第1話 春遠き研究所にて

真人まひと! 起きて!」


 センサーではなく耳元で爆発したその大声で、真人は強制的に再起動する羽目になった。

 スリープモードにしていたOSが一瞬にして再起動し、真人という最新式アンドロイドを構成する諸機関の電源をオンにした。スリープモードから一般モードへの移行に合わせ、プログラムがOSを使うための確認作業を開始する。


 エネルギー残量――――ほぼ満タン。機体の損傷――――なし。周囲の危険――――なし。

 記憶媒体へのアクセス――――許可。

 容姿――――黒髪、黒目。十代半ばから後半の容貌は、現代日本の青少年のもの。端整ではあるが無愛想、寡黙だと人間に印象を与えるよう、顔も四肢も造形されている。


 確認作業は滞りなく進み、オーダーメイドのOS『真人』は正常に一般モードで再起動した。機体の眼球センサーが、周囲の景色を映しだす。


 ガラスで四方を囲まれた中庭だ。吹き抜けの天井は高く、やはりガラスで丸く閉じられている。木々や草花が適度に配置され、その合間を水路と路面が縫うように回遊している。水路を流れる水の音や完璧に管理された空調システムが、あらゆる生き物にとって快適な環境を演出していた。


 日本の数少ない大コロニーの一つ、大阪の郊外にある私立西村研究所の中庭。その片隅で、真人は自らスリープモードへ移行していたのだった。

 真人を強制的に起動させた張本人は、腰に手を当てて目を眇めた。


「やっと一般モードになった?」

「……最新式のアンドロイドの超高速起動に、『やっと』とか言うな」


 真人はぼそりと文句を言って、相手を見上げた。

 腰まで届くまっすぐな黒髪に黒い目、どこもかしこもが華奢で形の良い肢体、白い肌。真人と同年代の少女の容貌は、顎から唇まで部品はすべて完璧な形と色に調えられ、美しく見えるよう、計算し尽くされた位置に配されている。多くの人間が快活そうな美少女と褒めたたえる外見だ。――――そう、外見だけなら。

 OS名は『深雪みゆき』。真人と同じく、私立西村研究所で雑用をしている少女アンドロイドである。


「西村博士が呼んでるわ。所長室へ来なさいって」

「所長室へ? 俺、頼まれた仕事は全部やったんだけど」


 意外な呼び出しに、真人は眉をひそめた。

 所有者である西村博士に言いつけられた仕事をこなすのが真人の日課であるが、頭部に内蔵された最新型の記憶装置の記録を読み取る限り、仕事を何か忘れたりミスをした記憶はない。もちろん、怒られるようなことをした覚えもない。アンドロイドなのだから、人間のような覚え間違いというのもないはずだ。なら、新しい用事だろうか。


「さあ、知らないわ。私も一緒に来いって、職員から言われただけだから。行けば何の用事かわかるわよ」


 深雪は肩をすくめ、真人を促す。それもそうだと、真人は立ち上がった。

 過去の著名な建築家の作風を参考に、ガラスとコンクリートを組み合わせて設計された研究所の廊下を真人と深雪は歩いていく。廊下は今日も今日とて、数は少なくても絶えず白衣の人間と、OSも外見も多種多様なアンドロイドが行き交っていた。人間かアンドロイドかは、下げているIDタグ、もしくは身なりを見れば一発で判断できる。アンドロイドは白衣を着ない。つまり、知的労働に従事しないからだ。


 数十年前、赤紋病と名付けられた原因不明の奇病によって人口が激減した人類は、徹底した都市の廃棄とアンドロイドの大量生産をすることで労働力不足を解消した。さいわいにして、それだけの技術と資源は残っていたのだ。特に日本とアメリカのアンドロイド製造技術は他国の群を抜いており、二国の主要な輸出品となった。

 アンドロイドが労働の現場に導入されるのに伴い、人間はアンドロイドに肉体労働を任せ、自分たちはアンドロイドの監督や知的労働、国政のみを職業とするようになった。働かない者には別の義務を課すことで、公平を繕った。そんな滅茶苦茶な政策を各国が定めなければならないほど、定めても国家財政に支障がないほど、世界の人口は少なかったのである。


 外庭が見える廊下へ出ると、敷地の一角に植えられた数本の桜の木が見えた。かろうじて残っている桜の名所から持ってくることができたもので、まだ若く、細い。敷地内の別の区画に植えられた、西村博士の故郷にある寺から移されたものとは大違いだ。

 梅の花が見頃を迎える時期の、蕾がかろうじて見えてきた桜の木に目を向け、深雪は呟いた。


「あれだと、花が咲くまで二ヶ月ちょっとくらいかしら……今年は花見するのかしら」

「さあ、どうだろうな。あったとしても、吉村博士は最近忙しくしてるから、花見はあっても出ないかもな。……彰彦あきひこはどうだかわかんねえけど」

「あるなら出るわよ、彰彦は」


 ちらりと深雪に目を向け真人が言うと、そう、彰彦が所有するアンドロイドである深雪は断言した。


「ていうか、無理やりにでも出席させないと倒れちゃうわ。いつも忙しいんだもの。この前会ったときだって、目元に隈ができてたし」

「そういや、疲れた顔してたよな」

「でしょう? だから一緒に家へ帰った後、子守唄を歌ってあげたのよ。そしたらすぐ寝ちゃったわ。今度の花見のときもそうしようかしら」


 と、深雪はどこかうきうきした様子で言う。所有者が自分の歌で眠ってしまったというのが、嬉しいらしい。真人からすれば、何故そうなるのかわからないが。


「……家で彰彦を寝かせるのはいいけど、花見のときはやめとけよ。せっかくの宴会なんだし」

「宴会だから歌うのよ。お祭り騒ぎに歌はつきものでしょう?」

「……つきものじゃないと思うけど」


 どうせ聞きやしないとわかってはいるものの、真人はぼそりとつっこみを入れる。この少女アンドロイドの歌と所有者に対する傾倒ぶりは、今日も健在であるらしい。一体どこで、そんな思考回路を導入してきたのだろうか。


