第6話 潜入

 早い冬山の夕暮れの中、一日の仕事を終えた職員たちが宿舎へ帰り始めた。


 寺の外見で偽装しているだけあって、彼らの格好も作務衣や僧衣に似たもので統一されている。しかも全員が着慣れたふうで、研究者や事務職員には到底見えない。中には、それこそ坊主頭にしている男性すらいる。


「……いくらなんでも、凝りすぎてないか? あれ」

「ホントそうよね。あれ考えた人、自分はやらないからってテキトーに言ったのよ、絶対」


 木の影から帰宅風景を見ていた真人まひと深雪みゆきは、思わず顔を見合わせ、ツッコミを入れた。


 こんなツッコミどころがありすぎる制服だったなんて、吉村博士たちからもらった資料には書いていない。だから真人はてっきり、寺からスーツや白衣を着た人々が出てくるとばかり思っていたのだ。それでは逆にあやしくならないだろうか、とも疑問に思っていた。――――それが、まさかこんなところで、いい歳した大人たちによるコスプレ大会もどきを見ることになるとは。


 どこかへ行ってしまいそうな緊張感をかき集め、真人と深雪はカモフラージュシートと同じ素材のフード付きの服をまとい、手袋をはめた。二人の姿は髪一筋までもが風景に同化し、見えなくなる。


「行くぞ」


 一言告げて、真人は走りだした。


 光の屈折を変える新素材の効果はここでも正しく発揮され、真人と深雪はあっさりと研究所内に入ることができた。作務衣姿の警備員や軒下に仕掛けられた監視カメラの目を気にしなくていいので、人にぶつからないことに神経を尖らせ、最短距離で御堂――――の外見をした保管室まで行けばいいだけだ。それは、真人には難しいことではなかった。


 だから悩ましかったのは、厳重な警備体制ではなく、深雪のことだった。互いの姿が見えないため、はぐれてしまわないようにと二人は手を繋いでいるのだ。異性型のアンドロイドと手を繋ぐのは、真人にとってこれが初めてだった。


 真人がほとんど触れたことのない深雪の手は、驚くほど柔らかく、かすかなざらつきまで皮膚を再現してあり、人間かと思うほどだった。熱もほのかにあって、より人間のように錯覚させる。OSの思考の片隅で、そんな結論が出されてしまう。


 奇妙な思考を無視して真人は走り、やがて横に長い御堂に到着した。

 中央にある出入り口の大きな扉は片方だけ開け放たれ、職員たちが出入りしていた。これもやはり寺の日常風景に見えるが、しかし近づくほど明らかになる内装は、研究所そのもの。所々にかろうじて日本情緒が窺える、といった程度だ。


 出入りする人々にまぎれて認証システムをやりすごし、真人と深雪は御堂の姿をした建物の内部に侵入した。


 どうにか御堂の雰囲気を残していた建物の内部には、何百、いや何千もの黒い箱が整然と並べられていた。すべての黒い箱は中央にある数台の机に置かれた端末とケーブルで繋がれてあり、職員が自由に参照できるようになっている。


 薄暗い空間の中、青い光の点や線を発する黒い箱が所狭しと並び、数えきれないほどのケーブルが床を這い、集約され、端末に接続されているさまはいっそ圧巻だった。西村研究所のデータベースルームも多数の情報集積装置が設置されているが、ここは規模が違う。数は力、というのがよくわかる。


 真人と深雪が圧倒されていると、外から誰かがやって来た。我に返った二人は慌てて脇へ寄り、中を点検して回る警備員に触れられないようにする。

 警備員が情報集積装置の間を見回っている間も、二人は息を殺して時が過ぎるのを待った。昼間、狂信者たちを見たときと同じだ。


 誰も隠れていないのを確認し、警備員は保管室を出ていく。彼が明かりを消して扉に鍵をかけ、たてる靴音が聞こえなくなるまで黙っていて、真人と深雪はようやく息を吐き出した。


「まひ」

「しっ」


 声を上げかけた深雪を黙らせ、真人は彼女の手を放すと、足音を殺して早足で建物の中を見回った。明かりがなくても、彼の目には問題ない。どこかに生体反応がないか、入念に確かめる。


「深雪、もういいぞ」


 誰もいないことを我が目で確認し、真人は端末がある辺りへ歩きながら深雪に声をかけた。特殊素材の服を脱ぎ、姿を表す。


「真人、どこにいるのよ」

「端末がある辺り。お前、見えないのか?」

「見えるわけないでしょ。私は軍用でも護衛用でもないもの」


 苛々したふうに深雪は言う。納得した真人は、荷物を机の周囲に置くと彼女のもとまで歩いていった。また手を繋いで、机の辺りまで導いてやる。


「ほら、着いた」


 深雪の手を机の上へ導いてやり、真人は言う。


「……ありがと」

「……どういたしまして」


 そっぽを向いて深雪が呟くように礼を言うものだから、真人の反応はつい一拍遅れてしまった。まさか、彼女に礼を言われるなんて思わなかったのだ。昼の嫌味が効いているのだろうか。


