第2話「竹子」

 私の父母は、ある日車で出かけて、大きな箱に入れられて帰ってきた。ふたりとも交通事故で死んだという。


――車はクラクションを鳴り響かせて、ガードレールを突き破り、崖から真っ逆さまだと。助手席の絹子さんは死んでなおハンドルにかぶさっておったらしい。


――無理心中じゃなかろうかって村の噂になっとろう。


――絹子さん、子ォ産んでますます頭おかしくなっとったって。あの日も峠の精神病院に入院するために車で出かけたって話じゃ


――死にたいばっかり言いよったらしいよ、絹子さん。なんでかね。あげな可愛い子ォ残して。ほんまにかわいそうやなぁ。


 私は幼く、死という意味のほんとうを理解できずにいた。通夜に集まった大人たちの会話の端々を聞き拾い、つなぎ合わせて、どうやら私はかわいそうな子になったらしいと合点したが、涙は出なかった。


 祖父母の家の台所は裸電球で照らされた寒い離れ島のように、母屋から孤立していた。

 来年は、小学校へ上がる年齢だった私は、台所のことを「だいどこ」と呼び、しじゅう入り浸っていた。

 窓からは川へ下る坂道と隣家(といっても音なんか聞こえないくらいには離れていて、おもちゃのピアノをじゃんじゃか鳴らしても誰も咎めなかった)の煙突と、冬でも青々と繁る竹林が見えた。

 それらは台風の時は狂ったようにしなりうごめく生き物のように見えた。


 「竹は地下でつながっていて、筍は赤ちゃんなんよ。あれらはみいんな家族なんさ」

 と祖母に教えられ、竹はいいなあとうらやましかった。


 とにかく竹だけは使いたい放題で、それらはかまどの火を熾すための空気を送る筒になり、野の花を生ける花瓶になり、竹馬になり、畑仕事を終えた祖父が酒を飲むためのコップになった。

 

 その中でも私の一番のお気に入りは竹子だった。


 竹子は人見知りだった。

 私以外の人はまさか竹子がしゃべるなんて思わなかっただろうし、ただの出来損ないの人形にしか実際見えないしろものだった。

 けれど彼女は二人きりになると、とてもおしゃべりになった。


 本質というものはいつだって隠されているものなのだ。


 祖母に貰ったレエスのカーテンのはぎれで、スカートを作ってあげたら

「わぁステキったらステキ! マリーアントワネットみたい! 一生大事にするね」

 バレリーナみたいに彼女はくるくる回って見せて喜んだ。

「……かわいい竹子」

 それから私たちは、互いの境遇を確かめるみたいにぎゅっと抱きしめ合った。


 かまどでぐつぐつと湯気を立てているのは祖母の手作りの煮込みうどん。

 それは赤ちゃんに与えるための離乳食のように、いつだってくたくたに煮え、もはや美味しいのかどうかもわからないほど、私の口に馴染んでいた。が、どうやら竹子の口には合わなかったらしい(竹子は盗み食いの名人だった)

「いったいぜんたいどうなってるの? この軟らかさって度を越してるわ。そろそろ私は赤ちゃんじゃないって宣言したらどうなの。ものごとには、しおどきってものがあるじゃない」

 竹子のいうことは冷静に考えれば正論だった。

――そうだ、私は赤ちゃんじゃない。それならば私はなんなのだろう。まさかお姫様にはなれないし、せいぜいがマッチを売り歩く少女だろう。霜焼けの手がひどく痒くて掻きむしって血だらけにするあわれな少女。かわいそうなうえにあわれだなんて。ああ、いやだ、いやだ。


 祖母の編んだ腹巻はちくちくして好きじゃなかったけど、ずれた愛情といえども唯一の宝物だと私は知ってしまっていた。

「ひどいわ、竹子。そんなこと言ったら、おばあちゃんは悲しんで泣くわ」

 私はかんしゃくを起こして、竹子を火に投げ入れた。


 とうもろこしの髪は

 猛スピードでちりちり焦げ

 それから爆弾のようにボンッとはぜて

 燃えて

 燃えて

 灰になった


 ずっと友達だと約束したのに

 約束にも、しおどきがあるのだろうか


 それから二十数年後、祖父が亡くなりその後を追うようにして祖母も逝った。

 彼らの野辺の送りを私はひっそりと夫と子供とで見送った。

 いや、或は竹子もどこかにいたかもしれない。あの子は、人見知りだから。大人になった私に見つけられないように、隠れていたに違いない。


 竹林はそれを待っていたかのように一斉に花を咲かせた。

 竹の花は百年に一度だけ咲くという。

 そのあと見事に一本残らず全ての竹は枯れて、あっという間に竹林ごと消滅した。


 今、私の「だいどこ」は夫と子供のいる本土とつながっている。

 天井の蛍光灯が隅々までまぶしく照らし、それは影でさえあっけない明るさを持つようだ。

 スイッチひとつで料理できて、しかも時短で快適。

 マッチもなければ火もない。

 かまどはIHクッキングヒーターに生まれ変わった。

 煙にいぶられて涙が出ることもない。

「いったいぜんたい、どうやってうどんを煮込むの?」 

 と竹子は驚くに違いない。

 

 一日の終わりにひとりシンクを磨き上げる時、あの島に吹いていた、とうに失ってしまったと思っていた風がよぎることがある。

 愛おしさに似た、さみしい風が。


 みすぼらしい私の竹子

 私でもあった竹子

 猛スピードで消えた竹子という存在が蘇ってくるのだ。




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