第16話 わたし

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 私にとって初めての作戦会議が終わり、そして初任務が始まった。初任務を祝して皆が開いてくれた宴会が楽しかったなと思っていると自然と笑顔になって、この部屋に自分一人だけしかいないという事を改めて認識してしまったからなのか、途端に寂しくなった。


 なにせ座敷間さんから与えられたこの部屋はとても殺風景で、それでいて畳張りで、そこに直接テレビが置かれていて、丸くて小さなテーブルと座布団が一つ、となると勿論ベットではなく布団。初めは腰が痛くなるんじゃないかと思ったが、畳のおかげでそうはならずに済んだ。案外快適なのだ。


 わたしの一日は洗面台の前に立つ事から始まる。わたしを見つめる。何か言いたげな、思春期真っ只中の少女がそこには立っている。右手でそっと少女の顔に触れると、少女も手を伸ばしてわたしに触れる。特に何かを感じる事はないけれど、そうせずにはいられない何かを感じている。


 わたしはそれからいつも通りに鼻さきでふん、と笑う。何をやってるんだろう、わたし。自分自身を見下した笑い。


 それが終えるとシャワーを浴びる。この忘大和という世界は現実と大差ない。身体は汚れるし、汚れれば当然臭う。平和の導き手ピースメーカーは何故だか現実に拘る。座敷間さん曰く、忘大和に送られてくる人間の行く末なんてろくなもんじゃない。との事だが、外の世界ではここ来る事こそが最高到達点の様に思われていて、皆がこの世界で生きたいと何故だか願っている。ここからは出られない。ここは平和な世界ではない。


 シャワーを浴び終えて、身体を拭いた。歯を磨く。三分程で歯を磨く事に飽きたわたしは手を止め、水道の蛇口を捻り水を口に含み、ゆすぐ。それからコップを出して水を三杯飲み渇きを潤してからおもむろにテレビのリモコンを探す。確かテーブルの上にあったと思っていたリモコンは見当たらず、探し回る事四、五分でようやく見つけた。テーブルの下にあった。灯台下暗しというやつか。


 足の指先で電源を入れる。すると画面には黒のタキシードを見事に着こなしている男。男の目の前にはテーブルがあって、何枚かのカードが置かれている。そのテーブルの向こう、つまりはタキシードの男の向かいに如何にも怪しげな男。


 賭事の様だ。カードゲームに詳しくないので何をしてるかは分からない。二人の男を取り巻く女、男、老人は二人の様子を固唾を飲んで見守る。緊張感が昨日の作戦会議の時と似ていて、なんだか魅入ってしまう。


 タキシードの男は表情一つ変えずにグラスを手に取り、怪しげな男を見つめたまま口に運ぶ。そのカットが少し強調されている事に気がついた時には男の様子が一変して、緊張感漂う空間から退出した。続きが気になるところだが、そろそろ身支度を始めなければならない。


 制服を着てわたしはまた鏡の前に立った。緑色ではなく、白いワイシャツと紺のスカート。うん。悪くない。


 家を出ようとした時に通信が入ったのでozの機能を使って応答する。篝さんかしら?などと思いながら相手の情報開示も要求せずに電話に出た。相手は無言。もしもし、とこちらから話すが無言は変わらない。それが次第に気持ち悪く思えてきて、通信を切断しようとすると、


「思い出せ。君がなぜここに来たのかを」


 声が加工されており、男か女かの区別は付けようがない。


「誰?」


「自分で思い出さないと間に合わなくなる」


 それだけ言って通信は切られた。何がなぜここに来たのか、だ。そんな事もう忘れてしまったし、忘れてるんだからきっと大した事ではないはず。古い悪戯だと思う事にしてわたしは家を出た。


 集合場所で待つ事数分。篝さんが来た。ラインがくっきりするタイプのブルージーンズに白いシャツ。今からあの人とわたしが並ぶとすると、トップモデルの姉と学生で全て平均レベルの妹と言ったところだろうか。この格差はどうして生まれてしまったのだろう。


「すまない、色々あって少し遅れた」


「大丈夫ですよ、行きましょうか」


 わたし達は音無派の協力者に接触する。どんな情報をくれるのか、本当に信じて良いのか、全てをわたし達が見定めるのだ。


「こいつも連れて行く、出て来い」


 側の四辻からひょっこりと顔を出したのは女の子。とにかく笑顔だ。その満面の笑みは自分以外を全て拒絶しているようにも思える。


 変わり果てた彼女の名は、成瀬宮都ナルセミヤミヤコ


「都、出られたの?」


 わたしの問いに対して、彼女は更に満面の笑みで頷く。彼女はちゃんと罪を認めたという事なんだろうか、でもあんなに頑なに抵抗していた都がそう簡単に罪を認めるだろうか、何はともあれ、


「お疲れ様、都」


 こくりと頷く都。そして篝さんがわたしと都の間を抜けて少し先を歩き始める。わたしと都はついて歩いた。


「九時三十四分の準急だ。遅れは許されない」


「少しくらい遅れても良いんじゃないですか?どうせそんなきっかりに来ないし着きもしないでしょうし」


「忘大和を侮るなよ?きっかりに来る。数分の遅れも許されない」


 日本人は正確さを求めた。故にこの忘大和でもそれは忠実に再現されおり、電車の時間だけではなく、日本人としてのルールも設けられているのだ。良くも悪くも、日本にはわたし達みたいに反抗する団体もいた、らしい。大人達だけではなく、学生達も自分達の将来とこれからの日本の為に政府に対抗して死亡者も出る程だったという。気高き魂達は必死に戦うも政府に打ち勝てず、多くの命は失われた。


 全体主義の国家、それが気高き魂達がいなくなった後に出来上がってしまうと、国民達は血祭りにあげられた若者達を見てそうなりたくないからと、ルールの中で生きる事を強制されてやがてはそれが当たり前となり、ルールから逸脱した者を異常者扱いするようになってしまったのだ。それは全体主義の国家の誕生を意味し、日本人が大和魂あいこくしんを忘れてしまった瞬間でもある。


 この忘大和でのルールは日本人である事。察しの文化がある日本の社会においては自分の意見を強引に押しつけ合うのが必ずしも大きな成功に結び付くとは限らない。相手の意図を考え、多くを語らずに相手と意思を疎通する事。馬車馬の様に働く事。そしてそれに喜びを覚える事。これらを守る事で、わたし達には忘大和で使える電子マネーが支給される。


「ほら、来たぞ」


 篝さんがそう言うと時間きっかりに電車はどこからともなく現れ、わたし達の眼の前で止まる。


「わぁ、本当に時間通り……」


 炭酸飲料の入ったペットボトルの蓋を開けた時の様な勢いの良い音がなると扉が開いたので敵の可能性がないかと確認してから入る。


 都は電車を見て笑い、扉が開いて笑い、篝さんを見て笑い、最後にわたしを見て泣いた。






 


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