5%の筋肉と95%の贅肉(美味)で出来たメタボリックエッセイ

デブ、チビ、ハゲ

いわゆる男の三重苦である。しかし四天王に最強と最弱がいるように、Perfumeにかわいい子とかわいくない子がいるように(誰とは言いません)、その格付けは並列ではない。三重苦の中でどれが最強の「苦」であるかをノンパラメトリックな分析を駆使しながらここで論ずるつもりはない。しかし、こと情状酌量の余地のなさという見地からしたら「デブ」が他二つを10馬身差で引き離してトップに躍り出るのは想像に難くないだろう。三重苦のいずれかを患い苦しんでいる人間に対し、世間様の認識はだいたい以下のようになっている。

ハゲ→遺伝だから仕方ない
チビ→遺伝だから仕方ない
デブ→痩せろデブ

本エッセイの第一章でこの嘆かわしい現状に筆者は警鐘を打ち鳴らす。デブはデブであることを運命づけられているのだと吠える。そこに身体を動かし前に進もうと努力するためのしなやかな筋肉は存在しない。雨にも負けず風にも負けず停滞するための重しとして用意された贅肉が積み重なるのみ。その贅肉がまた美味いものだから、読者はつい食べてしまう。「食べ放題60分って30分でお腹いっぱいになってあと30分は喋ってるだけだよね」という常識を覆し、与えられる文章を目から休みなく食べ続けているうちにどんどん時間が奪われていく。

第二章、筆者は運命に逆らうために立ち上がる。神々へ反抗の狼煙を上げる。そうして挑んだ「ダイエット」と呼ばれるレジスタンス活動を記した文章は、なぜかまたほとんど贅肉。そしてやはり美味い。長編小説の基準と言われる10万文字を越えてなお供給される美味なる贅肉のフルコースは読者の食欲を過剰なほどに満たすだろう。そしてやがては無為に過ぎ去って行った時間に気づき、「せっかく休みなのに何してんだ……」と苦悩する羽目に陥るのだ。僕のように。

本エッセイは連載中となっているが、更新は9月でストップしている。筆者はまだ神々との闘争を続けているのだろうか。僕の経験上、この手の弁の立つ人間は太っている自分を自分に許容させる論理を用意するのにも長けているので(「誰にも迷惑はかけていない」「一度きりの人生で我慢したくない」が二大巨頭)、あっさりと白旗を上げている可能性もあるのだが、それならそれで白旗を上げるに至った経緯を残して貰いたいものだ。きっと贅肉まみれで、とても美味しいだろうから。

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