 そんな他愛もないことを話していると、二人の背後から声がかかった。

 振り返ると黒いパンツスーツを着た、黒髪黒目、地味な顔立ちであるがまとう威圧的な空気で目立つ女が近づいて来ている。首にかけた『荒木芳子よしこ』と手書きされた無地のタグが、正式な入所許可を得た部外者であることを示していた。

 なんでこんなときに、と真人はため息をつきたくなった。深雪も真人の隣で最悪、と呟く。

 深雪の呟きは聞こえていないはずがないのだが聞き流し、荒木は愛想笑いを浮かべた。


「こんにちは、二人とも。今日も吉村博士たちの手伝い?」

「深雪に連行されてるだけですよ。職員に歌を聞かせるからついて来いって、無理やり」


 と、真人は顔色一つ変えず、深雪を指差した。深雪がちょっと、と抗議するが無視だ。

 荒木はあらあら、とくすくす笑った。


「駄目よ、深雪ちゃん。歌が上手なのは知っているけど、無理やりつれて行くのはよくないわ。嫌々連れて行かれたのでは、楽しめないもの」

「……はあい」


 嫌々といったふうに深雪は返事をする。反論は多々あるのだろうが、言わないほうがいいと判断したのだろう。正解だ。この人間には、何も伝えるべきではない。

 どうせまた、という真人の考えは的中した。ところで、と話題を変える荒木の表情は、口や頬こそ笑みの形にゆがんでいても、目を見れば本心は別であることが明らかだ。


「二人とも。近頃、嫌なことはない? 仕事がたくさんあって大変だとか、嫌なことをされるとか」


 奇妙な圧力さえ感知できる声音が、真人と深雪に返答を迫る。ただしそれは、二人が思ったままの答えを聞くためではない。二人は彼女のもくろみなど、とうに気づいている。

 だから真人はきっぱりと言った。


「いつも言ってますけど、ありません。ここの人たちは皆いい人ですよ。仕事は簡単なものばっかりですし。こき使われてなんかいません」

「もう行っていいですか? 博士に呼ばれてるし、早く行きたいんですけど」


 真人に続き、深雪は睨みつけさえして解放を要求する。まるで真人がいつぞやに実験室で見た、檻の中の猫だ。毛を逆立てて相手を拒絶する、興奮状態の猫。


「……そうね。行っていいわ。ごめんなさいね、引き留めて」


 深雪の反応を見て、これ以上は無理だと理解したのだろう。荒木はあっさりと真人と深雪を解放した。失礼しますと断りを入れて、二人は荒木に背を向け、足早に立ち去る。

 声が届かないだろうところまで逃げて、ようやく深雪は口を開いた。


「何よ、嫌な人。毎回毎回、同じこと聞いてきて」

「ホント、しつこいよな」


 と、真人も深雪に同調する。二人も、月に必ず一度は同じことを聞かれてうんざりしているのだ。真人の記録媒体によるとこれで四十三回目になるのだから、当然である。


 もっとも、荒木が執拗に真人と深雪から答えを引き出したがるのも、彼女の所属団体の存在理由を考慮すれば至極当たり前のことなのだが。

 アンドロイドは今や、人間社会の維持に必要不可欠な存在だ。しかし、その待遇はあくまでも人間の所有物、下僕にすぎす、所有者がいなければ政府機関に回収され、強制的に新しい所有者を決められるか、廃棄処分されるかの二択しかない。所有者に逆らわないようプログラムを組み込むことが国際条約で義務となっているため、それを悪用した人間に虐待されることも少なくない。一ヶ月に何度かは、そんなニュースが報道されている。


 荒木が代表を務める団体は、そうしたアンドロイドを尊重しない人間に戦いを挑むようにして、アンドロイドの労働環境の改善や権利向上を主張している。人間にとって不可欠な労働力であるアンドロイドにそんな仕打ちはおかしい、人間はアンドロイドの意志を尊重し、相応の権利を付与すべきだ――――というわけである。

 この実に人道的な世論は、アンドロイドだけでなく人間の間でも同意する動きが広まっており、各国首脳も同調せざるをえないところまでになっている。下手をすれば将来、アンドロイドに結婚の権利どころか、参政権の付与という流れが生まれるかもしれない。そうなれば、機械に支配される人間という、絵物語と思われていたことが現実のものとなるかもしれない――――と、警鐘を鳴らす専門家は多いようだ。


 が、当のアンドロイドである真人は、そんな世の中の動きにあまり興味がない。真人は今の所有者――――吉村博士をはじめとする人々と共に在る、この研究所での日々に満足しているのだ。アンドロイドに優しい所有者、研究熱心で温厚な職員たち、真人と同じく所有者に恵まれた同胞たち、適度な量と質の仕事。一体どこに、不満を唱える余地があるというのか。


 世論の形成でもデモ行進でも、やりたければ勝手にすればいい。ただし俺たちを巻き込むな。その一言に尽きる。


「馬鹿な人間って未だにいるのよねー。アンドロイドの権利だの何だの言ってても、自分たちがほろんだら意味ないのに」

「人類がほろぶとは考えてないからやってるんだろ。このご時世で、能天気としか思えねえけど。それより深雪、さっさと行くぞ。吉村博士が待ってるんだろ?」

「そうね。私たちには関係ない話だし」


 頷き、深雪は足を早める。真人はすぐその後に続いた。

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