第7話 真人の過去

 二時間近くが過ぎた。その間、職員がこの建物を訪れることは一切なく、真人まひとの身体が動くことはなかった。


 これならスリープモードにしてもよかったな、と思いながら目を閉じていると、建物の内部から足音がした。深雪みゆきだ。暇潰し用に持ち込んでいた、私用の小型端末で遊ぶのにも飽きたのだろう。


「ねえ、真人」

「……なんだよ」


 目を開け、真人は深雪に顔を向ける。とは言っても、監視カメラに映らないよう二人とも特殊素材の服を着ているので、声とライトの位置から彼女の顔の位置を想像しただけだ。本当はどこにいるのか、正確にはわからない。

 だからだろうか。深雪は真人の手を握った。手袋越しに柔らかなぬくもりが伝わり、一瞬だけ、真人の息が詰まる。


「二時間くらい前、こういうのは慣れてるって言ってたけど、本当?」

「……いきなりなんだよ、わざわざそんなこと聞いてくるとか。コピーは終わったのかよ?」

「人間のDNAデータのほうはとっくに終わってるけど、他のはあと一時間はかかるもん。暇なの」


 真人が呆れれば、悪びれもせずに深雪は言う。よほど暇だったのだろう。むしろ、小型端末のゲームだけで二時間もよく黙っていられたと言うべきだろうか。

 仕方ないな、と真人は息をついた。


「…………前の所有者がヤバい人……犯罪組織の幹部だったんだよ。しかも、物を盗むのが好きな人で。単なる護衛だけじゃなくて、他にも色々させられた」


 脅迫、見張り、不法侵入。強盗、誘拐、そして報復。侮られやすい少年の姿のアンドロイドを発注した男は、真人に犯罪組織の一員がすることをさせた。むしろ、主の護衛より見張りや不法侵入、報復をすることのほうが多かったかもしれない。数を記録したことはないが、そういうことを命じられるのはかなり多かった。


 皮肉なことに、その頃の経験が、今回の計画に役立っている。西村博士と彰彦あきひこがかき集めた資料をもとに、真人は侵入から逃走の方法までを詳細に一人で考えた。コピーを終えた後は、扉横のパネルをいじって強引に扉を開けることにしているが、これも前の所有者のもとで学んだ技術だ。


 深雪は、自分が聞いたのに不愉快そうな顔をした。


「最低な所有者ね。その人、殺されたの?」

「ああ、組織内の権力争いでな。俺に脅迫やらせてる間に、蜂の巣にされたんだってさ」

「当然よ。悪いことして、させてたんだもの」


 まるでついさっきまで真人がそんなことを強いられていたかのように、深雪は怒る。死んで当然だとは、また過激だ。もう過ぎてしまったことなのに。


 この反応は、ある意味では当然だ。詳しくは知らないが、深雪も真人同様、ろくでもない人物の発注によって製造され、所有された過去があると聞いている。深雪にとって、他人事には思えないに違いない。きっとそれだけだ。


 そうとわかっていても、真人の胸の奥にある感情を生みだす機関が熱を持つ。嬉しい、と思考回路が結論を出す。


 嬉しさを声の調子や仕草に出さないよう、真人は注意しながら口を開いた。


「……俺はむしろ、お前が暗号解読ソフトを使いこなしてたのが謎なんだけど。ああいうソフトって、研究所じゃ使わねえだろ。どうやって手に入れたんだ?」

「あれは自分で作ったのよ。前に、政府の情報を先に見られたらって彰彦が言ってたから」

「作ったって……お前、プログラミングできるのかよ?」

「できるから作れるんじゃない」


 真人が目を丸くすれば、何言ってるのよ、と深雪は呆れる。まあそれはそうだろう。間抜けな質問だ。


 だが、気まぐれで楽しいことが大好きなこのアンドロイドが、プログラミングなんて根気の要る、そして自分の欠片を作るようなことを自主的に学んだというのが、真人にとっては驚きだった。五十年前の水準とはいえ、ここのセキュリティは堅固なもののはずである。にわか仕込みの知識と技術では、到底突破できないに違いない。――――何かの目的のために、前々から学んでいたはずだ。そう、誰かのために。


 それきり、二人の会話は途絶えた。暇潰しに来たというのに深雪は話しかけてこなかったし、真人も沈黙を埋めるにはどうすればいいかわからなかった。どうしてまた不愉快という気持ちが生まれているのも。


 だから、真人は離れないままの手も放置することにした。離し難いという思考回路の結論の理由を探るのもやめる。


 真人にとって、なんとも表現しがたい沈黙だった。警戒とは違う緊張がごくわずかに身体を包み、喉から言葉を出にくくしている。身体に故障も不調の部品もないのに。


 これだから、深雪と一緒にいるのは好きではないのだ。時々ではあるが、OSの思考がおかしくなるし、身体も奇妙な動きをする。自分を平常でなくさせるものを、好むことができるはずもない。自分はこんなに振り回されているのに、深雪はまったく平然としているのも腹立たしい。


