第15話「ほおづき市で出会った人は」

 浅草寺の境内入口は、にぎわっていた。

 七月十日、今日はほおづき市。家まで歩いて十五分という近さもあって毎年かかさず父と訪れほおづきの苗を求めるのが小さい頃からの年中行事だった。

 季節が夏へ向うにつれ、あおかった実のいくつかも橙色に熟し(そんな色移ろいをを見るのも楽しかった)それは遠い日、幼い日の私の玩具となった。

 ほおづきの実は、薄い皮のようなもの(よく見ればそれは血管のようなものが張り巡らされている)に守られているかのように、その中に在る。それに爪楊枝で小さな穴を開け中の種を取り出すと、ほおづきの笛が出来上がるのだ。

 口を寄せて息を吹き込むとそれはピーッと歌った。

 何もない『からっぽ』から音が出るのが楽しくて実が熟すそばから私がすばやくもいでしまうので、「うちのほおづきはいつだって丸坊主だなあ」と言って父は目を細めたのを覚えている。

 母は私を産むとすぐ亡くなったという。そのせいか父と私はいつだって仲良しでふたりぼっちで寄り添うように生きてきた。

 もちろん母のいない寂しさを感じることはあったが、それを訴えて父を困らせることはしてはいけないような気がした。

 そんな寂しさは満たされることなくからっぽのまま今も心の何処かにあるんだろうか。

 うちのほおづきの苗は地植えをされることがなかったせいか翌年には枯れた。まるでそれが再びほおづき市に行く為の口実になるかのように。

 昨晩、夕食の時に「春ちゃん、明日父さんとほおづき市に行かねえか」と誘われ、そうねえ会社から真っ直ぐ帰って、七時ならと境内入口で待ち合わせをしたのだった。

 父はまもなく現れた。藍染の浴衣に白い角帯をしめている。ここ浅草で七代続く海苔屋の跡取りとして生まれたせいか、着物の着こなしは七十歳になった今でも粋だと見惚れる。

 手を振りながら父に近づくとその隣で若い女が会釈した。つれ、だろうか。二五、六歳くらいか、私より十は若く見える。巷で年の差婚が流行っているとはいえ、まさか、お付き合いしてます、なんて告白されるのではないかと私は表情を固くして身構えた。

「こんばんは」

 白地に青いトンボが舞っている爽やかな浴衣を着たその女の声は、容姿と比例して美しかった。

 少しソプラノ気味なのが、風に吹かれる風鈴の音を連想させる。

 初めて見る人なのに、どこか懐かしい気分にさせる、いうなればそう、ほおづきのような人だと思った。

 毎年のように買うほおづきはどれも初めて手にするものなのに、あなたのことは昔から知っている、という気持ちにさせる。

「こんばんは」

 私は挨拶を返しながら、父に誰? と瞳で問う。

「わからない?」とでもいうように父はおどけたように眼を見開いた。


「春ちゃんですわね。大きくなって」

 私の小さい頃を知っている?

「私のこと、覚えてないわよねえ」それから二人は秘密を共有するようにみつめあって、くすりと笑った。

 何? なんなのよ。 結局その女は名乗らず私達は歩き始めた。誰なんだろう、 その疑問は解決できないままだったが、そのうちなんだかそんなことはどうでもいいように思えてきた。

 あれこれほおづきを物色しながら歩いていく。

「うちの庭にはお姫様は不釣り合いよ」

「これは楚々としてお嬢様風ね」

「そんなじゃじゃ馬を連れてけえったら手を焼くぞ」

 その道々、三人で会話しながら歩いた。それらは慣れ親しんだ愉しさ、とでもいおうか、三人であることが至極自然に思えてきた。

 結局、半分ほど色づいた小ぶりの鉢植え、父が言うには『素朴な娘っ子』だと名付けたものを買った。

 中程まで歩いて突然私は違和感を覚えた。


 ここから去年は見えたはずのスカイツリーが見えない。


 間違いない、ここで写メールを撮ったはずだから。


「はい、春ちゃん、お土産よ」

 女から手渡たされたのは新聞紙に包まれた江戸風鈴だった。

 新聞の日付を見ると昭和五十二年という印字が見える。私が生まれる一年前だ。 そういえば、この女が着ている浴衣、見覚えのある柄じゃないか。若い時私が着ていたものによく似ている。確か母の形見の浴衣だと父が言っていた……。

 まさか。

 最後に残されたジグソーパズルのピースが私の口から飛び出した。

「母さん!」

 幼い時、どんなにかその言葉に憧れていたかを思い出した。あとは言葉にならなかった。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、その女、いや、母の胸で私は子供のように人目もはばからずに泣き、母はただ私の頭を優しく撫でてくれた。

 ──目を開けると母も父も跡形もなく消えていて、青白い光をまとったスカイツリーがすっくと建っているのが見えた。


 しばらく、完成したジグゾーパズルの中のワンピースにでもなったかのように、私は身じろぎもせずに立っていた。


 どれくらいそうしていただろうか。数秒だったかもしれないし、三十分だったかもしれない。私は、はっとして我に返り、家まで駆け足で帰った。

「父さん!」

 予感は当たっていた。父は先ほどの浴衣を着て、仏壇の前で倒れていた。脳溢血だったらしい。既にこと切れていた。全く苦しんだ様子もなく、これから楽しい処へでも出かけるような笑顔さえ浮かべて。

 不思議と悲しくはなかった。

 心の何処かに放置されたままになっていたあの『からっぽ』が温かいもので満たされていた。

 吹けばピイーと音の出るほおづきの笛のように。

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とむらい日和 そらの珊瑚 @soranosanngo

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