第10話「森に棲むペンギン」

 生き物は、進化の途中で選択をする。

 その結果、何かを得る。

 それは同時に別の何かを手放すということでもある。

    ◇

 深い眠りから覚めた気分だった。

 覚醒してみれば世界の狭さに辟易する。

 出してくれよ、ここから。

 どうしたって、どんなことをしたってここから出なくちゃならない。うかうかしていると取り返しのつかないことになっちまう。


 ボクは必死になって、まだ柔らかさの残るくちばしで、殻をつつく。

 その先に広い世界があることを知っていた。知らないはずなのに、知っていたんだ。

 そこが桃源郷であるかどうか、そんなことは知らない。ただ一刻も早くここからでなければならない。でなければ、死ぬだけだ、と。


 翌日やっと卵の殻が割れ、ボクは誕生した。

 しかし落胆は隠せない。

 ボクより先に生まれたペンギンがいたのだ。

 そいつはすでにすっかり乾いた身体で、ぎょロリまなこでこう言った。


 「弟よ」と。


 先に生まれたというだけで、兄と名乗るそいつのことを、ボクは兄だとどうしても呼べなかった。

 そいつとボクの違いは、ほんの少しの時間の違いであって、ボクが兄であっても良かったはずなのに。

 理不尽だ。

 ボクが、予備、だなんて。

    ◇

 ペンギンは南極だけに住む生き物ではない。

 中には森で子育てをする選択をしたペンギンもいる。

 それらは森の岩場の洞窟に卵を産む。

 ここならペンギンの卵やひなを襲う天敵にみつかりにくい利点がある。しかしその反面、餌場である海まではどんなに早く歩いても半日かかる。 遠い昔、空を飛ぶといことを手放した翼を、どんなにか恨めしく思ったところで仕方がない。


 そのために卵は二つしか産まない。

 そしてちゃんと大人になれるひなは、そのうちの一羽でしかない。

 もう一羽はいわば「予備」である。

 もう一羽がアクシデントで死んでしまった場合の。


 何もなければ、たいていは先に生まれたひなが大人になる。

 なぜなら大きくなるにつれ、親ペンギンの持ってくる餌は一羽が大きくなるのにやっとの量でしかなくなる。

 必然的に弟もしくは妹は死ぬ。

 厳しい自然の掟である。

    ◇

 父と母が帰ってくるとボクは狂ったように鳴き声をあげ、餌をねだるのだが、身体の大きな兄にはやはり叶わない。

 兄のおこぼれでもありつければ幸せだ。兄はもう羽毛が生え始めていた。

「キミはあたたかいね。ボクなんかいつまでたってもやせぽち。裸のまま死んでいくのかな」

 ボクは巧妙に憐れみを含んだ声で兄に話しかけた。

「もっとこっちにおいで。どちらが生き残るのかそれは誰にもわからないことさ」

 狭い巣穴の中で寄り添えば、兄の体温が伝わってくる。

「死んだらどこへいくのかな」

「死んでもどこへもいかないさ。ずっと一緒だから。おまえは私で、私はおまえなんだよ。兄と弟、それを隔てるものはちっぽけな運命でしかないのだから」

 いつもは真っ暗な巣穴に、月からの光が差し込んでいた。

 それはひとすじの道のようにボクらを照らしてた。


 数日後、巣穴に恐ろしい爪を持つ腕が差し込まれた。

 狐だ! 

 ボクらは巣穴の奥へと逃げた。

 しかししょせん狭い世界。限界がある。

 ボクはちっぽけな翼で必死にもがく。兄よりも奥へ、もっと奥へ。

 兄はそれを押し返す。

 このままいったら、どちらが狐の餌食になるのかは容易に想像できた。

「たすけて、にいさん!」

 ボクは初めて、にいさんと叫んだ。その言葉を聞いた兄の動きが止まる。

 そのあとボクの身体をそっと奥へ押しやり、自分が盾となった。

 執拗な狐の襲撃は続き、とうとう兄は捕らえられてしまった。


 ボクはいつまでもぶるぶるとふるえていた。怖しさで。

 ボクが兄を死に追いやったという、その怖しさで。


 父と母が帰ってきた。

──羽毛がちらばる無残な巣穴。

──ひなは一匹だけしかいない。

 一瞬で何があったのかを悟ったはずだった。けれど無言でいつものようにひなに餌をやる。

 ボクは泣きながら餌を飲み込んだ。

 兄の言葉が甦る。


『おまえは私で、私はおまえなんだよ』


 ようやくその言葉の意味が、おぼろげにボクにも、わかりかけたような気がしていた。

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