第9話
「あら、この前の空手少年とお姫様じゃないの。 猫ちゃんは元気?」
「ん、おお? この前、動物病院にいたおばちゃんか? や、あんたのお陰で猫は元気だぜ」
天道くんと、見覚えのあるおばさんと投げ合われる会話のキャッチボールは、ひたすらに早くて、私は混ざれずにいた。
「あ、あの」
「峠は超えたから、引き取っていいって話になったからな。 今日からうちで飼う事にしたぜ」
そう言うと、天道くんは猫ちゃんが入っている猫用キャリーゲージをおばさんに掲げる。
中にはまだぐったりとした猫が大人しくしていて、にゃあと小さく鳴いた。
「あらあ、あなた猫ちゃん飼った事あるの? なんならご飯とか分けてあげましょうか?」
「マジで? いや、本当に助かるよ。 今、財布に金入ってなくてなあ……」
「あらやだ、財布にお金が入ってる時があるみたいじゃない」
「あっはっは、こいつは一本取られたぜ!」
わはは、おほほと飛び交う会話の戦場は、どちらも百戦錬磨の古参兵だ。
私のような新兵は、右往左往と見えないチャンスを探し続けてしまう。
あれから天道くんは結局、店長に喫茶店を追い出されてしまった。
またお目付け役として私が付けられたけれど、今の状況を見るとその人選は間違っていたとしか思えない。
店長はこういう時もアルバイト代は出してくれるけれど、何だか申し訳ない気分だ。
「それじゃあまた今度この辺りに来た時は声かけてちょうだい。 今日は猫ちゃん早く休ませてあげてね。 山下のおばちゃんって言えば、みんな知ってるからね。 こう見えても、おばちゃん顔広いから」
「おいおい、見ればわかるぜ、顔広いのは」
「あらやだ、一本取られちゃった」
ゲラゲラと笑う天道くんは、底抜けに明るくて嫌味の欠片もない。
もしも私が同じことを言えば、きっと相手は不快になるだろう。
そういう人徳は、素直に羨ましい。
「それじゃあお姫様、大事にするのよ」
「おう、もちろんだ。 じゃあな、おばちゃん!」
とはいえ、羨ましがってばかりもいられない。
話が終わったタイミングを見計らって、私は声をあげた。
「あ、あの!」
「あら、どうしたの?」
「あ、ありがとうございました! みなさんが快く順番を譲ってくださったお陰で、猫ちゃんが助かりました。 本当にありがとうございました!」
私には天道くんのような明るさはない。
気弱で、根暗な眼鏡だ。
楽しい話も出来ないし、おどおどした態度で不愉快に思われる時だってよくある。
だからせめて、ありがとうとごめんなさいはきちんと言えるようにありたい。
「頭をあげてちょうだい。 そんなに頭下げられちゃうとおばちゃん困っちゃうわ」
「は、はい」
頭をあげた私の目に飛び込んできたのは、おばさんの満面の笑みだ。
福々しくて、見ているとほっとするような笑い方だった。
「困った時はお互い様って言うじゃない? 気にしなくていいわよぉ」
それから私と天道くんは、しばらく一緒に歩いていた。
駅前から街の真ん中を走る河邊川を超えて、山の方に抜けるように歩くのは結構な距離だ。
でも、この前のように気まずい沈黙はなくて、天道くんは色々な話をしてくれた。
猿の群れから柿を盗んで、いがぐりを投げ付けられた話は我慢しようとしていたのに、笑わされてしまったし、赤い洗面器を頭に乗せた女の話はとてもドキドキした。
「にゃーん」
猫が、鳴いた。
こういう風に、私は絶対になれない。
天道くんは面白い話も出来て、優しい男の子だ。
怪我をしていた猫ちゃんを助けてくれたし、きっとこれから同じ事は起きない気がする。
その事について話してくれる様子もないし、多分聞いても答えてくれないだろう。
それに比べて、私は本当に駄目だなあ……生きてる価値なんてないんじゃないだろうか。
いっそ首でも吊った方が……。
「に、にゃーん」
猫が、鳴いた。
そんな事を考えるのは、よくないよね!
そう、ありがとうとごめんなさいは言える人でありたい私は、ここでありがとうの気持ちを天道くんに伝えるんだ!
よーし、
「ねえ、天道くん!」
「お、おう……? ど、どうしたんだ、あんた」
「に、にゃーん!?」
猫が、鳴いた。
「あんたなんて言っちゃやだぁ……硝子って呼んで……?」
涙が出そうになるくらい、いきなり悲しくなった私は天道くんの胴着の裾を握る。
どうしてだろう、と思う私を、いきなり湧き出した感情の波が押し流す。
「う、うん、硝子……ちゃん?」
「硝子」
「……硝子」
「えへへ、ありがとう」
「にゃ、にゃおーん!?」
猫が鳴いた。
「死にたい」
「いきなりどうした!?」
私は本当に何してるんだこんなの天道くんを困らせただけじゃないか本当に私は駄目だなコミュ障?コミニュケーション障害ってやつ?あれそれともコミニケーションだっけシュミレーションだっけシミレーションだっけ。
とにかく死にたい。
私のようなうじむしは、生きていちゃいけないんだ。
酸素の無駄遣い、腐り果てた肉袋だ。
走る恐怖は非対象性で、稲妻のように落下する蓮の花は咲き狂ったピンクの象だ。
窓から伸びるにゅるにゅるとした干からびた蛇は、まるでさっぱりとしためんつゆのようにジューシーで、嗚呼、虎よ、虎よ!
「にゃんぽわさー!?」
猫が、鳴いた。
「と、とにかく俺の家は目の前だから、少し休んで」
座り込んだ私の手を、天道くんが引いてくれた。
やだ、優しい……!
私のハートがときゅんと脈を打ったみたい。
目の前には、よく言えば歴史のある道場があった。
これが私と天道くんの、スイートハウス!?
もう心臓がバクバクして、爆発しちゃいそう!
「そうだ! 天道くん、お腹空いてない?」
「お、おう!?」
「あ、空いてるんだ! よかったあ、それじゃあ私がご飯作ってあげるね! この辺りにスーパーとかある?」
「こ、この角を曲がった先に……」
「よーし、じゃあちょっと行ってくるね!」
私のご飯で、彼の胃袋を小悪魔大作戦だぞっ。
頑張れ、私! えいっえいっおー!☆
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