第5話

「おや、生きて帰って来たようで結構結構」


 一晩明け、再びやってきた喫茶室葛葉では、紫色の扇子で口元を隠しているあやのさんがいた。

 にまにまとした笑みを必死に噛み殺そうとしていたようだが、目元が緩むのが隠せていない。

 何かいい事があったんだろう。 俺に会ったとか。

 それなら俺も一発かましてやらねばなるまい。


「なんだよ、その扇子。 センスねーな、あやのさん」


「本当にいい度胸してるな、君は。 ……意趣返しかね!」


「……河辺のおっちゃんならどっかんどっかん笑ってくれるのに」


 割と自信あったのに、ウケなかった。

 ちょっとしょんぼりする。


「……いいか、相手を選んで話したまえよ、君。 はぁ……君と話してどうも調子が崩れるな。 何か淹れてやるから、座っていたまえ」


「お、おう?」


 やっぱり河辺のおっちゃんと話すやり方じゃなくて……何かこう、シャレオツなトークを……あれしなきゃ駄目なんだろうか。

 相変わらず人のいない喫茶店だが、そういうあれが必要なのかもしれない。

 駄目だな、河辺のおっちゃんに学んだら。


「はい、お待たせ。 疲れているだろう、今日はココアにしておいたよ」


「おう、あんがとう」


 ココアを出してくれたあやのさんは、何やら呆れたように頬杖をつきながらこちらを見ている。

 今日も客の姿はなく、店内に流れているきゃぴきゃぴとしたアイドルの歌が流れていた。

 そんなアイドルの歌と同じように、舌に触れたココアの味は甘く、すっと鼻に抜けるクリームの香りがたまらない。


「随分、美味しそうに飲むね」


「ああ、美味いよ」


 昔、オヤジが何を考えたのか粉のココアを買ってきてくれた事はあるけど、山にあった食器は茶碗くらいだ。

 茶碗一杯に淹れられたココアは、何だかやたら苦くて、何かの修業かと思っていた。

 だけど、あやのさんの淹れてくれたココアは、美味い。

 ……うん、あれだな。 こうして美味いココアを飲ませてもらったんだ。

 この店に相応しいシャレオツなトークをキメるしかない。


「あ、あれだな」


「ん?」


「こ、このココアはチョベリバだぜ!」


「……うん?」


「……うん、ごめんなさい」


 普通に意味がわからない、という顔をされた。

 いや、河辺のおっちゃんとかよく言ってたし、イケるかと思ったんだけど。

 いや、だから河辺のおっちゃんは駄目なおっちゃんだろ!

 おっちゃんの真似するのは、本当にやめよう。


「何だかよくわからないけど、君は思った事を素直に君の言葉で言いたまえ。 その方が君にはよく似合っているよ」


「うん」


「よし、素直な子は嫌いじゃない。 あやのさんポイントを一つあげよう」


「貯まったら、何かくれんの?」


「物欲に満ちた発言をしたから、あやのさんポイントマイナス一だ。 残念だったね」


「き、きたねえ!」


「大人は汚いものさ、勉強になっただろう?」


 にこり、と柔らかく笑うあやのさんは、最初のイメージとは違って大人の女性という感じだ。

 ただ、


「昨日でよーくわかっただろう? 君の飛び込もうとしている世界は、危険に満ちているのさ。 わかったら、真面目に勉強して真面目に暮らすといいさ」


 再び扇子を開いて、フフフと笑うのは似合っていない。

 わざと悪ぶろうとしている、成り立てのチンピラのようだ。

 いやしかし、何を言ってるのかよくわからんけど、


「ああ、すげーいい仕事紹介してくれたぜ」


「うむ、いい経験にはなっただろう? あそこの霊は磨耗し尽くしてしまっているからね、逃げた相手を追いかけてくるほどの意思はないんだ。 無理に正面から突っ込んだりしない限り、そこまで危険でも」