 けれど、真人が深雪を振り回すことなんてできるはずもない。彼女は自分を拾ってくれた彰彦を優先順位の第一にして、その次に西村博士や研究所の職員たちを据えている。優先順位の低い真人に振り回されるはずもない。それが事実だ。――――そう、事実。


 真人は、今すぐ息をつくか、深雪の手を払いたい衝動に駆られた。けれど、今ここで感情のままに何かすれば、深雪の苛立ちを誘うだろう。それは避けたい。


 どうすれば苛立ちを解消できるのかと真人が悩んでいると、不意に、扉の向こうから荒々しい足音が近づいてきた。それは一度止まり、扉に何か仕掛けている音がかすかに聞こえてくる。

 二人の間に緊張が走った。真人は深雪の手をぎゅっと握る。


「逃げる準備だ」

「え、でも」

「行け」


 まだコピーし終えていないと躊躇う深雪に、真人は強い声で命じて手を離した。すぐに、わざとらしい足音が端末のほうへ向かって行く。

 数拍後、扉横のパネルに緑のランプが点灯した。ぎいいと音がして、扉が押し開けられる。


「? 端末が点いてる……というか動いて……?」


 みすぼらしい格好の上に僧衣を被った痩せぎすの男は、入ってすぐに見えた不可思議な光景に眉をひそめた。怖くないのか、好奇心を覚えたのか。薄気味悪いと思っていない様子で端末に近づいていく。


 真人は足音を殺してその背中を追い、監視カメラの死角に入ったところで男の膝裏を思いきり蹴った。男の膝が落ちたところで、首筋に手刀を落とす。

 不思議の理由を知る前に気絶した男はその場にくずおれたので、真人は彼の腕を掴み、床に倒れるのを防いだ。


「真人、殺してないわよね?」

「当たり前だろ。それより、行けるか?」

「ちょっと待って……うん、行けるわ」


 端末などを詰め込んだ鞄を肩にかけ、脱いでいた特殊素材の服をもう一度着て深雪は了承する。それを聞いて、真人は男を背負った。真人はアンドロイドなのだ、痩せぎすの成人男性は大して重くはない。


「ちょっと真人、連れて行くの?」

「馬鹿、ここは潰されるんだぞ? 置いて行ったら見殺しにするのと同じだろうが」


 今日の襲撃でこの研究所別館は破壊され、犯行グループの誰かが捕まり、自白する。それが史実で、他のことはわからない。ならば、確実に死ぬ場所へ置いて行っては駄目だろう。せめて、監視カメラがあるところへ置き去りにしなければ。この時代の人間の生死は、自分たちが決めていいことではない。


「……お人好し」


 笑み含みに呟いた深雪は、ばたばたと足音をたてて真人の横を通り過ぎた。開けられたままの扉から出たのか、足音が代わり、止む。待っているのだろうと判断し、真人も後に続いて建物の外へ出た。


 外はとうに夜の帳が下り、昼間よりも一層冷えた空気に支配されていた。満天の星が夜空を飾り、月がいない間にと己の存在を主張している。美しい夜だ。

 出入口に一台しか仕掛けられていない建物内部とは違い、敷地内には監視カメラがいたるところに仕掛けられている。監視カメラの向こう側にいるだろう警備員は、仕事をしているなら、気絶した人間が宙に浮いているという奇妙な現象を見て仰天しているはずだ。


 さてどこにこの男を置いて行こうかと、真人が思案したときだった。


 突如、けたたましい警報アラームが敷地中に響き渡った。火災発生と電子音声が繰り返し、避難と消火作業の開始を警備員に訴える。

 真人の警戒モードは即座に発動し、周囲の状況の把握を始めた。建物が邪魔して詳細は掴めないが、三重塔の周囲が赤く染まっているので、そこが火災現場だろう。


 真人がこの日を作戦の決行日に選んだのは、自分たちが残してしまうだろう不自然な痕跡――端末の利用履歴などを、職員たちに外部へ報告されてしまう時間がないようにするためだ。国立生物研究所別館から人間を含んだ動植物のDNAデータが盗まれた事実は、現代日本に現存するどんな記録にも存在していないのである。その歴史は守られなければならない。


 これから混乱は大きくなる。こちらへ延焼するおそれはないが、ここが崩れるまでのんびりしていられない。逃げなければ。


「深雪。とりあえず、右手にある、今警備員が出てきた角まで行くぞ。あいつらの目の前でこいつを落とすから、そしたら門へ走れ」

「わかった」


 深雪は硬い声で了承する。行くぞ、と声をかけ、真人は走りだした。


 数拍後、二人の背後を震源に、空気と地面が揺れた。

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