第11話

「――憎い」


 は、真っ暗な闇の中で嘆いている。

 力が足りず、才が足りず、届かなかった己を、ただひたすらに嘆いていた。

 完膚無きまでに、言い訳のしようのないくらいに破れた。

 刻み込まれた敗北は、何よりも苦い。

 今すぐ喉をかきむしって、死んでしまいたくなるほど。

 だが、もっとどうしようもない事がある。


「あいつが憎い……」


 見下されも、しなかった。

 勝ち誇られも、しなかった。

 命を奪われも、しなかった。

 勝利の余韻に浸る事もなく、風で飛ばされていくゴミを見送るように、あっという間に視線を切られたのだ。

 見下してくれればよかった、勝ち誇るだけの価値があると認められたかった、命を奪われるのであれば、そこで終わってもよかったのに。

 それだけは、絶対に認められなかった。

 あんなにも勝ちたかったのに、あんなきも認めて欲しかったのに、あんなにも殺してやりたかったというのに。

 そうやって望む事すら烏滸がましいほどに、は、敗れたのだ。

 ああすればよかった、こうすればよかった。

 そんな事すら思い付かないくらい、こてんぱんに、きっちりと、これ以上ないほどまでに敗けたのだ。

 あと百の勝負を挑もうと、まぐれの一もないほどに完璧に敗けたのだった。

 これで、終わりにしてもいいくらいに敗れたのだ。


「だから……だから、どうしたっ……!」


 は、笑った。

 とてもとても、醜い笑いだ。

 目は血走り、ひきつった口元は笑みというよりも痙攣しているかのようで。

 だが、確かにそれは笑みだ。

 血涙が、千切れるほどに無理矢理に開かれ、震える口端に飲み込まれていく。

 外に出ようと、発散されようとする怨念を飲み飲むかのように。


「負けて、負けてなるものか……! あたしを取るに足らないゴミのように扱わせてなるものか……!」


 そのためなら、


「何もかも……」


 積み重ねてきた物があった。

 呆れるほどに焦れったく、思い返せば震えが来るほど恥を重ねてきた。

 上手く行った事もある。 調子に乗って失敗した事だってあった。

 その全ては、確かにの魂に刻まれていた誇りだ。

 闇の中に、一筋の光があった。


「何もかも、もういらない」


 光に手を伸ばせば、すなわちの身の破滅。

 確かにあったはずの誇りに自分で糞を塗りたくるような所業だ。

 これから先は、どこにもない。

 ここから先は、何の意味はない。

 この先にあるのは、自己満足ですらない。


 その全てを理解しながら、は光に手を伸ばした。


「この恨み、はらさでおくべきか……つねぇぇぇぇぇ……!」





















「今回、君に依頼したいのは護衛の仕事なんだ。 いやね、君は何かを勘違いしているようだけれど、除霊という物は殴る蹴るじゃあないんだよ。 高度な技術を用いるものなんだ。

 勿論、直接的な攻撃方法もあるのはあるよ? だけどね、そこには歴史と伝統ある技術が用いられているんだ。 君のように殴る蹴るだけが除霊じゃあない、という所を私が見せてあげよう。

 そう、今回の依頼主は何を隠そう、この私さ。 表向きは喫茶室 葛葉の美人店長にして、実は祓い屋である衝立あやのさんだね!

 まぁ私に護衛なんて物は必要ないんだが、今回はついでにももちゃんも連れて行くから、学校の見学会のように安心して着いてきたまえ。

 ……って」


 すぱすぱと言葉を並べていた衝立店長は、大きく息を吸い込むと、


「なんなの、君達!? 私の話聞いてる!? 付き合ったばかりの初々しいカップルみたいな空気出して、目も合わせられないみたいな」


「店長」


「あっ、はい」


 私の口からこぼれた言葉は、自分でも驚くほどに平坦な声だった。


「お静かに」


「ご、ごめんなさい……え、天道くんと何かあったの?」


「お静かに」


「あっ、はい」


 人間の精神とは、器に左右される。

 どんなに素晴らしい作家でも、体調が悪い時の作品と、体調がいい時の作品では質はともかく、方向性が変わるだろう。

 肉体という器を亡くした幽霊の人達が、生前と全く同じかと言えば、それは否だ。

 生前にこだわっていた未練や怨念、はたまた別な何かにだけ意思が向く幽霊の人達は、かなりの変質がある。

 つまり、


「天道くん」


「あっ、はい」


「あの時、私は熱があったみたいなの。 だから――忘れてね?」


「はい」


 人間の理性とは、あんなにも脆いものなんだ。

 つい熱に浮かされて、不安定になってしまう時がある。

 もしも、瀕死の重傷を負った人がいたとしよう。

 その人は痛みのあまり、心配してくれる周りの人達に暴言を吐いてしまう事だってあるに違いない。

 普段のその人も、怪我をして暴言を吐いてしまったその人も、同一人物ではあるが、そこにはどうしようもない事があるのだ。

 私達、人間という物は、どうしようもなく弱い生き物なんだ。


「(何をしたんだ、何を! まさか破廉恥なあれこれをしたのかね!?)」


「(してねえよ! ……耐えたよ!)」


「二人とも」


 何やらひそひそと話していた二人に、私はにっこりと微笑む。


「話を進めましょう。 関係ない話はしないで、早く」


「「あっ、はい」」


 確かに理性なんて物は、とても脆くて頼りない物だ。

 お腹が空いた時、ついついお菓子を摘まんでしまう事があるだろう。

 しかし、それに抗おうとする意思こそ、きっと素晴らしい物に違いない。

 その結果はどうあれ、だ。

 それは、きっと私の勝利なのだ。

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