とむらい日和

そらの珊瑚

第1話「百合とインコ」

 叔母だという人の記憶は、ない。


 もうかなり古びてしまった一枚の写真の中で笑っている、若く美しい女性、その人が叔母である。

 叔母に抱かれている純白の産着にくるまれている赤子は私だそうだ。まだ生まれてまもない頃だろう。世界のまぶしさにまだ慣れていないのか、しかめっ面をしているのが、私。

 この写真を撮ったあと、すぐに彼女は渡仏したそうだ。


 そして世界のファッションの最先端でもある、パリコレクションにモデルとしてデビューする。

 まだアジア人のモデルは少ない時代ということもあり、切れ長の黒い瞳がオリエンタルだと評判になったらしい。


 彼女の愛称はブラックリリー。いっときはマスコミでもてはやされたそうだが、モデルの命が短いのは宿命。三十歳を出たくらいでモデルを引退したそうだ。

 その後は自作のブランドを作り、デザイナーになったという、我が家では唯一華々しい経歴を持つ人だった。


 叔母の本名は百合子。

 名は体を表すというが、その名前に負けないほどのすらりとした大柄の美しい人だったらしい。


 百合子の五つ上の姉である母は、生前よく言っていた。

「百合子は今、どこでどうしているだろうか」と。


 フランスに行ったきり、ほぼ音信不通で、両親、つまり私の祖父母が亡くなった時も、連絡先さえ知らなかったそうだ。

 いわば生き別れに近い。

 けれど母は、そんな妹のことを薄情者とは言わず、いつもどこかで心配していたように思う。


 一人っ子の私には、そんな気持ちはよくわからない。

 姉が妹を思う心情は、そこがどんなに遠い場所でも、柔らかな壁一枚で隔たれた隣室でひそかに心配するような情なのだろうか。


 父、そして母が亡くなった時も、私は叔母に知らせる術がなかった。

 それくらい叔母は私にとって遠い存在だった。もしかしたら架空の存在ではなかったかと思うほどでもあった。


 だから叔母の弁護士という人から、叔母が亡くなったという電話をもらって、驚いた。

 数年前、病気になり、日本に帰ってきていたそうだ。

 どんなに薄情な人であっても、死を意識すると、生まれた国が恋しくなるものなのだろうか。最期は海の見えるホスピスで亡くなったという。


 叔母の遺言によれば、彼女のたったひとりの身内である私に全財産を譲りたいということだった。叔母は生涯独身で過ごし、子を産むことはなかったらしい。


 遺産を譲る条件として、自分の葬式を出してもらうことと、飼っていたインコのめんどうをみる、その二点が提示され、私は承諾した。


 葬儀の列席者は、私と夫とインコだけという実にひっそりとした葬儀であった。

 それがマスコミ嫌いの叔母の願いでもあったらしい。

 インコは、思っていた以上に大きく、背は三十センチほど。

 頭の部分が黄色で、まるで頬紅を塗ったようにほほのあたりに赤い丸がある。

 体は鮮やかな青。

 国籍不明の、そのでたらめな色彩は、葬式という場には、似つかわしくない、おかしみを伴ったものだった。


 叔母の死に顔は蝋人形のような白さで、どこか作り物めいていた。

 長患いをしたせいか、やつれてはいたものの、薄化粧を施されていて、どこか凛とした美しさもあった。


「どことなくお義母さんに似ているね」

 

 夫の言葉に私はうなずく。


「そうね、美人姉妹って昔は言われていたみたいだから」

 

 父親似だった私は、美しいという言葉にコンプレックスがあった。

 若い頃は、なんで母に似ていなかったのかと鏡を見ては神様をうらやむこともあった。

 そんな気持ちは年を経るにつれ、すっかり薄くなっていた。人生においての、もっと切実な悩みの前では、可愛いものだったという気もしている。

 が、不思議なことにゼロにはならない。いくつになっても美醜に対するコンプレックスが胸の奥底に残っていることを、たぶん夫は知らないだろう。。

 それが女という生き物だ。


「キミにもどこか似ている。ほら、薄い唇のあたりなんか」


「そう? それが血っていうものなのかなあ」

 

 年と共に、顔から肉がそげ、骨格があらわになることで、肉親は似てくるものかもしれない。夫と二人、柩の中の顔を覗き込む。

 しげしげと見る。

 私が知っている叔母は若く美しい女。目の前の老女だとはどうしてもピンとこない。

 だからなのだろうか。悲しみという感情は、なぜか不思議と湧かない。

 

 私も薄情、なんだろうか……。


 柩の中の白い百合の花が放つ、あまりに濃すぎる芳香、――それは死者の臭いを消すのにはありままる、私はおもわずハンカチを口に当てた。


 父母も見送った火葬場で、叔母を見送る。

 まだ新しい火葬場は、ロビーはホテルのような高級感があって、絨毯はふかふか、ラウンジもしゃれていた。

 そこにいる人がみな黒い服を着ていなければ、そこが火葬場だと忘れてしまいそうなくらいだった。


 葬式日和というものが存在するのか、しないのかわからないが、その日火葬場は、そう、静かに混んでいた。


 骨を焼く部屋が全部で五つあったのだが、どの部屋も埋まっていた。


 この隣室にも同じように死体があって、同じように焼かれていく。

 人は皆ひとりひとり違うのに、最期は同じように骨になっていく。

 そんなあたりまえの事実を目の当たりにしたら、叔母の気持ちがなんとなくわかったような気がした。

 望郷の念というものは、人が最後にたどりつく場所であるのだろうと。

 或いはそれは、ただの感傷かもしれない。


 白い手袋をした係員の男が慇懃にお辞儀をしたあと、扉を閉める。

 殺風景な小部屋で、小一時間ほど夫と過ごす。弁当を食べ、ノンアルコールビールを飲む。

「ねえ、インコってどのくらい生きるのかしら」


「さあ……案外おれたちよりも長生きしたりしてな」


「そうなったら困るわね。私たちには、子どもいないし」


 夫と私、どちらが先に死ぬのかはわからないけれど、残った方はいったい誰が見送ってくれるのだろうか。


「そうなったらなったまでさ。死んでしまったあとのことなんかどうでもいいじゃないか」

 

――そうなったらインコを空へ逃がそうか。はたしてインコは野生で生きていけるんだろうか。山で、インコは子孫を残すかもしれない。そんな無責任なことが頭をよぎった。


 アナウンスで呼ばれた私たちは、別の場所で焼かれたばかりの熱い白い骨を、箸で拾う。


「女の方にしては立派なお骨でございますね」


 傍らの係員が言った。


 隅に置いた鳥かごの中のインコが、なにやら喋り出したが、フランス語なのか、早口なのか、私には聞き取れなかった。


――だいじょうぶよ、ちゃんと育てますから。


 そしてようやく悲しみに似たものが心に訪れて、予期せずふいに私は泣いた。


 本当に悲しい、とも違う気がする。


 私にとって叔母とは、隣室のそのまた隣に棲んでいるようなそんな存在であったのだから。


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