第7話「アマポーラ」

 パーティーは終わった。


 予想通りの展開だった。

 だらしなく泥酔したジョンの醜態に、招待客たちは心の中で失笑したに違いない。

 社長のジョンに代わって、客を見送る副社長のおれに、古くからの取引先のホテルのオーナーは、憐れみに満ちた表情を浮かべたあと、無言でおれの肩を軽くたたいて帰っていった。


 今日はジョンの妻、サラの三十二歳の誕生日パーティーだった。

「……アルコール依存症……」

「奥様、お気の毒」

「もうすぐ赤ちゃんが生まれるのに」 

 玄関ホールのざわめきの中に、そんな声が混ざっている。他人のスキャンダルは蜜の味。そのほとんどが、憐みを装った好奇の言葉。

 おれは聞こえないふりをして、最後のリムジンをにこやかに見送る。

 

 ジョンのアルコール依存症は周知の事実だった。

 もともとお酒に目がない奴だったが、七年ほど前、会社の業績不振で倒産寸前までいったことがある。

 その不安から逃れようとしたのだろう、一気に酒に溺れるようになった。

 幸い、会社は奇跡的に持ち直したが、ジョンはダメだった。


 おまけに酔うと乱暴になり、サラにジョンが暴力をふるったことが原因で第一子は流産した。それでも気丈にふるまうサラが、そばで見ていて痛々しかった。


 パーティー会場の大広間に戻る。

 おおかた、使用人たちの手で片付けられていた。ジョンにからまれないうちに、みな一刻も早く仕事を切り上げたいのだろう。


 バルコニーに面した大きな開口窓は開かれていて、中庭の青いプールが見渡せる。今夜は満月。かすかにさざなみの立つみなもに、白い月が浮かんでいた。

 

「もうだめよ」

「よこせ、この野郎」

 庭からジョンとサラの言い合う声が聞こえる。やれやれ、またか。おれは肩をすくめた。

 ほのかにライトアップされている、プールサイドに出る。だらしなくネクタイを緩めたジョンが、サラにくってかかっていた。

 ロルフのオーダーメイドのジャケットがごみくずのように投げ捨てられている。千ユーロが、なんてこったい。

「きゃっ」

 ジョンの手がサラの頬を打つ。

 ガシャン。

 サラの手にあったボルドーのワインのボトルが割れる。サラの白いドレスに赤い染みを作ってゆく。

 足元がおぼつかないジョンの身体がゆらりとかしぐ。

 次の瞬間だった。

 サラが、渾身の力を込めてジョンの背中を押した。


「うわっ」


 プール落ちたジョンがもがく。透明の飛沫が、まるでストップモーションのように踊る。

 おれはすぐさま、走りよりジョンを助けようとしたが、サラが通せんぼをするように立ちふさがり、それを制した。


「……?」

 サラの瑠璃色の瞳が、無言でおれに何かを訴えている。


──何分たっただろう。いや、何秒だったかもしれない。


 気づくとプールは何事もなかったように、もとの平静を取り戻していた。

 そこにぷかりと、一人の男がマネキン人形のように浮かんでいることをのぞいては。


 結局ジョンの死因は急性心筋梗塞として処理された。酔ったはずみでプールに落ちたことを原因とする事故死として。

 アルコール依存症がすすみ、睡眠薬を常用していたこともあって、心臓が弱っていたのではないかとのことだった。

 一応解剖にまわされたジョンの体内からは、高濃度のアルコールと睡眠薬の成分が検出された。

 

 ──サラの瞳を見たあの時、おれは共犯者になったのだ。


 その後おれは社長となった。


 半年後、サラは男児を出産した。プールには土を入れて、中庭は様変わりした。

 子が三歳になった時、おれはサラと結婚する。

 共犯者に愛が芽生えることだってありえるのさ。いや、もしかしたら、あのときにもう、始まっていたのかもしれない。


 土を入れられたプールは子どもがボール投げをしたり、土いじりをする恰好の庭になった。


 ひとつだけ不思議なことが起きた。春になると、そこだけアマポーラの花が咲き乱れるのだ。

 ──アマポーラ、赤い芥子の花。誰も種を植えてなどいないのに。風で種が運ばれてくるのだろうか? それとも……。


 今年もアマポーラが咲き始めた。

 血のように赤い花。

 もう一ヶ月もたてば、長方形の赤い花の群生地となる。


 それは紛れも無く、かつてここにあったプールのカタチなのだ。


 そして、それを見るたびに、いやがおうでも、おれたちはあの日のことを思い出す。


 パーティーは、まだ続いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る