第6話

 オヤジは、映画が好きだった。

 アクション、ホラー、コメディ、SFと節操なく手を出していたのを、よく覚えている。

 俺とオヤジの思い出と言えば、その九割が山か道場で、つまりは空手だ。

 だけど、残りの一割は映画だった。

 オヤジが山から降りる時と言えば、ほとんど決まってどこそれの監督が新作が封切りになった、これは予告が面白そうだった、など映画の事ばかりだ。

 どうしてそんなに映画が好きなのか聞いた事はないが、まだ小さかった俺もたまに映画に連れて行ってもらった覚えがある。

 つまり、


「映画の中のデートか、河辺のおっちゃんか」


「え?」


「いや、何でもない」


 どちらを信じるべきか。

 俺のデートの知識と言えば、映画の知識か河辺のおっちゃんしかない。

 おっちゃんがたまに話す昔の俺は凄かった、みたいな話を参考に出来れば、


『ええか、旭。 女にモテてる秘訣を教えたる……まず金や』


 三万円。

 俺が女の子から三万円もらえれば、即好きになってしまうかもしれない。

 いや、こんなに可愛い子なら、三万円くらい貰い慣れているだろう。

 同じ人間なのか疑いたくなる小さな顔、何かすげえいい匂いのする髪、ちっちゃな肩。

 眼鏡をかけていて、大人しそうなのに胸だけはワガママバディだ。

 こりゃ三万円じゃあかんで、おっちゃん。


『次に、褒めて褒めて褒めまくれ。 そうすりゃ大体いけるで』


 やはり、胸か。

 おっぱい大きいですね、はどうだろう?

 喫茶店を出て、てくてくと歩いているわけだが、果たしてどこで切り出すべきか。


「あ、あの……」


「お、おう、どうした?」


 考え込んでいた俺に、ももちゃんと呼ばれていた女の子が話しかけてきた。

 勿論、声も可愛い。

 少しおどおどしているけど、これまで周りにはいなかったタイプだ。


「あ、あのね……衝立店長とどういう関係なの?」


「衝立店長?」


「あ、私……喫茶室で夕方だけアルバイトさせてもらってるの」


「ほう」


 衝立って誰だっけ、と一瞬考えたけど、違うようにとられたみたいだ。

 あやのさんな、あやのさん。

 まさかセーラー服のまま、アルバイトをしているわけではないだろう。

 そして、あやのさんの趣味から考えると、和服か。

 今度、彼女がいそうな時間帯を狙って、お邪魔するとしよう。


「そ、それで……どういう関係なのかな……?」


「あー……俺もそんな感じだ……って、あっ!」


「ひっ!?」


 あやのさんで思い出したけど、河辺のおっちゃんのノリで話したらキレっぱなしだったじゃないか。

 やっぱりあのおっさんは駄目だな。

 おっぱい大きいですね、はやめておこう。


「……むう」


 とはいえ、本当にどうしたものか。

 夜景の見えるレストランで「部屋取ってあるけど、どうだい?」が鉄板だろうけど、予約取ってないし、駄目だな。

 一体どうしたらいいものか。

 俺は自分を空手家だと思ってるし、今さら他の何かになれるとは思っていない。

 ひょっとしたら明日には死ぬかもしれないし、その覚悟は常にしているつもりだ。

 だから、俺は死ぬ前におっぱいを揉みたい。

 めっちゃ揉みたい。

 いや、勿論揉んだ以上、俺の出来る限り彼女を大事にするつもりだけど。


「あ、あの……私、桃井硝子っていいます」


 ももい しょうこ。


「うん」


 やだ、名前も可愛い。

 どうしよう、可愛い。


「……え、っと、君はなんてお名前なのかな?」


「天道旭だ」


「て、天道くん?」


「おう」


 天道くん、か……何かいいな。

 うん、いいわ。


「て、天道くんはどんな服がいいのかな……?」


「着れればなんでもいいな」


「あ……そうなんだ」


 どうにかして彼女を楽しませたいが、さっぱり浮かばない。

 夜景の見えるレストランは無理だけど、飯くらいなら奢れるだろう。

 ……牛丼屋なら腹一杯食えるし、悪くないんじゃないか?

 特盛三杯と味噌汁おしんこセット、これなら……!

 いや、待てよ。

 少しばかり高く付くが、ファミレスでハンバーグもありだな。

 更にデザートにパフェ……これは完璧なデートなんじゃないのか?

 よし、いける!

 そんな事を考えていたら、彼女が口を開いた。


「あ、あの……ごめんなさい」


「へ?」


 何を謝られているのか、さっぱりわからない。

 ただ、つむじが見えるくらいに頭を下げる彼女の声は悲しげなのは確かで。


「わ、私面白い話とか出来なくて……なにか、気に触ったのかなって」


「そ、そんな事ねえよ!」


 ああ、ちくしょう。

 思い返してみれば無駄に考え込んでいて、ろくに返事もしていなかった。

 デートがどうとか、それ以前の話じゃないか。

 知らない相手と一緒に歩いて、いくら話しかけてもろくな返事もされなかったら、気まずいなんてもんじゃないぞ。


「違うんだ、その、あれだ。 ちょっと考え事をしててさ。 そうだ! 俺、服こういうのしか持ってないだろ!? だから、一緒に歩いてて、恥ずかしくないかなって!」


「は、恥ずかしくなんてありません!」


「お、おう!?」


 な、なんでいきなり大きな声を出したんだ、彼女は。

 ああ、そうか。

 むしろ、恥ずかしかったからこそ、強く否定をしてくれたのか。

 俺に気を使わせまいと、こうして怒ってくれたんだろう。

 これまで小鳥の鳴くような声で話していた彼女の頬は、林檎のように赤く染まっている。


「いや、参った」


「え?」


「いい女だな、あんた」


「ええっ!?」


 もし嫁にするなら、見た目なんかよりも彼女のように心優しい人がいい。

 俺はそう思った。


「悪かった、改めて自己紹介させてくれ。 俺は天道旭、空手をやってるんだ」


「わ、私は桃井硝子です! 趣味はねこグッズ集めです!」


 よく見てみれば、彼女のカバンにはねこのキーホルダーがいくつか付いている。

 こうして落ち着いて向かい合ってみると、そういう事にも気付く。

 睫毛、長いな。


「あっ、あの! そんなに見られると……」


「す、すまん!」


 さっきから何をやってるんだ、俺は。

 彼女を困らせてばかりじゃないか。

 そういやオヤジは言ってたな。


『空手家はおっぱい揉むと弱くなる』


 あの時はなに言ってんだ、この野郎と思ってたけど、ひょっとした本当かもしれなかった。

 もしも、彼女のおっぱいを揉んだ日には、俺の手は拳を握るためではなく、揉むための物になってしまうかもしれない。

 それでも本望なんじゃ、とちょっと思ってしまう辺り卑怯だ。

 そんな事を考えていると、彼女は俺の肩越しに視線を向けた。


「……あれ?」


「ん、どうしたんだ?」


「あ、あの……私、目が悪いからよく見えないんですけど、あそこの路地に何かいませんか……?」


 振り返った俺の目に飛び込んできたのは、薄暗い路地の入り口で、血を流し倒れ込む一匹の猫の姿だった。

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