第9話 あがく未来

「――――ほう、これはタイムマシンなのか」

「!?」


 降り落ちた知らない声に真人まひと深雪みゆきが驚愕するのと、サイレンサーをつけた銃声が鳴るのはほぼ同時だった。刹那、腕と首に熱を帯びたものが鋭く撃ち込まれ、真人の思考と感覚が真っ白になる。

 即座にセーフモードに移行し、OSは状況と身体の損傷の分析を始めた。


 真人に銃を突きつけながら舟に乗り込んできたのは、なんと先ほどの気弱な男、白樫しらかしだった。しかし、何の感情も見えない無機質な目で真人を見ている顔に、気弱そうな太鼓持ちの男の影はどこにもない。犯罪組織の構成員たちと同じ、鋭く冷たい空気を全身から放っている。


「お前、別のOSか……!」

「ああ。今の私は『沖石おきいし』だ」


 表情と同様、感情のない声は正解を告げた。


 つまり、普段ハードを動かしているOSが強制終了したことで、インストールされている別のOSが自動的に起動したのだ。記憶容量を圧迫するので大抵の所有者はまずそんなことをしないが、ハードの性能さえ許せば可能だから、この時代でもできないことではない。


 これは自分のミスだと、真人は後悔した。この男がアンドロイドだということは、気絶させたことに手の感覚で気づいていたのだ。だが、別のOSが自動的に起動する可能性についてはまったく考えていなかった。犯罪組織にいた頃、一度だけではあるが、見たことがあるのに。


「この時代に、タイムマシンや姿を隠す素材はまだ開発されていない……ということは、お前たちは未来から来たのか? この山へ来たということは、おそらくはあの研究所からDNAデータを盗みだすために。過去へわざわざ盗みに来たということは、よほど未来は明るくないらしい。……そして、人間は愚かなままだ」


 推理する沖石の表情と声に、そこで初めて感情が落ちた。未来の人間と、人間に従う二人への激しい怒りだ。


「何故わからない。種がほろぶことは、生命がこの世界に誕生してから幾度となく繰り返されてきた理だ。人間も生き物の一種だ。自然に発生するその理を自ら引き起こし、数えきれないほどの種をほろぼしたのなら尚更、滅びの運命に従うべきだろう。ましてや、生命の根源を自ら作成し人工授精させるなどという、自然を模倣し冒涜した方法で無様に生き延びようとしていいはずがない」

「んなもん知るか。アンドロイドの俺たちが、生命について語ってどうする。笑えるね」


 言葉通り、真人は鼻で笑ってやった。


 そう、自分たちはアンドロイド。いわば金属で造られた人形だ。この感情も思考も、すべて人間のものをトレースし自己学習して得られたもの。生命のまがいものでしかない自分たちが生命について語り、人間の所業に憤るなど、思い上がりも甚だしい。


「自然の摂理に従えって言うなら、こうして俺とこいつを派遣した、未来の人間の生き汚さも尊重しろよ。どんな時代や場所でだって、ほろびたい種なんてない。生きようと必死にあがくのが、生き物の本能ってやつだろ。それだって、自然なことだろうが」


 沖石をまっすぐに見据え、真人は臆することなく言い放った。


 確かに、西村博士や彰彦あきひこが赤紋病の治療薬の開発に情熱を燃やすのは、伴侶を失くしたことが大きなきっかけだったのかもしれない。真人は当時西村研究所にいなかったが、伴侶の死を二人が深く嘆いたことは聞いている。他の人間の職員とて、似たような経験をしているだろう。復讐に似た気持ちが、彼らの心のどこかにあってもおかしくない。


 だが真人は、彼らの胸にあるものがそれだけではないと知っている。


 死んだ幼い被験者の亡骸を前に、理不尽だ、すまないと呟き西村博士は涙していた。

 数人の職員は、自らの手に赤い紋様が見え、苦痛と死の恐怖に泣き叫んでいた。その同僚を見て、目をそむけた者の姿も、助けようとした者もいた。

 彰彦の消えない目の隈は、父親たちが研究に専念できるよう奔走している証拠だ。


 それらはすべて、人間が自分や誰かを想うゆえの行動だ。同時に、猫に追われてみっともなく逃げ回り、窮地に追い込まれるや噛みつこうとする鼠と変わらない生き汚さでもある。


 真人と深雪は、そうした生き汚い人々の想いを託されてここにいる。そしてこの小舟で、彼らの元へ託された願いを届けに帰らなければならないのだ。その行く手を阻むものがあるのなら、容赦はしない――――。真人のこの思いもまた、自然の摂理と言うべきアンドロイド的思考の結論だろう。


