空手バカ、除霊する

久保田

第1話

 何故、こんな事をしているのだろう。

 巻藁を突きながら、俺はそんな事を思った。

 何せ痛いのだ。

 角材に藁を巻いた物を、思い切りぶったたく。

 拳で、肘で、足裏で、膝で、頭で、貫手で。

 それも力一杯、一切の手加減抜きで、だ。

 打てば当たり前のように皮膚は割れ、血が流れ、肉は抉れ、骨が覗く。

 一昼夜ぶっ続けでやれば、痛みを通り越して自分が何をしているかわからなくなるほどだ。

 楽しいはずがない。

 こんな事をして、楽しいだなんて一度として思った事はない。

 巻藁を叩くより、楽しい事なんていくらでもあるだろう。

 篭っている山を降りて、ファミレスにでも駆け込んで熱々のハンバーグと甘い甘いパフェをたっぷりと食えば、どれほど幸せな気分を味わえるだろうか。

 それともボロボロになった胴着を捨てて、ちょっと気取った服でも買おうか。

 それで女の子と遊んで……そんな事を考えながらも、俺の手足は止まってはくれない。

 打、打、打。

 いくら血を流そうと、身体は止まる事を知らず、型をなぞり続ける。

 付き合ってやろうか、と俺は思った。

 死んでしまうくらい自分を痛めつける身体に、付き合ってやろうかと思った。


「いや、道場破りとかそんな時代遅れでしょ」


 思い出すだけで、叫び出したくなる。

 気狂いを見るようなツラでこっちを見る空手家は、ぶよぶよとした腹が突きだしていた。

 その腹は、ボディブローを防ぐためなのか。


「武道とは矛を止めると書いて……」


 偉そうに語る実践武術家のツラに拳をお見舞してやった日には、警察を呼ばれてしまった。

 武道家が喧嘩で負けて、警察を呼ぶなんてあり得ないだろう。

 とはいえ、だ。

 俺もわかっているんだ。

 何が悲しくて、この高度情報化社会やらITやらの時代に、命賭けて殴り合いなんぞせにゃならんのか。

 二人の男を並べて、どっちが強いか、なんて無意味に決まってる。

 その辺にいる素人に銃の一丁でも渡せば、鍛え抜かれた身体なんて何の意味もなく終わりだ。

 そんな事は、わかっているんだ。


「だけど!」


 空の手を、強く握った。

 力一杯、だが力みはなく、下半身との連動は忘れず。

 徹底的に拳を放つ、という事を刻み込まれた身体は、俺のイメージ通りに巻藁をへし折った。


「これしか無いだろうよ、俺には!」


 強く、なりたかったんだ。

 そこに意味なんてない。

 どうせ銃には負けるし、戦車に勝てるわけはない。 落ちてくるミサイルを受け止められるはずがないだろう。

 そんな事は問題じゃあない。

 だけど、強くなりたかったんだ。

 強い男を二人並べて、さあどっちが強いか確かめよう。

 そういう事が、したかったんだ。

 そういう事は、とっくに時代遅れだったんだ。

 古い古いゲームのように、今の時代じゃ誰も付き合ってくれやしない。


「――――ああああああああッ!」


 死ぬ事は、怖くはなかった。

 ただ、このまま死ぬのだけは、耐えきれそうになかった。

 だから、だろうか。

 とっくの昔に日は暮れて、いつの間にやら丑三つ時。

 そこに、一人の男がいた。

 俺の着ている胴着にも負けず、ぼろほろの胴着を着た男だ。

 見るからに鍛え抜かれた拳を握り、見事な構えで、その男は俺の前に立っていた。

 眠そうにすら見える細い目、だが油断なんてこれっぽっちもしていない、俺の動きを何一つ見逃すつもりはないのだと言わんばかりにギラギラとした光が宿った瞳が語りかけてくる。


――やろうか、と。


 いつからそこにいたのか、どうしてこんな山の中に?

 そんな戸惑う頭を無視して、俺の身体は構えを取った。

 左拳を引き、前に突きだした右手は僅かに開いた、いつもの構えだ。


「……本当に?」


 付き合ってくれるのか。

 命を賭けて、俺に付き合ってくれるのか。

 それはまるで十年ごしの片想いが叶ったような、足元の覚束ない幸福感で、


――邪ッ!


 眠たい考えだった。

 浮わつく俺の意思などお構い無しに、俺の視界が真っ暗に染まる。

 蹴り。

 そう、多分蹴りだ。

 顔面に蹴りが突き刺さったのだと、思う。

 

「……目ぇ覚めたぜ」


 もし、今の蹴りが本気なら、それだけで終わっていた。

 手を抜かれたし、抜かせてしまったのだ。

 背筋がぞわぞわとするほどに恥ずかしくて、情けない。

 本当にごめん、悪かった。 ここから真面目に――などと考えた瞬間、男の蹴りが再度放たれた。

 いきなり地面から飛び上がってくる蛇のような蹴りは、空手というよりはムエタイのキックか。

 角度を付けて打ち下ろされる蹴りに、何とか腕を滑り込ませてみれば、これがまた冗談のように重い。

 ガードの上からでもくらくらきそうな、そんな蹴りだ。

 これまでの積み重ね、これまでの情念が見えるような、そんな豊かな蹴りだった。


「だったら、負けちゃいらんねえ」


 男が足を引くのに合わせるように、俺は前に出る。

 速くなくてもいい。 だが、何が来ようと即座に反応出来るように、滑らかな一歩を。

 そして迎撃の右拳を捌きながら、力一杯の左拳を、レールに乗った電車のように、ただ真っ直ぐに走らせる。

 