「うん、すげー楽しかった! 最後にいきなり消えたりしなければ、もっとよかったけど!」


「は?」


 と、あやのさんは持っていた扇子をぽろりと落とす。


「き、消えたって、朝まで逃げ延びたのかな?」


「いや、殴ってたら消えた」


「どうやって!?」


「こう……マウント取って」


「なんで幽霊相手にマウントポジション取ってんの!?」


 一般的なパンチは、全身の連動だ。

 動きがなくても打てる寸打のような技術もあるが、普通は腕だけで叩かれても大したダメージにはならない。

 逆に上から叩けるマウントポジションというのは、道場でやる踊り空手ならともかく、まともに戦うなら絶対に覚えておくべき技術だ。


「そりゃ取るだろ、マウント取れるなら」


「意味がわからない!? 霊力あるって言ってもしょぼいし、絶対に無理だけど死なない程度に痛い目見ればいいな、って依頼をマウントポジションで!?」


「いや、空手は総合格闘技だから」


「そういう事じゃないよ!? 何の話だよ!?」


「それよりちゃんと依頼は達成したって事でいいんだよな?」


「ぐっ……そうだね。 一応、本当かどうか確かめるのに、三日くらいはもらうけど、確かめられたら君の口座に振り込ませてもらうよ……誰からも依頼来てないから、私の全額持ち出しだが」


「やったぜ」


 今回の依頼、何と三十万円!

 三十万円ということは、一万円札が三十枚!

 スゴイ!


「こ、これで光熱費が支払えるぜ……」


「お、おう……何だか苦労してるんだね」


「あやのさん、さっそく次の仕事ください!」


「えー……いや、君ボロボロじゃない。 怪我を治してからにしたまえよ」


 右手の指にヒビが入って、防御に使った腕が青あざだらけになってて、肋骨もちょっと痛めてるか。

 つまり、


「無傷みたいなもんじゃないか?」


「見てて痛々しいわ!? やめてよ、今の君に仕事渡して死んだら、私が悪いみたいになるじゃない!」


 マジかよ。

 山籠りしてる時なんて、もっとひどいんだけど。


「と、とりあえず何日か休んでからだね。 それに君、服とか買ってきなさい」


「これでも綺麗な胴着着て来たんだけど」


「控え目に言って、車に跳ねられたてフラフラ歩き回ってる変な空手家くらいにしか見えないからね?」


 街中は窮屈だって、オヤジがよく言ってたのがよくわかる。

 服とか頑丈なら、何でもいいだろう。


「むくれるんじゃない。 休んで怪我を治して、新しい服を買ってくる。 それが出来るまで、私は君に次の仕事を紹介しないからな!」


「そんな事言われても、俺の財布には二百円しかないぜ」


「ああもう! わかったわかった、先に三万円払っておくから! これで服と美味しい物でも食べなさい!」


「マジかよ、あやのさんは天使か」


「……ちなみにどこに服が売ってるとか知ってるのかね?」


「おう、コンビニとかでよくパンツ買うぜ」


「パンツは服じゃないからな!? ど、どうしよう……この子、一人にさせておくの不安なんだけど」


 何故だか頭を抱え始めたあやのさんに、俺は溜め息を吐いた。


「おいおい、俺だってガキじゃないんだぜ? 服くらい一人で買えるさ。 ここに来る途中、それっぽい店があったから、そこで買ってくるぜ」


「そこ、ブランドショップだからね。 三万じゃ絶対に足りないから」


 三万の服……スーツ?

 うん、スーツとか着ても、すぐに破れるから駄目だな。

 それじゃあチンピラが着てそうなやつか。

 しかし、なんであいつら金のネックレスとかしてるんだろう?

 掴んで絞め落としやすいから、別にいいんだけど。


「任せろ、イメージは掴んだ」


「なーんーのーだー!?」


 さっきは大人の女性に見えたけど、こうも騒がしいと、やっぱりちょっとあれだな。

 まるでファミレスでがやがややってるおばちゃんみたいだ。

 落ち着きが足りないな、落ち着きが。


「ぐぬぬ、腹立つ顔して」


「あ、あのあやのさん、何があったのかわかりませんけど外まで聞こえてますよ」


「ちょうどいい所に!」


 と、あやのさんが振り返った先、喫茶店の裏から顔を出したのは、ショートカットで眼鏡の女の子だった。

 紺色のセーラー服から覗く二の腕が眩しく、長めのスカートと紺色のソックスが素晴らしい。

 ついでに言うと、あやのさんと違って、豊かな母性が胸元に揺れている。

 こいつはやべーな……。


「ちょっとこの子連れて服買ってきて、ももちゃん!」


「は、はい?」


 おいおい、こいつはひょっとして、人生初めてのデートってやつですか?

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