第3話「雨上がりの紫陽花」

 母が亡くなった。

 享年五十七歳。脳出血だった。

 健康の為に毎日納豆を欠かさなかった母なのに。僕はあの匂いがだめだけれど。


 夕食を用意しながら、キッチンで倒れたらしい。それを発見して、うろたえながらも僕は救急車を呼んだ。

 救急車が来るまでの間、母の名前を呼び続けたが、反応はなかった。

 病院に運ばれたものの、脳のMRIの写真は出血個所があまりにも大きく、手の施しようがなかったらしい。

 あっけなかった。人間の死というものは、こんなにもあっけないものなのか。

 普段から寡黙な母らしい最期だったともいえる。

 しかし臨終に際して、それまでの感謝の気持ちを伝えることが出来るのは、小説や映画の中だけの話なのかもしれない。

 母と交わした最後の言葉は「ただいま」「おかえり」というなんの変哲もないありきたりな挨拶だった。

 まさかこんなに早く母がいなくなるなんて思ってもみなかったし、その事実をすぐには受け入れることが出来ず、冷たくなった母を前にして僕はしばらく呆然としていた。


 母が歩いてきた道をたどりつつ。

 

 母は結婚せずに僕を産んだ。


 おぼろげな僕の記憶の始まりに一枚の絵がある。

 六畳一間のアパートの壁には、およそ不似合いな立派な額に入った油絵が飾ってあった。

 描かれていたのは、二十歳そこそこの美しい母。

 青い紫陽花をたった一本だけ胸のあたりで抱いていた。

 おおぶりなそれは、人の頭位あるだろう。

 その花を見る眼は、まるで赤子を見るような慈愛に満ちている。

「おまえの父さんが描いたんだよ」

 父に関してそれ以上詳しいことを母は語らなかった。

 父は画家。

 それだけが僕が自分の父について知るたったひとつの事だった。

 

 公園に五時を知らせる放送が流れる。

 家々から流れてくる夕餉の匂い。

 豆腐売りのラッパの音。

 山へ帰っていく鳥の黒い隊列。

 野良猫もいつのまにかいない。

 ばいばい。ばいばーい。

 友達はみな家に帰っていく。

 冬の夕暮れは特に嫌いだった。あっという間に夜が来る。


 孤独を紛らわせようと僕は街灯の下で道路に絵を描いた。

 その頃の道路は舗装されていない土の道だった。紙も鉛筆も要らなかった。拾った小枝と道さえあればいくらでも絵を描くことが出来た。

 一度でも見た事があればたいていのものは再現できた。

 ただひとつだけ描けないもの、それは父の顔だった。

 見た事のないものはどうしても描けなかった。

「けんちゃん」

 道にしがみつくようにして夢中で絵を描いているうち、母に呼ばれる。

「血は争えないものね」

 道路に描いた僕の絵を見て母がそう言ったことがある。

 仕事帰りの母を待ってよくそうやって家に帰ったものだった。

 母は無口だったので、僕は饒舌にならざるを得なかった。

「きょうね、みんなで野球したんだ。だけどミノルがずるしてさ。絶対セーフだったのに。アウトだった言い張って。野球なんかきらいさ」

「つつじの花の蜜って甘くてうまいんだよ」

 その日あったいろいろなことを話した。他愛のないことばかり。

 だって二人で黙って歩いたら、余計に淋しいじゃないか。

 

 母の葬儀は雨だった。

 参列者は親戚が数人。

 母の勤め先の人、友人、近所の人、僕の関係者などを含めても二十人足らずだった。

 

 僕は画家を目指し美大を出てアルバイトをしながら十年間頑張ってみたものの挫折した。

 道半ばで絵筆を棄て、髪を短く切り、就職した。

――これが現実。その道の険しさに嫌気がさしたのだ。

 このまま歩いていってもいつか野垂れ死にするだけじゃないのか。

 違う道を選ぶ選択も、人生には許されている。

 

 葬列のなかひげを生やした眼光の鋭い老人がいた。

 どこかで見たことがある。

 有名な画家ではないだろうか? 母の知り合いだろうか。

 そう思い、母の妹である叔母に尋ねた。

「けんちゃん、知らなかったの? 姉さん、若い時あの人の絵のモデルをやってたのよ。えっ? ヤダ、それじゃあ姉さん、なにも話してないの?あの人はね……」

 その先は聞かなくても予想がついた。


 あの男は父。


「……まったく姉さんときたら、無口にもほどがあるわ」


 さっきまで泣いていた叔母の顔に困ったような笑いが浮かんでいた。


 おばの話をまとめるとこうだ。

 画家とモデルは恋に落ちたが、既に画家には家庭があった。モデルの女は身ごもった事を画家に知らせすに姿を消した。

 ありがちな不倫の話だ。


 僕はその男に近寄り「納豆は好きですか?」と聞いた。

 我ながら、なんて間の抜けた質問だろうかと思う。けれどとっさに言ってしまったものは仕方ない。

 おしゃべりな人種というものは、いつだって大切な事をいいそびれる。大切な事こそ、というべきだろう。

 幼い日、家までたどりつくその間、本当に母に言いたかったこと。それは、さみしいという言葉ではなかったろうか。


 彼はけげんな顔をしたものの「いいえ、納豆はあの匂いがいけません」と答えた。

 それが僕たち父子に与えられたたったひとつの会話だった。

 僕たちの道は一度だけ交差した。

 ただそれだけだった。


 老人は祭壇に飾った母の遺影を見て一瞬目を見開いた。

 僕はそこへ写真ではなく、母の若い頃を描いたあの油絵を置いていたのだ。

 彼は長いことじっとそれを見つめ、声を出さずに泣いた。

 気づけば僕も泣いていた。

 そして僕が自分の子だと知らないまま父は斎場を出ていった。

 それが母の望んだ事なのだ。

 だから僕もそれでいいと思う。

 

 葬儀の翌日、母が植えた庭の紫陽花がうっすらと色づき始めていた。

 母の生きた道は険しいものだったに違いない。

 けれどその道に紫陽花の花がいつも咲いていたとしたら……。


 雨上がりの雫をまとった紫陽花を、僕は夢中でスケッチした。 

 

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