「くっ……」


 着弾と同時に、何かをへし折る感覚と、俺の顎が跳ね上がった。

 どこからどう打たれたのか、それすらわからない意識の外からの攻撃だ。

 がくがくと震える膝のせいで、我ながら会心とすら思えた踏み込みと違い、無様に尻餅を突きながら必死に下がる。

 とはいえ、俺の拳をまともに受けた男も、胸を押さえながら飛びずさったから、ほぼ相討ちと言ったところか。

 

「疾っ!」


 だったら、引けやしない。

 まだ顎を打たれたダメージは残っているが、向こうだって俺の拳をまともに受けたんだ、しんどいに決まってる。

 震える膝を無理矢理に動かして、とにかく先に拳をぶち込んでやる!


 突き入れた拳が肘で打ち落とされ、打ち込まれた拳を絡めとるように受け、踏み込むの勢いそのままに膝を打ち込もうとすれば膝で防がれ、迷わず叩き込まれた頭突きに頭突きで返し、引く気なんてお互いさっぱりないままに拳と拳がぶつかり、蹴りと蹴りが交差し、突如として切り替わったボクシングスタイルからのフックが俺の顔面を打ち抜き、破れかぶれで返したカウンターが男のこめかみを抉った。


 滝のように流れる鼻血を気にしている暇なんてないし、打たれて目蓋が膨れ上がったせいで男がぼんやりとしか見えない。

 だけど、多分この辺りだ。

 そんなノリで手足を振り回す俺に正しい構え、正しい動きなんてもうやってる余裕はない。

 あっという間に追い込まれ、あっという間に追い込んだ俺達は、見ている誰かがいれば、とんでもなく無惨な戦いを繰り広げているだろう。

 子供の喧嘩のような、そんな情けない有り様だ。

 一発殴られたら、とにかくそっちの方に一発殴る。

 一発殴ったら、そっちから一発殴られる。

 

――どうだい、もう辛いんじゃないのか?


「まだまだ元気一杯だぜえ……!」


 へろへろとした蚊の止まりそうなパンチが男の頬に当たれば、ぐらりと揺れた。


「俺の、勝ちだ、ろ……!」


――冗談じゃねえ……!


 見えない蹴りは、もうとっくの昔に見る影もない。

 だが、ぽんこつになった俺の身体は、のたくらと迫る男の蹴りを避けられず、まともに受けてぐらりと傾くが、必死になって男の胸ぐらを掴んで一人で倒れるのを防いだ。

 そこからはもう、本当にひどいものだった。

 辺りを転げ回って、とにかくぶん殴り、殴られて、相手の顔に口に溜まった血反吐をぶちまける。

 疲れ切った頭が落ちるのをそのままに腹へと叩き込んでやれば、掴まれて肘が落ちてきた。

 痛みなんてもうどこかへ吹き飛んで、くらくらする暇もありゃしない。

 それでも倒れたままでいるのは、嫌だった。

 これだけやっても、こいつはまだ受け止めてくれるんだ。

 これだけやられても、まだ俺は受け止めてやれるんだ。

 もっと、この夢のような時間が続けばいいと、思った。


「さっさと、くたばりやがれ……!」


――もうおねむの時間だろ……!


 早く終われと、早く倒れろと、もう祈るような気持ちで手足を振り回す。

 とっくの昔に限界なんて超えて、とっくの昔に心なんて折れている。

 なんでこいつ、まだ立てるんだ。

 身体はとんでもなく熱くなっているのに、その奥の奥ではぞっとするほどに冷たい所が広がっていく。

 これが、死ぬって事なのかもしれない、と俺は変に落ち着きながら思った。

 こいつはこの感覚を知ってるのだろうか。

 こんなになってまで、俺達は何をしているんだろう。


――……いやまぁ、そういうもんだろう?


「……まぁ、そうか」


 何をどうしたのか、俺は倒れ伏す男を見下ろしていた。

 勝った、とは思えなかった。


――楽しかったぜ。


「……俺もだ」


 終わった。

 いつの間にか、朝日が上がっていた。

 朝露に濡れた木々が、キラキラと輝いていて、とてつもなく目に痛い。

 だから、これは朝日が目に染みているだけだ。


――俺に勝ったんだ。 胸を張れよ。


「馬鹿野郎……一人で満足しやがって」


 朝日の下で見る男の顔は、俺と同じくらいで二十歳にもなっていないだろう顔付きだ。

 ぼこぼこになった不細工な顔には、妙に満足そうな表情が浮かんでいて、それがまた腹立たしい。


――お前、名前は?


「天道、旭」


――おう、旭。 それじゃあ達者でやれよ。


「おい、お前の名前は」


 問いかけた俺を無視して、最初からそうであったかのように、男は消えていた。

 男が倒れていたはずの地面には、少しばかりの草がまっすぐに立っている。

 感動的で神々しい光なんて、これっぽっちもなく。


「……置いていくなよ、馬鹿野郎」


 ただ、その事がどうしようとなく寂しかった。













 それから数日後。

 全身をこっぴどく打たれ、ひどい熱に魘される中、俺は思った。


「ああ……」


――またやりたい、と。

 

 幽霊なら、俺と戦ってくれるのだと、気付いた。

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