第3話

「除霊の仕事こねえなあ……」


「そりゃせやろ、旭」


 川はいい。

 川は何も考えなくて済む。

 都会のドブのような川でも、何となくいい気がする。

 俺は川岸で、膝を抱えていた。


「営業努力ってやつ? 俺もしてみたんだよ、河辺のおっちゃん」


「……その小汚い旗の事かいな」


「結構苦労したんだぜ、真っ直ぐな棒探したりして」


「『除霊承ります・天道空手塾』って……どこのちんどん屋や、お前」


「除霊の仕事も出来る、塾の宣伝にもなる。 どう考えても完璧だろう!」


「完全に最悪やろ。 しゃーないのう……ほれ、きゅうりでも食ってりき出せ」


「……あんがと」


 投げ渡されたきゅうりをぽりぽりとかじってみれば、青臭い瑞々しさが口の中に広がる。

 それが逆になんというか、


「憂鬱だ……」


「子供はみんなその憂鬱を……何かあれして生きていくんや」


「せめて、何か上手い事言えよ」


「かーっ! ぱないのうぱないのう! 最近のガキはぱないのう!」


「なんなんだ、そりゃ」


「まぁあれやで。 おっちゃんもそれなりに長生きしとるからの。 相談くらいには乗ってやるわい」


「塾っていうか、親父が残してくれた道場があるんだけど、相続税どうしたらいいかな……」


「ホームレスのおっさんに金の話するんじゃない」


「くっそ役にたたねえな」


「……ほれ、缶コーヒーやるわ」


「……あんがと」


 これまた投げ渡された缶コーヒーは、ブラックだ。

 きゅうりの青臭さと、ブラックのコーヒーはこれまた致命的に合わなかった。

 空手と除霊の関係に似てる……ははは、上手い上手い。 いや、そうでもないな……。


「目が死んどるぞ、旭」


「何人かつあげしてくればいいんだろう」


「何でいきなり犯罪に走る気なんや!?」


 そりゃ俺の出来る事は空手しかないし、弟子もいない以上かつあげしか選択肢が無いに決まってるじゃないか。

 悪そうな奴しか狙わないし、むしろ街の治安に協力しているという事になるのでは。


「しかし、幽霊なんて本当におるんか?」


「何か気付いたら見えるようになってたわ。 河辺のおっちゃんの後ろにも、一人いる」


「マジでか」


「おう、おっちゃんみたいに落ち武者っぽくハゲ散らかした男が立ってる」


「うん、お前の言い方で恐くなくなったけど、それはそうとして後で殴るからな」


 河辺のおっちゃんとは、かれこれ三年くらいの付き合いになるのか。

 何年も山篭りしていた俺だが、降りる時がないわけではない。

 そんな時、いつも河のそばでごろごろしている駄目なおっちゃんと出会ったのだ。

 ほとんど知り合いのいない俺からすれば、何となく人と話したくなった時はここに来る。


「しかし、霊かー」


「イケる、と思ったんだけどなー。 絶対儲かると思ったんだけどなー」


「何を考えて儲かると思ったんや、おい」


 冷静に考えれば、霊がいるなんて話は聞いた事がない。

 友達から聞いた、なんて大体作り話だろう。

 それに金を払ってくれる人なんて、どこにいるんだって話だ。


「……まぁあれよ。 おっちゃんにアテがないわけでもないで?」


「いや、おっちゃんの髪の毛は戻らねえよ?」


「ハゲじゃないわ! これは生まれつきじゃ!」


「マジかよ」


 生まれつき可哀想なおっちゃんだったのか……。

 これからは少しくらい優しくしてやろう。


「くっそムカつく顔してるのう、この野郎。 教えてやらんぞ」


「すみませんでした、河辺のおじさま! これから天道旭は心を入れ替えて、おじさまに接する事を誓います!」


「……うん、いらんわ。 駅前あるやろ、駅前。 あのーあれや、三丁目らへんな。 あの辺のな……なんやったっけ。 シャレオツな喫茶店があんねん」


「本当におっちゃんは……所詮かっぱだなあ」


「お前、かっぱをなんやと思っとるんや!? 罵倒にかっぱ使うとかほんましばくで!?」


 そういえばかっぱと言えば尻小玉だけど、尻に何かそういう玉があるのか。

 抜かれたら腑抜けになるらしいが、尻の骨盤でも引っこ抜かれるんだろうか。


「わりぃわりぃ。 で、どこなんだよ? そのシャレオツな喫茶店って」


「なんも反省しとらんな、こいつ……ちょい待っとき、今ケータイで検索しとんねん」


「なんでホームレスがケータイ持ってんの」


「そりゃ地球がおっちゃんのホームやからね。 おっ、出た出た。 喫茶室 葛葉くずのはってとこにおっちゃんの紹介されたって言ってみ」


「おう、ありがとうな、おっちゃん。 今度、きゅうり買ってくるわ」


「おっちゃん、きゅうりより桃とかの方がええなあ。 まぁおっちゃん暇しとるからな、また来いやあ」


 そう言うと、河辺のおっちゃんは川に飛び込む。

 いつも裸で肌が緑色をしてて、頭ハゲ散らかしてるけど、いいおっちゃんだ。











 さて、そんなこんなで駅前の三丁目にやってきたわけだが、