 服のフードと手袋を外し、顔と両手をあらわにした深雪は、まず自分の肩下げ鞄をあさってライトで周囲を照らした。それから、机の上に置かれた端末を起動させる。


 起動した直後、端末の画面にはパスワードの入力を求めるウィンドウが表示された。さすがにセキュリティは万全だ。入力を間違えれば警報が鳴ることが、ウィンドウの隅に赤字で記されている。


「ご丁寧なことだな、一発で入力しろって注意してあるなんて」

「それだけ長ったらしくてややこしいパスワードなんでしょ。でも私の手にかかればちょろいもんよ」


 挑戦的に、自信たっぷりに深雪は言い放つ。


「……解読できるっていうから、頼りにして計画に組み込んだけどさ。お前、ホントにパスワード解読なんてできるのか」

「できるから言ったんじゃない。このまま何もしなかったら、私、なんでわざわざ真人について来たのよ。真人についてただけなんて、彰彦あきひこに報告できないわ。パスワード解除くらい、やるわよ」


 現代で計画を立てたときのように真人が疑わしげな目を向けると、何言ってるのよ、と言わんばかりに深雪は噛みつくように言う。本気でやるつもりらしい。怖じ気づきすらしていない。

 真人ははあ、と息をついた。


「んじゃ、お手並み拝見といくぜ」


 言って、真人は端末の前から身体をずらす。代わって端末の前に立つと、深雪は黒い長方形の小型端末二つとケーブル二本を自分の肩下げ鞄から取り出した。小型端末とケーブルを、真人に手渡す。


 小型端末と端末をケーブルで繋ぎ、椅子に腰を下ろし、深雪は小型端末に内蔵されているソフトを起動させた。キーボードを叩き、ソフトに何やら入力していく。

 深雪が最後にエンターキーを押すと、ソフトは彼女の命令に従って、ケーブルを経由して接続された端末を認識し、そのパスワードの解除をただちに始めた。小さな画面に表示されたウィンドウの中、アルファベットの羅列が高速で次々と表示されていく。


 少しの間があって、『解読しました』と小型端末の画面に表示された。机上の端末も、パスワード入力画面が消えて検索画面に切り替わる。

 深雪がさらに小型端末を操作すれば、ようやく研究所が保管するDNAデータのコピーが開始された。

 深雪は、にっこりと笑みを浮かべた。


「よし、こっちはコピー開始できたわ。真人、そっちの端末、接続した?」

「ああ」


 真人が頷き小型端末とケーブルを見せると、深雪は椅子を移動させ、真人の手から小型端末を奪った。先ほどと同じ操作を繰り返して、DNAデータのコピーを実行する。


 ただし、こちらの端末でコピーする範囲は植物限定だ。最初に操作した端末では、人間を含む動物に範囲を限定した。端末の記録容量がいかに膨大でデータを圧縮するとしても、何千何万もの種のDNAデータを端末一台にすべて記録するのは無理だ。時間の問題もある。外部ネットワークから遮断された複数の端末でDNAデータを参照していたことは、もらった資料で真人は知っていたので、分野を分けて同時にコピーするほうがいい、と計画を練っていたのだった。


 さらにもう一つ、動物に範囲を絞ってコピーを開始する。やるべきことをひとまず終え、深雪はほうと息をついた。


「これで、後は待つだけね」

「ああ……お前、実は少しはできるんだな」

「もう、『少しは』なんて言わないでよ。パスワードを解読したのは私よ?」


 真人が口元を緩めると、深雪は腰に手を当ててふくれた。

 しかし、助かったのは事実だ。真人も一応、自身のOSを使ってパスワードを解読することはできなくもないが、本職ではないからどうしても時間がかかる。あまり時間をかけずに解読できたのは、嬉しい誤算だ。


「ここは監視カメラが、出入口のところにしかないからな。今のうちにゆっくりしとけ」


 そう言って、真人は脱ぎ捨てていた特殊素材の服を拾い上げ、再びまとった。深雪はぎょっとした顔になる。


「ちょっと真人、なんでそれ着るのよ。どこにいるのかわからなくなるじゃない」

「もし残ってる職員が、なんかの用でここに入って来たらまずいだろ。騒がれる前にどうにかしないと。だからお前も念のため、それ着るかどっかに隠れるかして、出入口から姿を見られないようにしとけよ。もちろん、明かりも消しとけ」


 手袋をはめ、顔だけ見せて真人は言う。それは命令に等しいのだが、正論だとさすがに理解しているのか、深雪は何も言わなかった。その代わり、口を尖らせる。


「真人って慎重すぎ。ていうか、色々と慣れすぎてない?」

「そりゃ、慣れてるからな」


 真人は肩をすくめると、フードを被って顔も隠す。何それ、と眉をしかめる深雪に背を向け、出入口のほうへ歩いていった。

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