる桜の花びらには赤い斑点がいくつもあるのだ。ここへ来るまでに見た桜もすべてそうだった。この吉野でさえ、桜は赤紋病に冒され、本来の姿を忘れてしまっている。
だから、綺麗な桜が見たいと言っていた深雪が見る必要はない。新しい身体についた最新の眼球センサーで思う存分に見て、疑似感情を動かせばいいのだ。
「ま、私を見つけられたんだから、真人にしちゃ上出来よね……」
「……その上から目線、むかつく」
深雪のわずかに口の端を上げた微笑みに、真人は叫びだしたいような、泣きたいような気持ちになった。馬鹿か、と喉から言葉が出そうになる。
「今から電源を落として、記憶媒体を取り出すから。次に目を覚ますときは、新しい身体だ。来年の研究所の桜、見たいだろ?」
「うん……美人だったらいいなあ……彰彦が見惚れるような、さ……」
「だったら中身を磨け、馬鹿」
言って、真人は深雪の右耳に手を伸ばした。慎重に裏を探ると、電源スイッチが真人の手に触れる。
「じゃあ、切るからな。おやすみ、深雪」
「うん…………真人」
「……なんだ」
「来てくれて、ありがと」
嬉しそうに、照れくさそうに。深雪は唇を柔らかに緩める。
「…………ああ」
どうにかそう言って、真人は深雪の電源を落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます