第17話 毒と音無
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都が感情の昂りを抑えきれずに泣き叫んだ時に目が覚めた。
「都、静かにして」
これで何度目だろう、快適な電車の旅だった筈が都に翻弄され続けている。都はあれ以来、言葉を喋らなくなったらしい。これが都に与えられた罰なのかも知れないと思うのと同時に、それならわたしの罰ってなんなのだろうと考えてしまう。自分自身ではまだ分かっていない。彼女の頭を二、三度撫でてやると落ち着いてまた眠りについた。わたしはこの電車の中にあるバーに向う。変に目がさえてしまったので、お酒の力を借りる事にしたのだ。
車窓から見える景色は一面真っ白の雪景色。さっき起こされた時は桜が咲いていたし、その前は木々が紅葉し綺麗に色づいていた。忘大和には四季があるのだ。各ブロック毎での管理ではあるものの、人工的に作り出されている。
「OZ」
[はい、斑鳩様なんなりと]
「ありがとう。篝さんが居ないようだけれど、貴方知らない?」
少しだけ間があいて、OZは答えた。
[いいえ、私は知りません]
「そう、どこに行ったのかしら……」
[この忘大和で消える事なんて出来ませんからね。この電車の中にはいますよ]
「でしょうね。所でOZ」
[はい?]
「貴方ってジョークとか言えるの?」
[言えますよ]
「へぇ、言ってみてよ」
[布団がふっとんだ]
「OZ」
[はい、なんなりと]
「わたしが悪かった。もう金輪際ジョークは言わないでいいわよ」
[かしこまりました]
OZにも篝さんの居場所は分からないとなると、単純にお手洗いにでも行ったのだろうか。それともバーにいるのだろうか。車両を何両か移動してバーに辿り着いた。女性のバーテンダーが一人。
「おはようございますお客様。もうお目覚めですか?」
「いいえ、何だかまだ眠れなくて」
「それなら丁度いいのがあります」
ワイングラスと一升瓶をバーテンダーは机に置いた。
「日本のお酒です」
「よく再現出来たわね。なんでお酒?」
バーテンダーはワイングラスにお酒を注ぎながら少し微笑んで見せた。
「鳥海山です。結構強いですよ」
「今のわたしには丁度いいかも」
「かも知れませんね。学生服を着て日本酒ってなんだか面白いですけど」
綺麗に笑う彼女は会話をいい所で切り上げてくれた。一人でゆっくりしてください。と言われてる気がしてその心遣いに感動し、注がれたお酒を口に含んむ。途端に目の前の世界がぐるりと回転した。突然の出来事で何が何だか分からず慌てて水を頼みコップ一杯に注いでもらいそれを一気に飲み干す。
「如何なさいましたか?」
バーテンダーの口の動きと声が少しだけずれている気がする。口の動きが少し早く、声が聞こえてくるまでに時間がかかっているようだ。その感覚が段々開いていく。近くにあった椅子にしがみついてなんとか体勢を崩さずに済んだ。
「お客様?」
ふらつく体をなんとか制御して自分達の車両に戻るべく引き返す。家を出る前に観ていたテレビの黒いタキシードを着た男を思い出す、彼はあの後どうなったのだろうかと。
わたしの見ているセカイが目まぐるしく回っている。早く篝さんを見つけなければ、こんな所でわたしは倒れるわけにはいかないのだから。歯を食いしばって、壁伝いにもと来た道を戻る。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
後ろから声をかけられたが振り返る余裕はない。すると私の身体を支えて近くの座席に座らせてくれた。
「一体何があったのかな?」
「大したことじゃないわ。ありがとう」
立ち上がろうとするも身体中が麻痺してきて椅子から滑る様にして落ちた。
「なんの毒?」
「さぁね」
「随分と冷たいね君。ほら、掴まって」
笑顔で手を差し伸べてくれたのは、白色のカジュアルなスーツを着た青年だった。何処かで会ったことがあるような、なんとも言えない感覚が体全体に纏わりついた。
「僕は医者だ。だから言うけれど、君はこのままでは死ぬよ」
「ドクター。もっと言葉を選べないの?一応今、必死で生きようてしてるのに」
減らず口もそこまでで、呼吸が苦しくなり始める。思わず彼の腕を強く掴んだ。青年は至って冷静に自分のMonocleを起動させ私の身体を覗き見る。それから少しため息をついて胸ポケットに手を入れると小さな筒を取り出し、筒の下の部分をペットボトルのキャップを外す要領で回す。すると反対側から少しだけ針が出てきた。
「どうする?毒で死ぬか、見ず知らずの僕を信じてこれを刺すか」
「悩ましいけれど、答えは一つ。お願い」
右腕に針が刺さる。一瞬だけ激痛がはしり、わたしは瞼を強く閉じて歯を食いしばった。息が詰まるとさえ思っていたさっきまでとは打って変わってわたしは規則的な呼吸を取り戻す。
「良かった。間に合ったみたいだね」
「えぇ。お陰様で。ありがとう」
「気にしないで下さい。斑鳩さん」
Monocleを使った時に名前を見られたんだろう。しかし、彼の物言いに翻弄されそうになったのが気に入らなくて感情を押し殺して正対する事にした。彼は少し笑みを浮かべている。仮想現実とは言え、とても整った顔立ちをしている。
「初めまして。あなたは?」
「音無零士です。初めまして」
にこりと笑う彼を見て戦慄が走ったのは流石にバレたと思う。目をカッと見開いてしまったし、息を呑んでしまったからだ。
何故この電車に音無派のリーダーが居るのか、わたし達の行動は筒抜けだったのか、様々な憶測や思考が頭の中を行き来していく中で今のこの状況をどう打開したら良いのかも考えなくてはならない。
許容範囲を超えている。その間にも音無零士はわたしの出方をうかがい続けている。指先、口元、視線、そう言った細部を一つ残らず彼の眼は捉えているに違いない。そう思った。
「初めまして」
「旅行か何かですか?」
「えぇ、忘大和に来たのがついこの前なので思いっきり楽しもうかなと」
二回程頷きながら外の景色を眺める音無。彼は口を固く閉じて遠くを見つめる。横顔が、彼の瞳が、わたしには何だかとても儚げに思えた。静けさに耐え切れなくてわたしは率直な質問をする。
「何が見えるの?」
「自由と希望に満ち溢れた綺麗過ぎる世界ですかね」
「その言い方だと、何だかこの世界が好きじゃない様にわたしには聞こえてしまうけれど」
「そんな事ないですよ、僕はこの世界が好きです。だからこそ、皆にも出来れば好きになって貰いたいんですよ」
「この世界を嫌いな人が居るとでも?」
外を見つめたまま少し微笑んだ音無。すると儚さは鋭さを増し、その鋭さを目の当たりにした瞬間にわたしの心がしっかりと彼の重力に囚われている事を感覚した。
「皆諦めるのが得意なんだ。そして忘れていく、僕達人間が何処から来て何処へ行くのか」
「そう……」
わたしは、何故忘大和に来たのか。
「うん」
わたしは、何故思い出せないのか。
「貴方は分かるの?何故忘大和に来たのか、この先何処へ行くのか」
霧がかかっている様な違和感があるのは何故。わたしの思考がある一定の場所から先へ飛ぶ事を許さないのは何故。思い出せないのは思い出さなくてもいい事だからなのかも知れない。でもこのもどかしさを払拭出来ない限り、わたしはまたいつか悩まされる。だから青年に問いかけた。
「僕は分かる。だからこそ僕はここに居る。何処に行くのかも分かる。でもこの先にある僕達が向かう所へはどうしても行きたくないんですよ」
音無零時という人間を子供の様に感じた。
「訳がわからないわ、変ね貴方って」
何かを思い出せる気がした。
「褒めても何も出ませんよ」
「褒めてないわよ」
「お楽しみの所悪いがそろそろ席に戻るぞ」
腕を組んで仁王立をしているのは篝さん。
「おや、お友達ですか?」
「そうだ。君は?」
端的に言う篝さん。今の今まで何処にいたのやら。
「僕はただの医者です。斑鳩さん、もう体調は大丈夫ですか?」
「おかげさまで」
それは良かった、と音無はまた少し笑う。
「自分の席に戻ります。良い旅を」
「君もな」
篝さんと音無は互いに見つめ合いながら言葉を交わしてある程度離れた所で篝さんがわたしに駆け寄る。
「何処に行ってたんです?」
「それはこちらの台詞だ」
「わたしはずっと都の面倒見てましたよ?少し寝てしまって気が付いたら篝さんが居なくて」
ばつの悪そうな表情を浮かべてから前髪をかきあげる。その仕草も表情も魅力的で、恐らく男女問わず惚れ惚れする事間違いだろうなと心の中で思った。
「で、何処にいたんですか?」
「ちょっと、な」
「ちょっと何です?」
「か、かんが鈍い奴だな君も」
「だから、何なんです?」
顔が赤くなったのか、それとも毛先からおでこの辺りまで赤く染まっている髪の毛がそう見せたのか、恥ずかしがっているようにわたしには思えた。しかし、わたしからしたらその間に死ぬところだったし、音無零時とは接触するし、危ない目に遭いすぎた。それ故に追求する権利と義務がある。
「用を足してただけだ!悪いか!」
さっき迄の緊張から一気に解放された。デリカシーの無さは後程詫びるとして、この先の話をしなければならない。篝さんが落ち着いたら、出来るだけ早く。
「一先ず都が心配だし、話したい事もあるから戻りましょう?」
「無論、分かってる!」
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