(*追伸)
この男、勝手で わがままにつき。
いつ、何処にでも 行ってしまいそうで
ずっと、此処に 籠っていそうで
掴み切れない 現代に 迷い込んでしまった男。
時代錯誤で、郷愁病で、ナルシストで、
ロマンチストで、煙草吸い過ぎで、
いつまでも 影を 追い続けていて、透明で。
ハードボイルドを 気取っているけど、中身は少し半熟。
そんな人だから、愛されても 気づかない。
ここを楽しみに待ってるファンが 大勢いるみたい、だよ。
私小説といいながら、ここにいるあなたは本当のあなたなの。
きっと、君にも わからないのかもね。
雨降り予報が告げられると、雨の詩を詠む こどもになる。
素直な心と 対峙する時間は 甘くて 苦い。
辛くなったら、固執することはないよ。
いつでも 自由に こころを 羽ばたかせればいい。
本棚が どこか 別の本棚にも つながっているといいね。
どこかの星に行ける 扉だったら、いいのにね。
* 7. 7 100夜の記念。 七夕に 勝手に送る。
こちら、とある 勇気のない 小さな惑星。
遠い星からの物語は 終わってしまった。
透明なリボンに この言葉を 打ち込み、宇宙空間に乗せる。
揺蕩う その帯は 何万年先に 目的地に 辿り着けるのだろうか。
或る夜、地球上では、新宿という場所で
金の蝙蝠と 赤い幽かな 愁う蛍が 浮遊しているのが 見られたという。
ふたつは、航空灯に向かいし、二つの影。
煙草青年の 毎夜 発した言葉は、鉱石の中に、薄荷結晶の中に
チェロの音色に、生まれ故郷に、未来の行く先に 吸い込まれて旅立った。
ことの終わりに、書き添えてみる。
決して消えることなく、君の文字が 続いていきますように。
音符のように どこかにそっと乗せて、誰かの耳に 届きますよう。
この小さな惑星は、存在し得る限り
君の星からの言葉を 読み続けることを 約束します。
七夕の短冊にのせて祈る。 君の星に、ほんとうの 幸 あれ。
たとえ 地球で雨が降ろうと、二つの星は 宇宙空間では 生き続けるんだ。
*Oct.2016 もう君は この場所に 帰って来ないのですか。
かつて、明治という時代においては文学というものもひとつの国家プロジェクトであった。
当時の文学は、近代的国家を成立させる一連の運動とともにあったので、それは伝奇といわれる中世の文芸のカウンターを目指すことになる。
私小説というものも、そうした一連の運動の中で試みられたひとつの形態と、とらえられるだろう。
つまり、近代的自我を描くという試み。
それは島尾 敏雄の「死の棘」においてひとつの終着点をみたように思える。
共同体からこぼれ落ちていくどこへもたどりつけないような、ひとつの自我。
それを描くことは今日において、アクチュアルな問題と向き合っているとはいいいがたい。
だから、どうだというのか。
そもそも書く意味なぞ問うな。
もし、書くことに意味があるとすれば、ドゥルーズがかつて語ったようなあの言葉。
「自分にとってよく判らないこと以外に、何を書く必要があるのか」
書いた着地点が、自身にとって未知であるのならそれは私小説としてとても重要なことかもしれない。