「……入っていいのか、ここ」


 おっちゃんの言った通り、シャレオツな喫茶店だった。

 辺りはそれこそ如何にも高そうな店ばかりで、喫茶店の看板もどこぞの書道家の先生が書きました、と言わんばかりだ。

 外装も落ち着きのある和風な感じで、物凄い気後れする。

 知ってるぞ、俺。 こういう所だとコーヒー一杯千円とかするんだろ。

 ちなみに俺の財布の中身は千円ジャストだ。

 消費税を考えれば、


「五分と、五分か……」


 殴ってもいい相手ならいいんだが、自分でコーヒー頼んで出してくれた相手に迷惑かけるのはさすがに気が引ける。

 

「こうなったら何人かかつあげしてくるか……」


「君は人の店の前で、何を物騒な事を言っているんだ!?」


「ん?」


 俺が金策について考え込んでいると、店の中から一人の男が現れた。

 すらりとした細身の美形の男で、きざったらしく伸びた黒髪を背中で縛っている。

 その上、黒の着流しだ。

 こう言ってはなんだが、この現代日本でほとんどコスプレみたいな格好で歩いているとか、二十歳をいくらか超えた頃だろうに、よほどのド変態に違いない。

 眉間にくっきりとした皺が刻まれていて、気難しげな面構えをしている。


「とにかく君は客だろう? 入るなら入りたまえ。 店の前でコスプレみたいな胴着の男がぶつぶつ言ってたら、入る客も入らん」


「よし、なら邪魔するぜ」


 コスプレ男にコスプレと言われても、腹も立たない。

 いや、確かに見るからにあれな感じではあるが、こいつは偏見の目を乗り越えて自分のスタイルを確立しているのだろう。

 そういう奴は、割と嫌いじゃあないのだ。

 男に先導されて入った店内は、これまたシャレオツな感じだった。

 和風に統一された調度の中、何かそれっぽい音楽が流れている。

 左手にはカウンター、右手には三席のテーブルと狭いのは狭いが、圧迫感は感じられなかった。

 カウンターの中に入った男に着いていくようにして、俺もカウンターに座る。


「とりあえずお勧め出してくんな、千円以内の」


「そんな注文のされ方したのは初めてだよ……とりあえずブレンドでいいね?」


 男はこちらの答えも聞かないまま、フラスコに似たコーヒーメーカーをアルコールランプに乗せた。

 一応、金は払うんだから、もう少し丁寧な接客をしていいのではないだろうか?


「ところであんちゃん」


「兄ちゃん!? 私は女だぞ!?」


「マジかよ……よく似合ってんな、着物」


「どこを見て言った!?」


 関係ない余談だが、着物はスタイルがいい人が着ると崩れていまいち似合わないらしいぞ。


「くそっ、なんて不愉快なガキなんだ! ほら、これ飲んだら帰れよ!」


「悪い悪い、山育ちで口の利き方わかってないんだよ」


 怒りながらもコーヒーを出す手は、これっぽっちも震えていない。

 音もなく、静かに置かれたコーヒーの豊かな香りは、


「うん、美味い。 これはあれかね……ジョジョジアかな?」


「それらしい事を言いたかったのかもしれないけれど、私の怒りの炎に油を注ぐだけだからな、それ」


「銘柄なんて缶コーヒーくらいしか知らないんだ。 ……うん、よくわからんが世辞抜きで美味いな」


「……そりゃどーも」


 素直な気持ちを伝えてみれば、姉ちゃんは何やらそっぽを向きやがった。

 まぁ見るからに無愛想な奴だ、そこは俺の方が大人になって折れるべきだ。

 今はこの美味いコーヒーを、味わう事に専念するとしよう。

 こういうお高い喫茶店に入った事はなかったけれど、騒がしくない店内で美味いコーヒーを味わうというのはなかなか悪くない。

 コーヒー一杯千円したとしても、コーヒーだけでなく落ち着いた雰囲気を味わうための値段でもあるのか。

 牛丼屋で千円分食べるのとは、また違う金の使い方だ。


「うん、美味かった。 ご馳走さん」


「え、帰るのかい? 裏の客じゃないの、君? 霊力も感じるし、見るからに堅気じゃなさそうなんだけど」


「……裏?」


 そう言うと、姉ちゃんは顔を赤く染め、青くし、何やら一人信号機のような有り様になった。


「い、いや、なんでもないよ!? ここはただの、何のへんてつもない喫茶店さ!」


「そういや河辺のおっちゃんから紹介されて来たんだけど」


「やっぱり裏の客じゃないか!? もー何なんだよ君は!?」


 落ち着いた雰囲気だけど、この姉ちゃんだけ落ち着いてねえな。

 それだけは本当に残念だ。


「こ、こほん……それでは気を取り直して挨拶させてもらおうか。 私は喫茶室葛葉の店長にして、この鳴上市の仕事を取り仕切らせてもらっている衝立あやのだ」


 平たい胸を張り、何やら自慢気に語るあやのさんに、俺はこう言った。


「あ、水もらえる?」


「聞けよ、私の話をさあ!?」

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