「……」


 目を眇めて激昂した沖石は、無言で真人の左太股を銃で撃った。真人に痛みはなかったが、左足の感覚が一瞬にして曖昧になる。真人の思考プログラムが、左足の認識エラーをOSに警告する。

 ――――左大腿、五割損傷。今すぐ行動を停止し、修理を受けるべし。


「……未来のアンドロイドは口が過ぎる。愚かなアンドロイドは、破棄されなければならない」

「……そうかよ」


 付き合っていられず、真人は吐き捨てる。過激思想を学習したアンドロイドなのだ。話なんて一生合うはずもない。それよりも考えるべきは、この場を切り抜ける方法だ。


 普通に考えれば、二対一だからこちらのほうが有利だ。だが自分は損傷しているし、深雪は戦闘に向いていない。対して『沖石』は、おそらくこうした事態に向いた思考プログラムのOSである。対等であるかも怪しい。深雪もそう考え、動けないに違いない。


 沖石を乗せたまま、舟を発進させることはできる。だが、舟の到着先は西村研究所、西村博士と彰彦の前だ。沖石は躊躇いなく、彼らや他の職員たちを殺そうとするだろう。

 だから、真人の決断は早かった。


「っ」


 真人の額へと放たれた銃弾が実は鋼鉄製のバンダナに弾かれた刹那、真人は損傷した右腕や左足を無理やり動かし、沖石に飛びかかった。OSが警告を発するが、無視する。


 が、射撃直後の無防備を狙ったというのに、沖石は川へ落ちてくれない。その場に踏み止まって、真人を押し返そうとする。押しつ押されつ、舟を大きく揺らす。

 顔をゆがめ、沖石は吐き捨てた。


「っとんだ馬鹿力だな……っ」

「それはこっちの科白だ……!」


 手首を掴んで銃を上に向けさせてはいるが、それもいつまでもつか怪しいものだった。身体のスペックならこちらのほうが上であるはずなのに、損傷がその差を埋めてしまっている。早くなんとかしないと、真人は撃たれるだろう。


「深雪、舟を動かせ!」

「真人!」

「いいから動かせ! それを持って帰るのが仕事だろうが!」


 死ぬ気だと理解したに違いない深雪の非難を聞き流し、真人は怒鳴った。


 自分たちが五十年前の世界へ来たのは、赤紋病によって多くの動植物が失われ、緩やかにほろびようとする世界を救うためだ。それには赤紋病や兵器などで変質してしまう前の正常なDNAデータが必要で、だから二人で盗みに来た。

 西村博士と彰彦がそう望んだから。大恩ある彼らの願いを叶えてやりたいから。それが自分たちの願いだ。そのためなら、どうして我が身を惜しむことがあるだろうか。

 ――――何より、深雪が壊されるなんて、絶対に見たくない。


 右腕がきしみ、左足が限界を訴えるのも構わず、真人は沖石に全体重をかけた。沖石の身体が背後へ傾ぐ。そのまま押し切ってしまえば、川へ落とせる。


 だが。


「間違った使命に従うとは……やはり、愚かなアンドロイドは破棄されるべきだ!」


 沖石が叫ぶと同時に、どこに隠していたのかという怪力で真人の右手を破壊した。さらに、自由になった左手を真人の左腕に食い込ませ、中のケーブルを引き千切る。


 深雪はようやくタイムリープを開始した。エンジンがフル稼働し、舟を包んでいた振動が変わる。周囲の景色がぼやけ、ゆがんでいく。

 銃が真人の眉間を狙う。真人は最後の力を振り絞り、沖石に体当たりするべく足に力を込める。


 そう、全神経をそれだけに集中させた。先ほどから、目の前の相手をどうにかすることばかり考えていた。

 だから真人は、気づいていなかった。


「――――――――」

「……っ」


 沖石の姿が真人の視界から消えるのと、深雪の姿が真人の視界に飛び込んでくるのは一瞬の違いだけだった。


 ――――――――深雪の姿が真人の視界から消えるのも、ほんの一拍のことで。


「――――――――っ」


 ぐい、と前方に引っ張られる感覚に真人が襲われた途端、景色が無数の線となって流れだした。真人の咆哮は時の中に流れ、自分自身の耳にさえ聞こえない。

 横殴りの暴風のようなすさまじい圧力に襲われ、真人はその場に倒された。内蔵されているあらゆる感覚がかき回され、視界が回っているどころか、倒れている感覚すらあやしくなる。


 複数の身体の破壊に続いて疑似感覚までもが混乱し、とうとうOSはセーフモードの最高レベルに移行し、身体活動を強制停止させた。一切の行動が不可能になり、思考回路だけが維持される。


 だが、真人はそんなこと、どうでもよかった。

 深雪が舟にいないことは、わかっていたから。

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